第百二十一話 このお料理が美味しかったから……
ルシーナ司教邸に着くと、すぐに、リンシャが迎えに出てきた。その顔を見て、ミーアは、おや? と思う。なにやら……困惑した様子が窺えたからだ。
「あら、リンシャさん、どうかなさいましたの? ベルとリーナさん……リオネルさんは?」
他はともかく、ベル辺りはいそいそと出迎えに出てきそうなものだと思ったのだが……。
「それが……」
リンシャは、一瞬黙り込んでから、
「ちょっと私も持て余していますし、ご本人から聞いたほうがよろしいかもしれません。どうぞ、こちらへ」
「ふむ……ということは、なにか収穫があった……ということかしら? それならば、わたくしたちの部屋で……むっ!」
不意に、ミーアの鼻がひくひく、と動き、ナニカの存在を捕らえた。
「その前に……お食事ですわね。お腹が空いていると、頭も働かなくなりそうですし……」
ミーアの勘が……否、胃袋が訴えかけている。今日の昼食は逃してはいけない、と。まぁ、今日は……と言わず、基本的にミーアは食事を逃すことはないのだが……。
「ああ、ミーア姫殿下、戻られたのですか……」
屋敷の中に入ると、すぐにルシーナ夫人が出てきた。ミーアを見たその顔には、驚きと……どこか寂しそうな色が見えた。それは、子どもたちが連れてきた友人であるミーアとの、決別の時を思ってのことだったかもしれないが……。
「ええ。少し遅れてしまいましたけれど、お昼をいただくことはできますかしら?」
「あ、え? ええ……それはもちろん……ですけど……」
っと、ルシーナ夫人のそばに控えていた幼いメイドの少女が口を開いた。
「みなさんに喜んでいただけるように、奥さまが、ご自分で作られた力作です。ミーアさまに喜んでいただきたいからって、キノコも使って……それで……」
必死の口調でアピールするメイド。どうやら、自分たちの主人であるルシーナ司教とミーアたちの関係が、あまりよろしくなさそうだということを気にしているようだった。ゆえに、美味しい食事を作ったのがルシーナ夫人だと知らせて、それで、ミーアらの好感度を上げようとしているのだろう。
「まぁ、キノコのお料理を!? それは、お気遣いを無駄にするようなことがあってはなりませんわね。ぜひともその傑作手料理をいただかなければ……!」
メイドの狙いは、見事にミーアに的中する。なにしろ、素人弓兵でも当たるほどでっかい的だったのだ。
そうして、ミーアはいそいそと食堂のほうへと向かった。
「まぁ……これは……」
テーブルについて、しばし……。大きなお皿がミーアの前に置かれた。
ふぅわり、と鼻をくすぐる芳ばしい香り。お皿に乗せられていたのは、大きな魚をパイ包み焼きしたものだった。その上にかけられたソースの中に、見慣れぬキノコの姿を見て、ミーアは歓声を上げる。
「これは美味しそうな魚ですわね。見たことがないですけど、なんの魚なのかしら?」
「クリンゲルバウムという魚をパイ包み焼きしたものです。ミーア姫殿下がお好きだとお聞きしていたので、キノコソースをかけてみました」
「ほほう……」
ミーアはササッとフォークとナイフを手にして、パイに当てる。パリリ、サクサク、っと音を立てて崩れた瞬間、中に隠れていた魚からふわぁっと、なんとも美味しそうな香りが立った。
「おお……身がほろほろですわね……ふふふ」
フォークで刺して、ソースに絡める。キノコを乗せるのも忘れずに。
そうして……一口。
「ほふほふ……」
口から湯気を吐きながら、ミーアは笑った。
口の中に広がるのは濃厚な磯の香り。香草類の風味がそこに交じり合い、独特の、食欲をそそる香りが匂い立つ。
魚の身はホロリ、サクリと崩れ、柔らかなソースの甘味に溶けていく。
「なるほど、パイで包んだのは、魚の風味を損なわないためなのですわね……。ふふふ、このお料理のキモは風味なのかしら?」
「はい。その通りです」
「パイの芳ばしさ、魚の風味と香草の香り、ソースの風味も……すべてが混然となって素晴らしいお味ですわ。そして、その風味を損なわないように、あえて、香りの薄いキノコの歯ごたえを追加しているというわけですわね」
ソースの中、滑らかな舌触りのキノコが隠れていた。コリコリ、カリリっと音を立て、キノコを噛みしめ、思わずと言った様子で微笑む。
「ああ、素晴らしいお味ですわ。実にお見事、感服いたしましたわ」
「あの……ミーア姫殿下」
ふと目を向けると、ルシーナ夫人が、神妙な顔で見つめていた。
「あら、なにか……?」
「リオネルから聞いています。ミーア姫殿下は、私の夫、マルティンのしようとしていることを、阻止するおつもりだと……」
「ええ、まぁ、そうですわね。ルシーナ司教のなさろうとしていることには、賛同はいたしかねますわ」
「では、なぜ、ここに戻ってこられたのですか? ここは……あなたにとって敵の家では……?」
ミーアは、ふむ、っと小さく唸ってから……。
「ふふふ、このシチューが、とても美味しかったから……でしょうか」
冗談めかした口調で言った。めかしているだけであって、本当に冗談であったかどうかは定かではないが……。
「……え?」
目をパチクリと瞬かせるルシーナ夫人に、ミーアは続ける。
「わたくし、ここでいただいたお料理をとっても気に入ってしまいましたの。わたくしたちのためを思って……というよりは、子どもたちのためを思ってなのかもしれませんけれど……とても心がこもっておりますわ。だから……」
パクリ、とパンを一口食べてから、ミーアは続ける。
「できれば、ルシーナ司教に思いとどまっていただいて……敵ではなく、客人の立場に戻りたいと思っておりますの……それがわたくしの望みですわ」
「ミーア姫殿下、お戻りになられていたのですか……」
その時だった。食堂に、リオネルが入って来た。
「ああ、リオネルさん。ええ、今、お食事を。それに、お母上と少々お話ししていたところですわ」
ミーアは、残っていたパイ包み焼きを、ひょいひょいひょい、っと流し込み……、口元をササッと拭ってから、
「それでは、わたくし、部屋に戻らせていただきますわ」
優雅に一礼してから、食堂を後にした。




