第百十四話 怒れるメイドと流れ矢と
「へ? 依頼人、ですか?」
シャルガールは、きょとんと首を傾げる。
一瞬、依頼人のことは詳しく言えません……などと突っぱねられるかと思ったのだが……。
「さぁ……普通の若い商人だったので、覚えていることと言われても、特には……」
心の底から興味がないといった様子で首を振るシャルガールである。
「なにか、ございませんか? どこかで見かけたことがあるとか……」
「うーん……あまり部屋から出ないので……」
シャルガールの後ろには、何枚か、描きかけの絵があった。どうやら、普段は、ここにこもって絵を描いているらしい。
「なんでもいいのです。印象とか、言葉の訛りとか、あるいは、匂いとか……」
「そうですね。そういうのにもあまり興味が……あっ! そうだ!」
っと、そこで、シャルガールは手を叩いて、
「絵のモデルには、あまり相応しくないかな、と思いました。華がないというか、絵描きの心をくすぐらないとか……そういう意味でも、普通の人でした」
サラリと失敬なことを言うシャルガール。モデルとして相応しくない、と言われたミーアは、思わず、ヒクッと頬を引きつらせる。
っと、その時だった。
「あの……よろしいでしょうか?」
意外なことに、アンヌが声を上げた。その顔は、とても険しいものだった。
「ええと? なにか……?」
「シャルガールさんは、なにをもって、絵のモデルに相応しいとおっしゃっているのですか? どんな意味で華がないとか、絵描きの心をくすぐらないとか、言っておられるのですか?」
ちょっぴり怒った声で、アンヌが尋ねる。
「ええと……? それはどういう意味ですか?」
「美しいとか、美しくないとか、そういったことをどのような基準で判断して言っているのでしょうか?」
食い下がるように、アンヌが言う。
――ふむ、そう言えば、シャルガールさんに、ずいぶんと怒ってましたわね、アンヌ。わたくしが、絵のモデルに相応しくない、と言われたから……。
どうやら、自分のために怒ってくれているらしいアンヌ。それがちょっぴり嬉しくもあり……。
――しかし、これ以上、アンヌの美容的指導が厳しくなるのも、これは問題ですわ。ケーキとかクッキーとか好きな時に食べられなくなってしまいそうですわ……。
ううぬぬ、っとミーアが唸っていると……。
「それは、私の美的感覚を問うているのですか?」
アンヌの問いかけに、シャルガールの表情もまた険しくなっていた。
「美的感覚……そうですね。それがどのようなものなのか、ぜひお聞きしたいなって思って。先日、言っておられましたね。ミーアさまが、モデルに相応しくない、美しくない、全然、可愛くないし、華がない、と!」
アンヌは、ものすごく怒っていた!
なるほど、自分の名誉のために、アンヌが怒ってくれるのはとても嬉しい。確かに嬉しいのだが……。
――あ……あら? 相応しくないというのは言ってた気もしますけど、美しくないとか、可愛くないとか、華がないとか、言われたかしら? 具体的なことは、特に言われてなかったような……。
などとは思ったものの、激昂するアンヌに口を差し挟めるわけもなく……。
「うーん、感覚を言葉にするのは難しいんですよね。こう、見た瞬間にビビッとくるかどうか、みたいな……?」
首を傾げつつ、そんなことを言うシャルガールに、アンヌはキッと目を向けて……。
「見た瞬間……つまり見た目、人のうわべだけ……外見的な美しさだけが重要なんですか? あなたが美しいと、外見を評価した人がモデルに相応しいと……」
「まぁ、そう……ですけど……」
そこで、ようやくシャルガールは気付いたらしい。アンヌが、怒っているということに……。なにやら、落ち着かなげに目を泳がせる彼女に、アンヌは続ける。
「その外見的な美しさだけを忠実に描きこむことだけが、あなたのしたいことなんですか?」
畳みかけるように質問を重ねていく。さすがに、これは、機嫌を損なってしまうんじゃ? と心配になってシャルガールの顔を見ると、彼女は……何やら微妙な顔をしていた。
もちろん、機嫌が良くはないのだろうけれど、どちらかというとそれは、意表を突かれたというか……あるいは、なにか悩んでいるような……そんな顔だった。
「そんな人にミーアさまを……可愛くないだなんて……」
「アンヌ……」
まだ言い足りなそうなアンヌを、ミーアは片手を挙げて制する。
「わたくしのために怒ってくれたのは嬉しいですけれど……今日は文句を言うためではなく、お願いに来ている立場ですから」
「あっ、もっ、申し訳ありません」
アンヌはミーアに頭を下げて、それから、シャルガールのほうに向いて、深々と頭を下げた。
「申し訳ありません。過ぎたことを言ってしまいました」
そんなアンヌにシャルガールは、慌てて首を振り、
「いえ、もしも、不快にさせてしまったら申し訳ありませんでした。どうも、私は、デリカシーに欠けるとよく言われてて……」
などと、一応の和解が済んだところで、ミーアは口を開いた。
「シャルガールさん、わたくしから、一つ依頼がございますの」
「はぁ、依頼……ですか?」
「ええ。そうですわ。あなたに描いていただきたいものがございますの」
一度、言葉を切って、もったいつけるように一呼吸。それから、
「聖女、ラフィーナ・オルカ・ヴェールガをモデルにした、女神のような肖像画を……」
ミーアは、重たい口調で言った。
「わたくしの時よりも、派手なものが好ましいですわ」
余計な一言を、付け足して……。