第百十一話 獅子聖女を召喚せよ
ルシーナ司教のもとを辞してから、ミーアは悩ましげなため息を吐いた。
「どうやら……説得は難しそうな気がしますわ」
単なる思い付きでもなければ、欲に目がくらんだわけでもない。地を這うモノの書と女神肖像画を押さえている以上、動くべき理由も十分だ。
――これは、なにかしら、彼の理屈を打ち砕く必要がありますわね。くぅ、なかなか、難しいですわ。
「申し訳ありません、ミーア姫殿下」
すまなそうに口を開いたのはリオネルだった。その顔色は、やはり優れない。
「別に、あなたが謝るようなことではありませんわ。親の罪は子が償う、などというのは、理不尽なことですから」
初代皇帝の末裔、ミーアが常に主張し続けることである。
「しかし、困りましたわね……どうしたものか」
ポッタッキアーリ候の先行部隊を潰すことで……商人組合の私兵団が問題なく機能するとして……、いったいどの程度、持ちこたえることができるか。
「当たり前の話ですけれど、全面的に戦いが始まってからでは止めるのは困難。軍が展開する前に何とかしなければ……」
「そうですね。ディオン殿たちが、ポッタッキアーリ候の先行部隊を押さえつつ、ゲイン王子殿下にポッタッキアーリ候の動きを止めてもらえれば、多少なりとも時間稼ぎにはなるはずですが……」
ミラナダ王国軍はすでに動いているが……そちらは、ルシーナ司教が止めてくれるのを期待するしかない。二つの軍で拮抗状態を作り出すためには、先にミラナダ王国軍が突入してくるような事態は避けたいはずだからだ。
「それでも、確実性はありませんし……。急ぎ、何とかしなければいけないということですわね。ううむ……」
ミーアは眉間に皺を寄せながら、むーむむ……っと唸る。それから、チラッとルードヴィッヒを見て、レアを、リオネルを見る。シュトリナやベルにも目をやるが……誰も口を開いてはくれなかった。
――くぅ、どなたか、この窮地を打開する良い手はないのかしら? 今であれば、一切文句を付けずに二つ返事でアイデアを採用してあげますのに……。
イエス! という機会を窺う、貪欲なイエスマンミーアであるが……あいにくと、その機会は与えられなかった。なので、仕方なしに……。
「あまり意味はなさそうですけど……仕方ありませんわ。シャルガールさん……彼女にお願いしましょうか……」
なんとか、アイデアをひねり出す。
「彼女に、ですか……?」
想定外の言葉だったのだろう、ルードヴィッヒは目を瞬かせた。
「シャルガール嬢に、いったいなにを……?」
「そうですわね……」
実際のところ、彼女に、証言をしてもらうことには、ほとんど意味がない。
怪しげな商人が依頼に来たと言ってもらったところで、その商人が蛇であったとしても、ただの商人であったとしても……どちらにせよ問題だとルシーナ司教は言っているのだから。
だからこそ、ルードヴィッヒが怪訝そうな顔をするのは頷けることだった。けれど、この時のミーアの思い付きは、ルードヴィッヒの想像を軽く超えていた!
「彼女には……絵を描いていただこうと思っておりますわ……ラフィーナさまの、絵を……」
斜め下方向に、超えていたのだ!
「ラフィーナさまの絵……ですか?」
心の底から怪訝そうな顔をしたルードヴィッヒであるが、すぐに眉間に皺を寄せ、何やら考え始める。一方、リオネルやレアも意味がわからず、言葉を失っている。
「まぁ、上手くいかない可能性のほうが高いでしょうけれど、上手くいけば……あるいは……」
そう意味深につぶやくミーアが考えていたこと……それは……。
――ラフィーナさまの……わたくしよりも派手な女神っぽい肖像画を描いていただいて、誤魔化す……これしかありませんわ!
……ミーアは、混乱していたっ!
高度な神学的論争を前に、ミーアの脳みそは煙を上げていたのだ。モクモクミーアなのだ。
すなわち、ミーアはこう考えていた。自分一人が女神肖像画のモデルになってるから、偶像化とかガチっぽく、深刻っぽく映ってしまうのだ。ラフィーナも巻き込み、ほかにも何人か女神肖像画を作れれば、ただのジョーク商品と言い張れるかもしれないではないか。
まぁ、ラフィーナには多少、怒られるかもしれないが、この際は仕方ないと諦めるミーアである。
すでに、ルシーナ司教の手にある以上、もはや隠し立てすることはできない。なかったことにはできない。減らすことができないなら、いっそ増やして、薄めてしまえばいい。
名誉も負担も責任も何もかも……分散化に勤めるミーアである。
「ともかく……できる手を全部打って止めなければなりませんわ。なんとかして、ルシーナ司教を説得しなければ……」
「そう、ですか……。では、シャルガール嬢のところに参りますか?」
なにやら、もの問いたげな顔をしていたルードヴィッヒだったが、すぐに気を取り直した様子で言った。
「そうですわね。急いで……」
「ミーアさま」
その時だ。レアが、意を決した様子で話しかけてきた。
「あら、レアさん。なにか……?」
レアは、ギュッと拳を握りしめたまま、小さく息を吸って、吐いてから……。
「ミーアさま、私、ラフィーナさまを呼びに行ってきたいと思います。回遊聖餐の日程はある程度決まっていますから……お会いすることは可能なはずです」
「おい、レア、なにを言ってるんだ!」
そんなレアの肩に、リオネルが手をかける。
「わかってるのか? ラフィーナさまは、回遊聖餐の途中なんだぞ。あれは、ヴェールガ公国にとって大切な儀式で……」
っと、そんな兄に、レアは静かに頷いて、
「わかってる……。だから、私が代わりに……」
「でも、レア……。お前は、人見知りで……」
妹のその言葉に、リオネルは目を見開いた。レアは兄の手を優しく外すと、ミーアのほうに顔を向けた。
「お父さまは、ラフィーナさまが大切な儀式に参加している、この時期を狙って動いたのだと思います。裏を返せば、ラフィーナさまがセントバレーヌにいらっしゃることを、避けたいのだと思います。だから……」
「そういうことならば、我が連れて行こう!」
っと、力強く請け負ったのは、いつの間にやって来たのか……偉そうに胸を張る火慧馬だった。
「我と蛍雷であれば、そう時間をかけずに行って帰ってくることができるだろう」
「慧馬さん……」
この場に、有能な乗り手、慧馬と彼女の愛馬がいたことが、不幸中の幸いと言えた。ミーアは信頼を込めて、慧馬に頭を下げる。
「そうですわね。お願いいたしますわ」
「うむ、任されよう!」
どん、っと胸を叩く慧馬が、実に頼もしかった。
「ともあれ、間に合うかは微妙なところですわね。時間稼ぎをするのはもちろん、やはり、わたくしたちでも動いておかなければ……シャルガールさんのところに行きますわよ」
ミーアは自らの考えを形にするべく、動き出した。




