第百九話 シュトリナ、思うところがある……
案内されたのは、教会堂内の広い食堂だった。
普段は、ここで、近所の子どもたちや孤児院の子どもたちに食事を配給しているのだという。あまり、秘密の対談をするには適さない場所ではあるが、そもそも、名目上は気軽なお茶会だ。仕方ないだろう。
各人が席に着くと、すぐに紅茶とお茶菓子が出てきた。しっとりとしたケーキだった!
「ほう……これは……手が込んでますわね」
どうやら、生地に果物のソースをしみ込ませているらしい。断面を見ると、そこにはナッツ類が練り込まれていた。
では、早速……などとフォークに手を伸ばそうとしたところで……シュトリナがスッと手を伸ばしてきた。
「ミーアさま、ケーキを交換いたしましょうか?」
「え……?」
ミーア、一瞬、驚きに目を見開く。切り分けられたケーキの大きさは、自分のもののほうが大きかったからだ!
「り、リーナさん……?」
「なるほど……。連れの令嬢に毒見をさせよう、ということですか?」
ルシーナ司教のその指摘で、ようやく気付く。
――あ、ああ、そうですわよね。なるほど、毒見……。確かに、そういう可能性もございますわね。
ルシーナ司教が陰謀に加担している疑いがある以上、そういうことだってあり得るわけだが……そんなことまーったく考えていないミーアである。
てっきり、シュトリナの中に眠る、父ローレンツ公の血が目覚めたのでは……? なぁんて、失礼なことを思ってしまったミーアなのである。
だが、それも仕方のないことかもしれない。可憐な見た目から忘れてしまいそうではあるが、シュトリナの父は、若干、FNYッとした人なのだ。
さて、ルシーナ司教の指摘に対して、シュトリナは可憐な笑みを浮かべて……。
「いいえ、リーナはただ、食べるのが好きなだけです。なにしろ、帝国の叡智の胃袋と言われてますから……」
それから、チロッとミーアのほうに目をやるシュトリナ。どうやら、ミーアの心の中は読まれていたらしく、ちょっぴりご立腹の様子であった。
「あ、ああ……あの時は……」
そんな様子に慌てるミーアであったが……そこで、楽しそうな笑い声が響いた。
「うふふ、リーナちゃん、健啖家なのはいいことですよ。リーナちゃんが、たーくさん食べるところが可愛いって言ってましたから」
「え……? 誰が……はっ!」
即座に、シュトリナは口元を押さえて……。
「ううん、言わなくていいから。ベルちゃん」
「え? そうですか? でも……」
「いいから。本当、大丈夫だから!」
それから、シュトリナは、急いでパクリとケーキを一口。もぐもぐ、ごくり、とやって……。
「さ、ミーアさま、話を進めてください」
どうやら、大丈夫だったらしい。それで、ミーアは一つ頷いてから……。
「ルシーナ司教、ミラナダ王国軍の動き、それに、ポッタッキアーリ候に不穏な動きがございますけれど、司教はすべてご承知のことですの?」
単刀直入に、ルシーナ司教……とケーキに切り込む。フォークで大きめに切り込み、あーんぐり、と一口。舌の上にジュジュワッと広がるソースの甘味に、思わず、ほわぁ、っと笑みを浮かべてから……。キリッとした顔でルシーナ司教に目を移した。
「無論です。なにしろ、私が依頼したことですから……」
彼は、表情一つ変えずに、紅茶のカップを手に取った。
「そんな……」
あまりのショックに言葉を失うリオネル。
さすがのレアも、こんなにあっさりと……しかも、悪びれる事もなく認めるとは思っていなかったのだろう。呆気にとられた顔をしていた。
「そう……けれど……」
ミーアは、一瞬、口にするのを躊躇う。が……。
「大丈夫でしょう、ミーアさま。それを我々が知っているというだけでも、牽制になりますから」
ルードヴィッヒがそう請け負ってくれたので、自信を持ってミーアは言った。
「ポッタッキアーリ候の策に関しては、すでに聞いておりますわ。候の邸宅にも、我が専属近衛隊の精鋭が向かっておりますわ。それに、商人組合の私兵団にも、このことは知らせています。だから、事前にこの町の防衛力を削ぐという企みは、すでに破綻しておりますわ」
「そうですか……。上手くいかなかったのは残念です」
ルシーナ司教は、特に感慨を受けたようには見えなかった。深く憂いを帯びた瞳で、ただ、カップの中を眺めているだけだった。
「ですから、すぐにミラナダとポッタッキアーリ候に連絡を入れていただきたいですわ。このような騒乱を起こすことに意味などないのですから」
「いえ、むしろ、ミーア姫殿下、どうぞ商人組合に勧告してください。商人組合の保有する武力を放棄し、セントバレーヌの統治権をヴェールガ公国に帰すると……そう宣言するように。もともと彼らは商人。政治から手を引き、商売に専念せよと言われることに、不都合はないでしょう?」
ルシーナ司教の言葉は固く、その目には依然として強い力があった。決して折れない人の態度であった。
「父上! もうこのようなことは、おやめください! セントバレーヌを手に入れたとして、いったい、何になるというのです? この地の、港の富が父上を惑わせたのですか? それとも、権力ですか? 名誉ですか?」
「そのどれでもない。それに惑ってもいない。私は、自分がなにをしているのか、きちんと把握しているつもりだよ、リオネル」
息子に、穏やかに声をかけて、ルシーナ司教はミーアのほうに目を向けた。