第百八話 ミーア姫、ちょっとだけ獅子の風格を帯びる
一同は一斉に動き出した。
ビオンデッティは、商人組合の主だった面々を召集。町を守る私兵団の長たちにも注意を促し、即応態勢を取らせる。クロエも父であるマルコと合流して万が一に備えるという。
一方、アベルたちは、ポッタッキアーリ候邸を急襲すべく、皇女専属近衛隊のメンバーと合流する。指揮はディオンがとることになるだろう。
幸いなことに、秘密裏に町の中に入れる必要があったため、相手は少数精鋭らしい。
「こっそりとセントバレーヌに兵を送っておいて、私兵団の各兵長を排除する作戦なのだ、と言っていたな。不穏な動きを察知されぬよう、できるだけ数を絞った、ポッタッキアーリ侯爵家の精鋭中の精鋭であると……」
「ほう……精鋭中の精鋭……」
ミーアは口元を押さえて考える……ふりをして、にんまーりとほくそ笑むのを隠す。
なにしろ、こちらには少数精鋭の極致たる男……ディオン・アライアがいる。
さらに言えば、皇女専属近衛隊の面々にしても、かなりの精鋭。レッドムーン家じゃあるまいし、一貴族の私兵団の精鋭など、鼻で笑ってしまう程度のものなのだ。
――いえ、油断は禁物ですわ。レムノ王国は軍事に力を入れていると聞きますし……。
キリリッと顔を引き締め、ミーアはディオンたちに「くれぐれも油断のなきように」と言い含めておいて……。
それからミーアたちは、今回の騒動の肝であるルシーナ司教のところへ向かった。
その道中……。
「大丈夫ですか? リオネルくん」
そんな声に振り返れば、リオネルが蒼白な顔をしていた。そんな彼に優しく声をかけたのは、ベルだった。その顔を覗き込み、心配そうに眉根を寄せる。
話しかけられたリオネルは、ハッと顔を上げて、硬い表情のまま首を振った。
「大丈夫です。父が……あんなことをするはず、ありませんし……それに、もしもそうだとしても、きっと話せば……わかってもらえるはずですから」
「そうですね。きっと誠心誠意話せば、きっとわかってもらえますよ」
励ますためだろうか、楽観的なことを言うベルであったが……それでリオネルが納得した様子はなかった。さらに……。
「…………」
レアのほうもまた、先ほどから黙り込み、なにがしか思い悩んでいるようだった。
――レアさんは、なにか思い当たることがあるのではないかしら……。ルシーナ司教に会う前に、少し話を聞いておきたいところですけど……いえ、やっぱり先にルシーナ司教ですわね。
ともかく一刻も早く、ルシーナ司教を説得して、軍を止めなければならない。
今の時間、司教は教会に詰めているという。馬車を飛ばし、教会前までやって来たミーアは、バーンっと勢いよく重厚な扉を開け放つ。っと、広い礼拝堂の前方、聖餐卓の前で膝をつく司教の姿があった。目を閉じ、祈りの姿勢を取る司教に声をかけて良いものか……。迷うミーアを尻目に……。
「父上……お話があります」
リオネルが声をかけた。ずんずんとそばまで歩み寄り、真っ直ぐにルシーナ司教の背中を睨みつける。
それでも、司教はしばらく、その姿勢を取り続けた。その後、静かに立ち上がり、
「どうかしたのか、リオネル……。それに、みなさんも……なにかご用でしょうか?」
みなの顔を順番に眺めていってから、その視線が止まったのはミーアのところだった。
「ええ……。リオネルさんが言っておられましたけど、少しルシーナ司教とお話ししたいことがございまして……」
「ほう。それはちょうど良かった。実は、私からもお話があったのです」
笑みを浮かべたまま、ルシーナ司教は言った。
「ちょうど、新しいお茶菓子が届いたものですから、またご一緒にいかがかと……」
「ほほう! 新しいお茶菓子。それは……」
脳内に、めくるめく新作スイーツの行列が躍りながら横切っていき……。思わず声と体が踊り……そうになるも、すぐに思い出す。
今は、自分一人ではない。そうそう浮かれてはいられないし……そもそもの話、これまでも美味しいお菓子でやり込められた、などということがバレるのはバツが悪い。
刹那の思考の後、ミーアは声のトーンを落とし……。
「それは、ちょうど良かったですわね。てっきり忙しいから、お付き合いいただけないものと思っておりましたけれど……」
喜びのあまり声が踊りかけた理由をさりげなくつけ足して、誤魔化しつつ……、
「それにしても、新しいお茶菓子とは心躍りますわ。そんな素晴らしいものがあるならば、わたくし一人で楽しむのもなんですし、みなも一緒によろしいかしら?」
スッと後ろを振り返る。
ルシーナ司教にやり込められた時は、仲間たちの助力を得られていなかった。特に知恵袋ルードヴィッヒを同行させることができなかったのは痛手だったと考えるミーアである。
あの時は、家臣をお茶会に連れて行く流れにならなかったからできなかったが……。
「一糸をもまとうことなき舌には、姫も貴族も民もなく、ただ人と人とがあるのみ……。と、わたくしは思っているのですけれど……」
かつてのラフィーナの言葉を剽窃し、ちょっぴりアレンジすることで、獅子の風格を言葉に宿すミーアである。
「なるほど……。美味の前には、王も民も貴族もない……と、そういうことですか」
「ええ。あなたならば、同意していただけると思いますけれど……。ディナーにわたくしの従者たちを参加させることを勧めてくださったあなたなら……」
「確かに、同意しないわけにはいかないでしょうね……」
ルシーナ司教は苦笑いを浮かべてから、
「もちろん、みなさんもご招待いたしますとも」
「それはなによりですわ。いろいろお話しして、互いの胸の内を明かし合うことにいたしましょう」
その答えに、ミーアは、嫣然と微笑むのだった。