第百六話 慧馬への依頼
「商人組合に軍事力を放棄させ、政治的影響力を低下させる……そのための助力を求める、と……。そう、派遣司教の側から持ち掛けられたというのだな?」
ポッタッキアーリ候の話を聞いたゲインは、眉根を寄せた。
「そのとおりです。そもそも、セントバレーヌの現状からしておかしいのです。貴族ではない商人が町を治めるなど……」
っと、片手を挙げて、ゲインは言葉を遮って……。
「それは、司教の主張か?」
「無論です。ああ、ですが、私も同意見ですが……」
どうやら、司教の側の言い分を繰り返していただけのようだった。無能者め、と心の中で毒づいてから、ゲインは口を開いた。
「それで、軍を動かす見返りとして、商人組合の持つ権益の一部を任せる、と?」
「ええ。まぁ、ミラナダ王国にも声をかけているらしいですが、僭越ながら私は、商いの心得もございますので、後れを取ることはございません。セントバレーヌの権益に食い込み、見事、港を手に入れてみせましょう」
自信たっぷりに言う侯爵に、ゲインは冷ややかな笑みを浮かべる。
「そのうえ、先行部隊によって私兵団の主だった面々を亡き者とし、敵軍を混乱せしむれば、こちらのほうが功績は多いか……」
セントバレーヌの別邸には、すでに秘密裏に十名前後の兵士が滞在しているという。いずれも腕利きの彼らを使って暗殺部隊を編成、セントバレーヌの守備を担う商人組合の軍の指揮官を討ち取る算段になっているらしい。
指揮官を失った混乱の中、自軍より多くの兵に囲まれれば戦意の低下は避けられない。戦わずして、セントバレーヌを手中に収めることも可能になる……と。
ポッタッキアーリ候の話す作戦は、そんなところだった。
「必ずや、セントバレーヌの権益は、我がレムノ王国の繁栄へと繋がりましょう!」
豪語するポッタッキアーリ候に冷めた目を向けていたゲインであったが、
「いや、見事だ。ポッタッキアーリ候。お前の国に対する貢献、誠に大なるものだ!」
次の瞬間、明るく、実に上機嫌な声で言った後、
「それで、どうだろう? その功績に、俺も与らせてはもらえぬか?」
「え……?」
「幸い、今回は現地の兵たちが上手く動いてくれれば、戦闘は起こるまい。俺が一軍を率いて参じても、特に大きな問題はないと思うが……」
「い、いえ……そのような……。ゲイン殿下のお手を煩わせることになるのは……」
汗を拭きつつ、難色を示すポッタッキアーリ候であったが、ゲインはさらに踏み込んで……。
「いいや、ぜひそうすべきだ、ポッタッキアーリ候。その功績、もしもお前が独り占めするようなことになれば……我が父は、嫉妬の目を向けるやもしれんしな……」
「それは……確かにそうかもしれませぬが……」
ポッタッキアーリ候の顔に、苦い表情が浮かぶ。
「それに、お前は忘れているかもしれないが……俺は、レムノ王国の次の国王だ。今の内から、恩を売っておくに越したことはないと思うが……」
上目遣いに睨む……。っと、ポッタッキアーリ候は、一瞬、息を呑んだようだったが……。
やがては、しぶしぶ頷いた。
「そうかそうか。それはなによりだ」
それを見て、ゲインは上機嫌に笑うのだった。
さて、会談の後、ゲインたちは客間に通された。
部屋に入るまでは、ずっと「めでたい、セントバレーヌが手に入るぞ!」と上機嫌そうに話していたゲインであったが……部屋に入り、案内の者が退室した直後、不機嫌そうな顔になって……。
「おい、火慧馬……お前、乗馬の腕前はどうなんだ?」
唐突に、尋ねてきた。
「むっ、ゲイン・レムノ……お前、我のことを愚弄する気か? 騎馬王国の乗り手に乗馬の腕を尋ねるとは……」
「なに、ただの雑談だ。気軽に答えろ。それで、どうなのだ? 我がレムノ王国の……それこそ貴族の私兵程度ならば振り切れるし、馬上弓兵の矢にも当たらぬほどに、馬に乗れるのか?」
「それは当然…………。ん? もしや真面目に聞いているのか?」
胸を張り答えようとした慧馬だったが……ゲインの顔を見て姿勢を正す。
「ああ、残念ながら、そうだ。王族としての敬意を払い、騎馬王国の火族の姫、火慧馬に尋ねる。貴女は、ポッタッキアーリ候の騎兵を振り切り、目的の場所に辿り着くことができるか?」
「そうか……ならば、我も敬意を持って答えよう。我は、火族の族長の妹にして戦士。我が馬は天馬さえも置き去りに地を駆ける名馬蛍雷なり。ゆえに、矢を番える隙さえ与えず、地の果てまで駆け抜けよう。レムノの騎兵が何騎来ようと、捕まることなど決してない」
その答えに満足そうに頷いて、ゲインは言った。
「……ならば、一つ頼まれてほしい。このことを、セントバレーヌの商人連合に伝えてもらいたい。できれば、ポッタッキアーリ候が動き出す前に……な」
「良いのか? 我がいなくなれば、お前の立場は……」
慧馬の問いに対して、ゲインは、彼らしくもなく、疲れた笑みを浮かべた。
「なに、心配はいらない。我がレムノ王国では、女は物の数には入らん。騎馬王国の女が一人いなくなったところで、誰も気にもしないだろうよ」
変わって口を開いたのはギミマフィアスだった。
「よろしいのですか? ゲイン殿下。セントバレーヌの利権は確かに魅力的なもの。今回は、大義名分も揃っているようですが……」
レムノの剣聖の指摘に、されど、ゲインは、忌々しげに首を振った。
「阿呆が……。レムノ王国の軍がヴェールガ公国の飛び地に進軍する……? そのようなこと、成功するはずがない。それに、仮に成功したとして、我がレムノ王家に利点はない。むしろ、ポッタッキアーリが権勢を増し、つけあがった奴が良からぬことを考えるやもしれぬ」
あの革命未遂事件以降、王家と民の信頼関係は回復していない。そんな中、力のある貴族の台頭は、あまりありがたい話とは言えない。
「小麦の不作のこの年に、港を手中に収める貴族の出現は避けるべきだ。下手をすればレムノを割ることになる」
「しかし、南部の貴族たちは、宰相殿が抑えになっているのでは?」
先の事件でも、老齢の宰相は王家を裏切ることはなかった。彼の存在は、南部の貴族たちを抑える重しのようなものだった。が……。
「ダサエフ・ドノヴァンか。確かに奴は良識ある穏健派。民をいたずらに苦しめるようなことはしなかろうが……、生憎と我が父は良識ある人間とは言えんのでな。ポッタッキアーリ候のほうが民の幸福に繋がると考えるなら、容赦なく王家を切り捨てるだろう」
ゲインは、自らの父のことを、そこまで信用していないのだ。
「それに、なにより、ヴァレンティナさまの暗殺を目論んだ貴族が力を持つことは許容できない、ですかな?」
ギミマフィアスの、どこかからかうような問いに、ゲインは不機嫌そうに顔を歪めた。
「姉上……あの女は関係ない。あくまでもレムノ王国の王子としての判断だ」
舌打ちしつつ、ゲインはつぶやく。
「いずれにせよ、ポッタッキアーリ候の本軍をしばし足止めせねばなるまい。やれやれ」
「それで、止まりますかな?」
「止まってほしいものだな。それが一番マシな未来だからな」
吐き捨てるように言ってから、ゲインは慧馬のほうを見て……。
「それで、俺の頼みは聞いてもらえるか、火慧馬」
その問いに、慧馬は、ふぅむ……と腕組みしてから……。
「いいだろう。戦乱は、我が友ミーアの望むところでもないしな……」
「すまんな。この借りはいずれなにかの形で返そう」
「期待しよう。ちなみに我は、馬以外だと焼き菓子などが好みだ」
それだけ言うと、慧馬は颯爽と部屋を出て行った。