第百四話 良い秘書の資質
「慧馬さん、なぜ、セントバレーヌに……? というか、確か、ヴァレンティナお義姉さまのところに行っていたはずではありませんの?」
いつも通り自然に、さりげなく! ヴァレンティナをお義姉さま呼びするミーアである。まぁ、いつものことなので、それは良いとして……。
「ああ。そうなのだ。実は、巫女姫ヴァレンティナを閉じこめている塔に行ったら、そこで、ゲイン王子と護衛のレムノの剣聖と出会ってな……」
ごくごく自然に、さりげな~く、慧馬はディオンから距離が取れるミーアのそばで話し始めた。そのさりげなさは、ミーアがクッキーをペロリ、ゴクリする時に匹敵するほどの、さりげなさだった。
そうして、そのまま話し出そうとした慧馬に、ビオンデッティの秘書が素早く椅子を用意する。敏感に空気を読むことは、良い秘書の資質なのだ。
「ああ、感謝する」
非常に心のこもった感謝を告げて、慧馬はその椅子に腰かける。それから、目視でディオンの位置を確認。とりあえず、大丈夫そうだぞぅ、っとばかりに頷き、ふぅー、っとため息を吐く。
それから、ふと、その目がミーアの空いたお皿に留まった。
「ん? ああ、そうですわね。申し訳ないのですけど、クッキーを慧馬さんにも、それとわたくしにも……」
「ミーアさま、私が行ってまいります」
すっくと立ち上がったのは、アンヌだった。よく働く、気の利くアンヌに、ミーアはニッコリ笑みを浮かべて、
「ええ。では、よろしくお願いいたしますわ」
送り出した、のだが……。
帰って来たアンヌは、慧馬の前にクッキーの載ったお皿を置き、ミーアには代わりの紅茶を置くのみだった。
「あ、あら……?」
「ミーアさまは、もうたくさんお召し上がりになっていますので……」
ニコニコ、笑みを浮かべつつも、断固たる口調で言うアンヌ。
――妙ですわ……。先日来、アンヌが……厳しくなってしまいましたわ! おのれ、あのシャルガールという画家……許しませんわ!
すでに一皿ペロリした後にもかかわらず、そんなことを思うミーアである。鼻息荒く、ぐぐっと怒りに拳を震わせる。
まぁ……クッキーの怒りは、デザートで洗い流してしまえるのがミーアの美徳なので、まったくもって心配はないわけだが……。
そうして、クッキーを三枚ほど、パクリ、サクリとやってから、慧馬は小さく首を傾げた。
「ええと、それで、どこまで話したか……そうだ。ゲイン・レムノと出会ってな……」
「兄上と……」
本題に戻った慧馬に、アベルはわずかに眉間に皺を寄せ、
「もしや、なにか失礼なことを言われたり、されたりしたのでは……」
心配そうに尋ねる。っと、
「うん? ああ、いや……そうだな……」
慧馬は、ううん、っと首を傾げて……腕組みして……考えることしばし。
「いや、特に、どうということはなかったな。うん。それに、蛍雷を褒めてくれたし、馬を見る目があるのには実に感心させられたな!」
上機嫌に笑う慧馬は、馬ファーストな騎馬王国の人なのであった。
「そう……か。いや、なにもなかったのなら良いのだが……」
「まぁ、そういうわけで、我はゲイン・レムノと出会い、同行することにしたのだ」
「あら? ゲインさんと同行まで? いったい、なぜ、そのようなことに……?」
慧馬は、ここしばらく怪我をした兄、馬駆の代わりに蛇導士を追っていた。
顔馴染みの燻狼はもちろんのこと、巫女姫のもとで鍛えられた火族出身の蛇導士は、各地に身を潜めて、活動を行っていると聞く。
その彼らを狩り出すために、いろいろ動いているものだと思っていたが……。
「ああ、それは……」
慧馬は、何事か言おうとしたが、そこで言葉を止めて……。
「いや、それは、アベル・レムノとも関係がある話ゆえ、我が気安く話すわけにもいかなかろう」
眉間に皺を寄せて、慧馬は首を振って。
「まぁ、いろいろ事情があって、同行することにしたのだが……。その向かった先が、レムノ王国南方の地、ポッタッキアーリ侯爵領であったのだ……」
領都に着いたのは、夕暮れ時であった。
レムノ王国の南西の地、ポッタッキアーリ候の領地には、セントバレーヌとレムノ王国を結ぶ街道が存在する。
それは、さながら国と海とを繋ぐ陸の運河。海から見たレムノ王国の玄関口として、流通の要衝として発展した豊かな土地であった。
国境沿いの地でもあるため領都の城壁は高く、巨大な城門も極めて立派なものであった。にもかかわらず、その門は夜ですら一度も閉じられたことがないと、もっぱらの評判であった。
いついかなる時でも商人の出入りを妨げない。賊が侵入しないよう、街の中の巡回する兵の数を増やしてでも、流通を重要視するそのやり方は、ポッタッキアーリ侯爵領の特徴をよく表すもの……の、はずだったのだが……。
「妙だな……城門が閉じているぞ」
赤い夕陽に照らされた城門は、完全に閉じられていた。
「ゲイン・レムノ……聞いていたとおり、お前、やはり人望が……」
からかうように言う慧馬を、ゲインはジロリと睨んで……。
「姉に聞いたのか、我が愚弟に聞いたのか、興味は尽きんところだが……。あいにく、ポッタッキアーリ候に事前に連絡を入れてはいないのでな」
それから、彼は肩をすくめてから、ギミマフィアスのほうをチラッと見る。
「それで、なぜ、城門を閉じている? 戦争でも始めるつもりでもあるまいに……」
「そうですな……。普通に考えれば、街を守る兵の手に余る凶悪な外敵が現れた……もしくは、逆に、守備兵の数を減らさざるを得ない理由があって、夜の間は閉じることにしたとか。あるいは……近々、戦があるから、城門を閉じる訓練をしている、などということも考えられますな」
「それは、なかなかに面白いことになりそうだ」
唇を釣り上げて、ゲインは城門へと向かった。
「おい……」
城門の上、見張りの兵に声をかける。
通常、そう言った役目は従者のほうがやるものではあるが、かの王子は、あまり面倒なことが好きではないのだ。
声をかけられた見張りは、ゲインのほうを見て訝しげな顔をする。
「なんだ、貴様は……」
「ふん、質の低い番兵だ。自国の王子の顔も知らんか……」
不機嫌そうに言うゲインに、その兵士は驚愕に固まる。
「なっ、なにを言っている。王子殿下がいらっしゃるなどという報告は……」
「ふん、別に問題なかろう。王の息子が行きたいと言って行けぬ場所などないのだからな」
ニヤリ、と口元に皮肉げな笑みを浮かべ、
「とっとと、中に入れろ。それとも、王子である俺を入れられぬ理由でもあるのか?」
実に傲慢極まる口調で言うのであった。
なんだか少し前もそんなこと言っていましたが、今週はミーアが盆踊りでシェイプアップに行ってる関係で少し出番が少なめです(慧馬パートです)