第百三話 大事なことは……
「……それは、どういう意味ですかな? ワシら、商人組合が敵である、などと……」
「さぁて……。どういう理屈かはわからないが、彼らは、セントバレーヌを“支配”する商人組合の排除を掲げて、軍を動かしたようだよ。まぁ、王家自体らが動いたのか、地方貴族の暴走なのかは知らないけどね」
虚を突かれ、みな一様に黙り込む。そんな中、ミーアは一つのことを思い出していた。
――統治者の不正を指摘して、他国が軍事介入する……このやり方は、かつて帝国がされたことに近いですわね。あの時、サンクランドは、民の安寧という普遍的な正義を掲げて帝国に進軍しましたわ。
では、その『サンクランドの正義』を保証したものはなにか? それは、すべての王権は、民の安寧を守るため神から権威を委託されているという、中央正教会の教え。あるいは神自身とも言えるだろうか……。
――ならば、今回の場合は……ミラナダの正しさを保証する者は誰か……彼らがヴェールガ公国に敵対したのだと言わせない……そのことを保証する者は誰かというと……。
そこで、ミーアは一つの可能性に辿り着いた。もしや……っと、リオネルとレアのほうに視線を向けると……。
なにがなにやらわかっていない様子のリオネル、対して、レアは……場合によっては司教帝の立場にすら上り詰める、明敏な頭脳を持つかの少女は……衝撃に口をわなわな、と震わせていた。
――ああ……やはりレアさんも、同じ考えのようですわね。これは、さらに面倒なことになりそうですけれど……。
それでも、誰かに否定してもらいたい、と、一縷の望みをかけて、ミーアは口を開いた。
「これは、ミラナダ王国は、この地の派遣司教……ルシーナ司教と話しをつけてある、と……そう考えるべきなのかしら?」
ミーアの指摘に、ビオンデッティはギョッとする。
「そんな、まさか……」
首を振りつつ、老人は続ける。
「それは、あり得ぬことでしょう。あり得ない」
ミーアの期待通り、彼は否定してくれたが……それはまるで、自分自身に言い聞かせているようで……。
「そうですよ。ミーア姫殿下。我が父が、そのようなこと、するはずありません。そんなことをすれば、セントバレーヌが再び戦火に包まれます」
同調するリオネルもまた、その声に力なく……。
――なんの根拠もなく、感情で否定してる感じがしますわ。
それもそのはずで、ルシーナ司教は、決して馬鹿ではない。合理的に物事を考えられる男だ。しかも、民や弱き者たちのことをきちんと考えられる男なのだ。
――ルシーナ司教が関係しているのだとしたら……しっかりと、考えてからやっているような気がしますわ。民に戦火が及ばぬよう、きちんと算段を付けているはず……。
さらに、なんとか否定して欲しいというミーアの考えを……。
「……ミーア姫殿下の仰るとおりでしょう」
知恵袋、ルードヴィッヒが無情にも認めてしまう。
「すでに話がついているのか、それとも、進軍した後に話をつける算段がついているのかはわかりませんが……ヴェールガと敵対せず、商人組合の影響力のみを排除するというのは、そういうことだと思います」
セントバレーヌはヴェールガにして、ヴェールガにあらず。この地を統治するのは、ヴェールガではない。ヴェールガはあくまでも名前を貸しているだけであり……、そのため、実質的統治者との争いは、ヴェールガとは別のところで起きていることである、と……。
それを主張するためには、ヴェールガから派遣されている司教、ルシーナとは敵対してはいけない。彼がミラナダを敵である、と認定した時点で、ミラナダ王国はヴェールガ公国に対して敵対した、ということになるからだ。
「いや、しかし……いかに我らとの関係が悪化しているとはいえ、そのようなことをルシーナ司教がするとは思えませんが……第一、そんなことをして、ルシーナ司教になんの利があるというのですか?」
その問いに、ルードヴィッヒも頷いた。
「そう……確かにそのとおりです。それでは、商人組合からミラナダ王国へと、このセントバレーヌの権益が移るだけ……。商人組合よりもミラナダ王国のほうが御しやすしと考えただけなのか……それとも何かほかに……」
ルードヴィッヒの疑問には、ミーアも賛成だった。
もし、ルシーナ司教の側からミラナダ王国へ、商人組合の影響の排除を願い出たならば、ミラナダに借りを作ることになる。下手をすると、商人組合以上に御しづらいものにセントバレーヌの支配権を譲るということになりはしないか?
「失礼する。こちらにミーア姫がいると聞いて来たのだが……」
その時だった。部屋のドアが開き、一人の少女が入って来た。
火族の誇り高き戦士……凛とした乗馬の名手にして、族長の妹として一族をまとめ上げる威厳を帯びた人、ミーアの友でもある少女、火慧馬であった。
彼女は、ミーアを見つけると笑みを浮かべて部屋に足を踏み入れ……かけて、直後、ディオンの姿を見て、そっと踵を返し、
「どっ、どうやら、忙しそうなので、また、改めて……」
などと、とっとと逃亡に移ろうとする。が……。
「やぁ、君は火族の族長の妹君じゃないか」
いつの間に動いていたのか、ディオンは、慧馬の肩に、ポンッと剣……ではなく、手を置いた。
「ひぃっ!」
息を呑み、慧馬が跳びあがるが、そんなことには構わずに、ディオンが言った。
「なにか、急ぎの話があったんじゃないのかい? ここにはみな集まっているんだし、また改めて、などと言わずに、話していくといい」
そうして、呆気なく捕まる慧馬を見て、ミーアは思う。
――ふぅむ、やっぱりディオンさんから逃げなければならないような事態になったら……諦めたほうがいいですわね。ということは、むしろ、そうならないようにしっかりと立ち回らなければなりませんわ。ディオン・アライアと敵対しないように……それが大事。
心にきっちり刻み込むミーアであった。