第百一話 帝国最強の騎士の勘
時間は少し遡る。
ミーアたちのことをルードヴィッヒに任せ、ディオン・アライアはセントバレーヌを後にした。彼に付き従うのは、五人の皇女専属近衛兵たちだ。ちなみに、その全員が元ディオンの百人隊の面々である。
「やれやれ、今日は町の宿でゆっくり、と思ってたんですがね」
一人がそう言えば、別の一人が苦笑いを浮かべる。
「それは、ずいぶん贅沢なことだな。百人隊にいた頃じゃ、とても考えられねぇ」
「違ぇねぇや」
普段は、近衛兵として節度を保った口調を心掛けている彼らも、かつての仲間同士で行動するとなると、気が緩むのだろう。その口調は、少々、粗雑なものになっていた。
「ところで、ディオン隊長、一つ聞きたいんですが」
「おいおい、君たちの隊長はバノスだろう」
思わず、ディオンは苦笑しつつも、
「隊長扱いされると、なんだか、バノスの指揮権を侵害しているようで、気が引けるんだけどな」
一応、釘を刺しておく。軍隊である以上、指揮系統の混乱は命に係わる問題だからだ。皇女専属近衛隊をバノス隊長派とディオン元隊長派とで割るようなことになったら、それこそ一大事だ。
「ああ、すいません。わかっちゃいるんですが……どうも、ディオン殿と呼ぶのは、いまいち抵抗があると言いますか、違和感があると言いますか……」
「なるほど、呼び方かぁ。まぁ、適当に呼んでくれて構わないんだが……そうだな。それじゃあ、今日だけは臨時の隊長を務めさせてもらおうかな」
そっと肩をすくめつつ、続ける。
「それで、なんだっけ? 質問があるとか言ってたが……」
「ああ、そうでした。なぜ、このタイミングで偵察に出られたので?」
わずかばかり、表情を引き締めて、近衛兵が言った。鋭い目をしたその兵は、百人隊の中でも目が良く、常に警戒を怠らぬ男だった。
「確かに、セントバレーヌの守備はいまひとつ。町を守る守備兵は、商人たちの雇ってる私兵団だ。命を張ってまで主人に仕えようって気概のない、あまり信用のおけない連中。滞在するには不安な土地ってのはわかりますがね……」
「それとも、お偉い司教さまと顔合わせするのが、気が進まなかっただけとか?」
茶化すような別の兵士の指摘に、ディオンは愉快そうに笑った。
「なかなか鋭いじゃないか。そのとおりだよ」
それから、少しばかり表情を改めて、
「しかし、まぁ、それは半分冗談だとしても、んー。端的に言ってしまうと……勘なんだよね。何か起こりそうっていう勘。別に根拠なんかはないのさ」
「ああ、勘……ですか」
その答えに、近衛兵たちは、実に嫌そうな顔をした。
「ガッカリさせてしまったかな?」
問われた兵士は、ゆっくりと首を振って……。
「いやぁ、逆ですよ、逆。ディオン隊長の勘はよく当たりますからね。静海の森しかり、ミーア姫殿下への評価しかり……」
「ああ、隊長の勘はよく当たるからなぁ」
「隊長がなにか起こるってんなら、本当に起こるんだろうなぁ……やれやれ」
頷きあう兵士たちは、みなそれぞれに……。
「面倒なことになりそうだなぁ!」
なぁんて、愚痴る。
「信用してもらってるところ申し訳ないが、本当に起こるかはわからないよ。ただ、まぁ、仮に何か起きたとして、退屈するより、いいんじゃないかな? 護衛任務なのに、その実、宿屋でゆっくりするだけなんて、やりがいがないだろう?」
「はっはっは、いやいや、最近は輸送路の護衛任務で出ずっぱりでしたからな。今回ぐらいは、麗しき貴人たちの護衛だけで済めばなぁ、なんて思ってたり……」
お調子者の一人の言葉に、他の面々が同意を示す。
「これは驚いたな。お貴族さまやら、王族やらが嫌いな連中ばっかりかと思ってたが……」
ディオンの指摘に、彼らはそれぞれ顔を見合わせてから……。
「言われてみれば、その通りですな。まぁ、貴族にも嫌な奴がいれば、良い奴もいるってことでしょうか」
「というか、我らがバノス隊長も今やお貴族さまの仲間入りを果たしましたからな」
「はっはっは。もういっそのこと勢いで、レッドムーン家の婿にでもなっちまえば、いっそう箔が付くってもんですな」
などと好き勝手に笑い合う男たちである。
「おいおい、さすがにそいつは、年の差がありすぎるだろう。どこかの恋愛小説じゃないんだから」
などと、呆れ顔を見せるディオンであったが……。
「まぁ、冗談はさておき。それで、どこに行きますかね?」
「ああ、そうだね。とりあえず……」
ディオンは一瞬、空を仰いで……。
「ミラナダ方面……かな」
つぶやくように言った。
「そいつも、勘ですか? それとも、もしかして……なにか、においを感じてるとか……?」
空に向かい、鼻を上げたディオンに、兵の一人が眉をひそめた。
「いやいや、さすがに戦狼じゃないんでね。においはしないよ」
苦笑いを浮かべつつ、ディオンは続ける。
「半分は確かに勘。もう半分は、兵を進めるなら、ミラナダ側のほうが簡単そうだな、と思ったまでのことだ」
地図を広げ、ディオンは続ける。
「レムノ王国の側には、太い川がある。橋は架かっているが、もしも落とされれば補給を断たれるかもしれない。その点、ミラナダのほうは平野が続いている。身を隠すのにちょうどいい森もあるらしいし……」
っと言ってから、ディオンは首を振った。
「いや、だが、こいつはいかにも後付けだな。やはり一番は勘だ」
いろいろと理屈をつけてはみたものの、結局、一番の理由は自身の勘だった。ミラナダ王国の側に、なんとなくではあるが、嫌なものを感じるのだ。そして……。
「それが一番信頼できますよ、ディオン隊長。あなたの勘というやつがね」
兵たちは一様に納得の頷きを見せてから、ディオンに付き従った。
そうして、彼らが向かったのは、途中にある森のほうで……。




