第百話 ディオン・アライアの帰還
ミーアのもとに、さらなる厄介ごとがやってきたのは、それから二日後のことだった。
シャルガールに釘を刺した翌日、ミーアは再び、ルシーナ司教に探りを入れてみた。
商人たちとの不和について聞くために、である。が、結果は空ぶり。のらりくらりとかわされた挙句、前日、控えめにしか食べられなかったデザートを改めて出されたミーアは、ご満悦で客室に戻ることになった。
部屋に戻って、ひと眠りしてから……。
「あら? もしや、わたくし、上手く誤魔化されたのでは?」
などと気付き……。次こそはっ、と気合を入れて……。そうして迎えた日の朝。
ディオン・アライアと皇女専属近衛兵たちが帰って来たのだ。
「ミーア姫殿下、少々、よろしいでしょうか?」
その朝、ミーアの部屋にルードヴィッヒが訪ねてきた。
「失礼いたします。ミーアさま、ディオン殿から、至急、報告したいことがあるとのことなのですが……」
っと、ルードヴィッヒの後ろから、ディオンがぬぅっと姿を現した。
「失礼いたします。ミーア姫殿下。急ぎのことゆえ、そのままの格好で失礼しますよ」
入って来たディオンは、セントバレーヌに来た時と同じ、旅装束に身を包んでいた。おそらく、偵察から戻って来たその足で、ここに来たのだろう。
「着替えをする余裕もなかったので、少々臭うかもしれませんが……」
っと肩をすくめるディオンに、ミーアはむしろ、危機感を刺激される。
「別に構いませんわ。元来、人というものは、一日、二日と湯浴みをせねば臭うようになるもの。そんなもので死にはしませんわ」
帝国最強の騎士が……、あの、ディオン・アライアが急いだほうがいい、と判断する事態である。これはもう、断頭台の刃も上がり切り、気付かぬうちにそこに頭を突っ込みそうになっている、まさに瀬戸際とも言ってよいほどの、警戒すべき事態だ。
臭いだの、体が汚れているだのを、いちいち気にしている場合ではない。
「では、早速……」
っと、ここで、ミーアは気付く。
あの! ディオン・アライアが! 急ぎで! というほどの、やべぇ事態である。ルードヴィッヒがいるとはいえ、ここで聞いて良いものだろうか。
アンヌとルードヴィッヒしかいないこの現状、行動の指針を出すのは、当然、ミーアということになるわけで……。
――アベルやシオン……それに、リーナさん辺りの意見も聞きたいですわ。言え、それを言うなら、セントバレーヌに詳しいクロエやレアさんたちにも……。
ミーアは首を振り、
「みなで聞いたほうがいいかもしれませんわね……。食堂ならば広くてよろしいかもしれませんけれど……」
問題は、ルシーナ司教に聞かせても良い話かどうか、である。
その判断は、おそらく、ディオンから話を聞いた後、すべきことだろう。
「いえ、市庁舎……。ビオンデッティさんの商会の部屋をお借りして、そこで話を聞くことにいたしましょうか」
ミーアの判断に、ディオンは、ほう、と感心の声を上げた。
「なるほど。そうですね、そのほうが面倒がなくていい。正直、時間もあまりないでしょうからね」
ディオンの言葉に、ミーアは再び眉をひそめる。
――時間がない、急ぎ、とは、いったいなにが起きたのかしら? まさか、蛇の連中が襲ってきたというわけでもないでしょうに……。
首を傾げつつ、ミーアたちは市庁舎へと向かった。
幸い、ビオンデッティはミーアのお願いを快く聞いてくれた。
「我が商会に、帝国の皇女殿下のみならず、サンクランドやレムノ王家の方々をお招きできるとは……」
などと、感無量の様子のビオンデッティである。
さらに彼は、姫君たちのほうに目を向けて、
「それに、美しきご令嬢方も……。ふふふ、このような華やかな場は、老人の目には、ちと毒ですな」
「もう、お祖父さま……。そのようなことを言っては……」
軽口を叩く彼を、先日の、秘書の女性がたしなめた。どうやら、ビオンデッティの孫娘らしい。まぁ、それはともかく……。
そうして、部屋を出て行こうとする彼と秘書を、ディオンが止めた。
「ああ、できれば商人組合のほうにも話を通しておいたほうがいいんですがね……」
そうして、彼は、ミーアのほうを窺う。
「ええ、ビオンデッティさんは、いろいろと協力しあう関係ですわ。少なくとも、この、セントバレーヌに混乱を起こさせないという点においては、一致しておりますわ」
「ああ。それならば、ぜひ聞いておいてもらったほうがいいでしょう。なにしろ、事はまさにセントバレーヌの安全にかかわることなのでね」
ディオンの言葉に、ビオンデッティは眉をひそめた。
「それは……確かに聞いておいたほうが良さそうですな……」
そうして、各々に椅子と、ついでにお茶菓子が用意されたところで……(ミーアが無言でそれを要求したわけでもなければ、それが出て来るまで話を止めていたわけでは決してない。念のため……)
「それで、いったいなにがあったんですの? ディオンさん」
ごく自然な仕草でクッキーを手に取りながら、ミーアが言った。
「そうですね……順を追って話すのがわかりやすいでしょうね」
そうして、ディオンは話し始めた。