第九十八話 ミーア姫、悪意なくdisられる
「え、ええと……とりあえず、お話を聞かせていただいてもいいかしら? シャルガールさん」
っと、話を進めようとしたところで、ミーアは気付く。例の、ビオンデッティの護衛に聞かれるのは、あまり良いことではないだろう。
そんなミーアの様子に気付いたのか、すぐさま、ルードヴィッヒが動く。
「案内、ありがとうございました。我々は、少し彼女と話がありますから、お酒でも飲んできてください」
そう言って、銀貨を渡そうとする。
「いや、しかし……職務を放棄するわけには……」
っと、目を泳がせる護衛に、
「心配は無用だ。我が従者キースウッドは、君に負けない手練れだよ」
シオンは穏やかな笑みを浮かべた。合わせてキースウッドも腰に下げた剣に軽く触れる。
「ええ。任せてください。みなさまを守るのが、私の仕事なので」
常の軽薄さを一度、引っ込めて、生真面目な口調で言うキースウッド。実に信用できそうな、誠実そうな顔を作っている。
それでも護衛は、一瞬、躊躇した様子だったが……、
「そ、それじゃあ、少しだけ……」
などと言いつつ、この場を離れて行った。
そうして、人払いした後、ミーアは改めてシャルガールに話しかける。
「実は、わたくし、セントノエルで、ある肖像画を……」
「……はい。私が描いたもので間違いありません」
シャルガールは、抑揚のない声で答えた。
――あら、すごく簡単に認めますのね。手っ取り早く手助かりますわ。
満足げに頷くミーアであったが……。そのうえ……。
「恥ずべきことをしてしまったと思っています」
ひどく反省した様子でうつむく。
「うんうん、そうですわね。まぁ、悔い改めるのはとても大切なこと。悪いところがあれば、直すのが大事ですわ」
その大切さは、ミーアもよくわかっている。
「私は、私の美の感覚を裏切り、描きたくないものを描いてしまったのです。気が進まないのに、金のために描いてしまいました」
――ふむ、描きたくない、気が進まない……。まぁ、ヴェールガの中央正教会に反旗を翻すような肖像画ですし、描きたくない、気が進まないというのはわかりますわ。お金のために仕方なくなら、悪い人ではないのかしら……?
そう思いかけた時だった。
「美しいと思わないものを描いてしまった……だから、神罰が下ったのです」
その言葉に、ミーア、思わず、んっ? と首を傾げる。
――美しいと思わないものをモデルに絵を描いた……そのモデルって……あ、あら?
ミーアの様子を見て、シャルガールは首を傾げた。
「あの肖像画のことで、文句を言いに来たわけですよね。あんな適当なものを描きやがってって」
「まぁ……確かに文句を言いに来たと言えば、そうなのですけど……」
「ああ……やっぱり……。私、駄目なんです。描く対象が、私の美的感覚に反すると、どうしても、力が入らなくって……」
っと、すまなそうな顔をしたシャルガール。いかにも、殊勝な態度……ではあるのだが……。
「あ、ああ、でも、それはあくまでも、私の美的感覚に合う合わないという話であって、別に、あなたさまの顔がどうこうというお話しではありませんが……」
言い訳のように付け足してくる。どうやら、気を使われてしまったらしい。
なるほど、確かに、それはこの画家のセンスの問題なのかもしれないが……。
――しかし……画家の美的センスに合わないと言われるのも、それはそれで、複雑なような……。
ミーアは別に、自分のことを絶世の美少女とは思っていない。傾国の皇女ではあっても、傾国の美女ではない、と、慎む深く思ってはいるわけだが……。
それでも、こう……微妙にモヤモヤしてしまうのは、否定できないことなわけで……。
年頃の乙女なミーアなのである。
「あの、一つよろしいでしょうか?」
とそこで、ルードヴィッヒが手を挙げた。
「ミーア姫殿下をモデルにした肖像画を、いったいどのようにして描かれたのですか?」
「え? あ、ええ……そうですね。実は以前、ヴェールガ公爵邸で、ミーア姫殿下の肖像画を見たことがあったのです」
「ミーア姫殿下の肖像画、ですか……?」
ルードヴィッヒが首を傾げていた。
ヴェールガ公爵とは違い、ミーアの父である皇帝が、ミーアの肖像画を各国に配っている、ということはない。セントノエルにいる者ならばいざ知らず、他国の者たちは当然、ミーアの顔を知らないわけで……。
「はい。ラフィーナさまのお部屋に堂々と飾られているのを見まして。基本的にラフィーナさまは、ご自分の肖像画をあまり人前には出したがらない方なのですが、その肖像画は部屋の一番目立つところに飾られていて。だから気になっていたんです」
ペラペラとシャルは続ける。
「それで、お願いしたら、ニッコニコ上機嫌で見せてくれました。ラフィーナさまと一緒にミーア姫殿下が描かれているもので……どんな由来かもすごく丁寧に説明してくれました。で、その時にみたものを参考にイメージを膨らませまして描かせていただきました」
「あー……なるほどー。そんなことも、ありましたわねー」
微妙にやる気が減退しているミーアをよそに、ルードヴィッヒが話を進めていく。
「なるほど……。つまり、ヴェールガ公爵邸で見た肖像画をモデルにして絵を描き、それを商人に売ったと……?」
「いえ、注文を受けて描きました。私がヴェールガ公爵のお抱え画家であったと、どこかで耳にした商人が、ラフィーナさまの友人であるミーア姫殿下の肖像画は描けないか? と……」
それを聞き、ルードヴィッヒはそっと目を細める。
「ミーア姫殿下の肖像画を、あえて描いてもらいたいと……そうですか。ちなみに、あの女神のアレンジは、あなたが……?」
「女神のアレンジ……? いえ、あれは、女神ではありません。あれは、私の美意識の塊です!」
どどーんっと胸を張るシャルガール。それには特に触れず、ルードヴィッヒは続ける。
「しかし、女神肖像画というタイトルは……」
「タイトル……?」
怪訝そうな顔で首を傾げるシャルガール。
「なるほど、あのタイトルを付けたのは、あなたではない、ということですか……。ちなみに、絵は何枚お描きになったのですか?」
「五枚です。ほとんど同じで」
「五枚……なるほど。そうですか」
ルードヴィッヒは、軽く眼鏡の位置を直しながら、小さくつぶやいた。