第九十一話 ポッタッキアーリ侯邸にて……
レムノ王国の侯爵、ポッタッキアーリの別邸は港のほど近くにあった。
雑然とした街並みに突如現れる豪邸、その違和感に、シオンは眉をひそめた。
「レムノ王国の貴族は、比較的、質実剛健というか……こういった贅を凝らした造りの家は好まないものだと思っていたが……」
「この商人の町に住んでいれば、自然と染まってしまう、ということなのかな……」
苦笑いを浮かべつつ、アベルは屋敷のほうに目を向けた。
ちなみに、他の面々もぞろぞろ後ろについてきている。
「以前、見たことがある、ワラウツボというのが、大きなミミズに牙を付けたような見た目でー、とっても美味しかったのよー」
「おっ、大きなミミズ……」
「そんな見た目なのに、食べられるんですね。やっぱり、冒険にはそういう知識も必要なのかな……」
などと、実にかしましい!
釣り好きと冒険好きが合流し、冒険した際に獲れる魚談義に花が咲いていた!
キースウッドが無言でお腹をさすっているっぽいのが、シオンの視界の端に映ったり、映らなかったりしたが……まぁ、それはともかく。
「さて、それでは、行こうか」
屋敷のほうに近づくと、門番の男たちが訝しげな視線を向けてくる。
そのうちの一人が、高圧的な態度で近づいてきて……。
「おい、なんだ、お前たちは……。ここは、ポッタッキアーリ侯爵のお屋敷だぞ? 許可はとって……え……?」
言葉が、途中で止まる。
アベルの顔をジィっと見つめた後、彼はワナワナと震える声で言った。
「あっ、あなたさまは……まさか……」
「ん? ボクの顔を知っているのか……。ポッタッキアーリ侯の館には何度か来たことがあったが、もしかしたら、会話をしたことがあっただろうか……」
首を傾げつつも、アベルは言った。
「レムノ王国の第二王子、アベル・レムノだ」
「なっ、なぜ、殿下が、ここに……」
緊張に背筋を伸ばす門番に、アベルは苦笑いを浮かべた。
「すまないな。突然のことなのだが、少々、野暮用でね。立ち寄らせてもらった。ポッタッキアーリ侯は、おられるだろうか?」
問われ、門番は、途端に顔を曇らせる。
「いえ、その……侯爵さまは、現在、屋敷を空けていまして……」
「ああ、留守だったか。そうだな、まぁ、約束があるわけでもなかったし……」
セントバレーヌに来ること自体が急なことだった。本来であれば、事前に連絡を入れ、協力を仰いでいるところだったが……。
――まぁ、そもそも、女神肖像画などという危険な物の存在を教えるのはどうかと思うから、なにか、伝え方を工夫する必要はあっただろうが……。
「あの……なにか?」
「いや……。それより、ポッタッキアーリ侯はいつ頃お戻りになるのだろう? すぐにでも相談したい事があるのだが……」
「はぁ……あの、しばらくはお戻りにならないかと……」
「戻らない? 失礼だが、ポッタッキアーリ侯は、いずこへ行かれたのか?」
アベルは、怪訝そうな顔で言った。
セントバレーヌは、情報という名の甘い甘い果実が集まる場所。されど、甘い果実というものは、誰しもが欲しがるもの。
耳寄りな情報を商人たちに奪われては一大事。そんなことがあってはならない、と……。
アベルの知る、ポッタッキアーリ侯は、そんな風に考える男だった。
「ええ、実は、その、レムノ王国の領地に戻っておりまして……」
「侯爵領か……。なにか、問題でも起きたのかな?」
「いえ、そのようなことは……ただ、その、少し領地の様子を見に帰っているだけでして……」
なぜか、慌てた様子で言う門番。
「そうなのか……。それならば、何日かすれば、お会いすることができるだろうか?」
「あ、さぁ、どうでしょうか……。いつお帰りかは聞いていないので……」
「そうそう。今日帰るのか、明日帰るのか……十日後か」
もう一人の門番が、軽い口調で付け足した。
「今日帰ってくるかもしれない、というのなら、しばらく、屋敷の中で待たせてもらうというのは、どうかな、アベル」
不意に、話を聞いていたシオンが口を開いた。
「なんだ、お前は……」
途端、態度が硬化する門番だったが……。
「ああ、こちらは、サンクランドの第一王子、シオン殿下だ」
「なっ、さっ……サンクランドのっ!?」
げぇっ! と声が裏返る門番に、シオンは苦笑いを浮かべる。
「ちなみに、後ろにおわす淑女たちも、各国の姫君たちだ。失礼のないように先に言っておこうか」
「たったた、大変失礼を……」
ピンと背筋を伸ばす門番たちに、迫るように、アベルが続ける。
「それで? 中で待たせてはもらえるのかな……?」
「い、いえ、そんな……。高貴な方々を、ポッタッキアーリさまのお許しもなくお迎えすることは、とてもとても……」
「門番の君たちに判断できることじゃないんじゃないのか? 執事なり、この別邸を任せられている責任者は……」
「その者も、留守にしております。何卒、ご容赦を……」
そう言って、深々と頭を下げる門番。
「そうか……。まぁ、こちらも急に来たからな。準備が必要と言われれば、返す言葉もない。出直すとしようか」
潮時か、と、アベルはシオンのほうに視線を送る。一つ頷くと、シオンは、
「やれやれ、休憩してから、市場でもうひと遊びしたかったんだがなぁ」
っと、わざとらしく言った。
「ははは、あまりわがままを言ったら彼らが可哀想だ。やれやれ、淑女たちを少し休ませてやりたかったんだが……」
いかにも軽薄な感じで返しつつ、アベルは踵を返した。
さて、館の前を少し離れたところで、シオンは口を開いた。
「妙な反応だったな……」
シオンの言葉に、アベルは頷いて応える。
「ああ。厄介なことになった……そんな反応だった。それに、屋敷の中に入れたくないようだったが……」
「まぁ、突然、王族が訪ねてきたら、少なからず厄介だと感じるものだとは思いますがね」
茶化すように指摘したのは、キースウッドだった。
「もっとも、確かに、屋敷に入れたくない、というのは奇妙な話ですね。それに、心なしか、サンクランドの名を聞いた時に、緊張したように見えましたが……」
振り返った屋敷、刹那、その二階の窓から、誰かがこちらを見つめているような……。そんな感覚に囚われるアベルであった。