第九十話 独特のアレンジを好む画家の噂
「実は、絵描きを探しておりますの」
単刀直入に言えば、ビオンデッティは目を丸くした。
「絵描き……といいますと?」
ミーアは一つ頷いて、続く言葉を口にする。
「本の挿絵を描いていただくための絵描き、ですわ」
実のところ、ミーアは少しばかり迷っていた。
目の前のビオンデッティは、ある程度は信頼が置ける人物のように見えるが……。さりとて、マルコ・フォークロードのように全幅の信頼を置くには至っていない。読み友クロエの父に抱く信頼感と、今日初めて会った人間に抱く信頼感では同じにはならないわけで……。
――まして、この方には、帝国革命時にお会いしたわけでもありませんし……。
要するに、彼を信じるには情報が不足しているのだ。
幸い、絵描きを探す別の理由があるので、そちらの方面で聞いてみればいい。ということで、ミーアは、澄まし顔で続ける。
「先ほどの会議場でもお話ししましたけれど、食べ物の栞。読み聞かせに使う本には、良さそうな挿絵をつけようかと思いますの」
「なるほど。大きめの絵を用意して、みなに見せながら読み聞かせをする、というのも良さそうですな」
ビオンデッティが興味津々に目を輝かせる。政治的な話もできるものの、元より彼は商人だ。商売的な話になると、さすがに、目つきが鋭くなっていた。
「ええ。イメージを助けるためにあったらいいな、と思いまして。とても幻想的なお話なので、そういったものが描けるような……想像力に優れた描き手が好ましいと思いますの」
ミーアは、例の女神肖像画を思い出しながら言った。
あの、キラキラした、極めて幻想的な絵を描くような人間だ。きっと、そういった作風の人物に違いない……。他にも似たようなものを描いているはずっと、想像するミーアである。
「なるほど……。そういうことでしたら……そうですね。詳しい者にあたらせてみましょう」
何事か考え込むように、腕組みをしながら、ビオンデッティは続ける。
「いや……そういえば、絵描きといえば、ヴェールガ公爵家をクビになった画家が、セントバレーヌに落ち延びてきた……そんな噂を聞きましたな……。少し前の話ですが……」
「落ち延びてきた……ですの? なにやら、穏やかではない言い方ですけれど……」
眉をひそめるミーアに、ビオンデッティは愉快げに笑った。
「ああ、いえ。これは誇張が過ぎましたな。あくまでも、本国から、飛び地であるこのセントバレーヌに流れ着いてきただけなのですが……。どうやら、こだわりが強い人物らしく、描きたくないものは描かない、が口癖らしくて……、どうもそれで揉めたとか……」
揉めた……そう聞いて、ミーアは静かに考える。
――ヴェールガ公爵家付きの絵描きであったのならば、信仰はしっかりしていそうなもの。はたして、わたくしを女神に見立てたりするものかしら……? クビになった腹いせに描いたということも考えられるかもしれませんけれど……。
ううぬ、と唸りつつ、ミーアはビオンデッティに目を向ける。
「ちなみに、元公爵家付きの画家ということは、腕前のほうはかなりのもの……と?」
「それはもちろん。なんでもラフィーナさまの肖像画家の候補になったこともあるほどだったとか……。まぁ、酒場でやけ酒がてら言っていたことらしいので、真偽のほどは定かではありませんが……」
「まぁ、あのラフィーナさまの肖像画を……。本当でしたら、大したものですわね」
ヴェールガ公爵が毎年気合を入れてばらまいている聖女ラフィーナの肖像画である。関わる絵描きは誰も腕利き揃いのはずだった。
「ただ、一度だけ、金のために描いた絵は、なかなか見事なものでした。その商人の妻を、少々、その……独特のアレンジを施して描いたとか。大変、夫婦仲が良い商人だったので、見たこともない妻の姿にご満悦だったとか」
話の内容の割に、なにやら、苦笑いのビオンデッティ。
「もしや、あなたも、その絵を見ましたの?」
「ははは、実は自慢されましてな。私も描いてもらえばいいと勧められたのですが……。あいにくと妻を失ってしばらくたちますのでね。残念ながら、機会に恵まれませんでした」
独特のアレンジ、という言葉を聞いた瞬間、ミーアの脳内に、ちょっとアレなことになっているラフィーナの肖像画が思い浮かんだ。
具体的に、どうアレなことになっているのかはわからないが……、こう、独特な感じで、アレな感じになっているのだろうことが、なんとなく想像できてしまって……。
「そう……やっぱり、ラフィーナさまも、ご苦労されておりますのね。ちなみに、その絵ですけど、表面がキラキラ輝くような加工がなされていたりは……」
「おや、よくご存じですね。確かに、それは、彼女の独自の技術らしいと聞きました。あれほどの技術を持ちながら、肖像画家になれないとは……。やはり、ヴェールガ公オルレアンさまの理想は、とても高いということなのでしょうな」
ビオンデッティの言葉に、ミーアは生暖かい笑みを浮かべてから、
「え、ええと、まぁ、それはともかく彼女……? の、お名前を聞いてもよろしいかしら?」
「ああ、確か……シャルとかなんとか……言っていたような気がいたしますが……」
ビオンデッティは眉間に皺を寄せることしばし……。
「時折、酒場に現れるということですから、後で行かれてはいかがでしょうか? なんでしたら、我が商会の中で、顔を知っている者をつけますが」
「ええ。そうしていただけると助かりますわ。ただ、その方に決まるかは未知数ですので、ほかにも絵描きに詳しい方を紹介していただけるかしら?」
女神肖像画の件はもちろんのこと、エリス・リトシュタインのデビュー作につける挿絵なのだ。
思い出深い「貧しい王子と黄金の竜」に変な絵はつけられない。
「最高の絵をつけたいと思っておりますの」
そう言って、ミーアはニッコリ微笑んだ。