第一〇一話 すべての駒は盤上にそろいて……
「ミーアさま、私も……」
おずおずと、アンヌが口を開く。
ミーアは一瞬黙り込んでから、そっと目をそらした。
「残念ですが、アンヌ、あなたを連れて行くわけにはいきませんわ」
もちろん、アンヌが一緒に来てくれれば、身の回りのことをすべて引き受けてくれるので、ありがたくはある。
けれど、それでも、アンヌを同行させるわけにはいかないのだ。
理由はとても簡単なこと。
アンヌは――馬に乗れないからだ!
例えばの話である。アンヌを連れて行って、万が一危機的状況に陥ったとする。
そこに馬が何頭かいたとする。
その中でもっとも乗りやすい馬、もしくは、足の速い良い馬は、どう考えてもアンヌを後ろに乗せる人物のものになる。
恐らくキースウッドあたりになるかとは思うのだが。
二人乗りが必要であるならば、その二人に良い馬を回すことが当たり前のことである。
ただの従者ならばいざ知らず、アンヌに恩義を感じているミーアとしては、それに反対はできないし、したくない。
彼女の忠義には誠心誠意返したいミーアである。
では、逆にアンヌを連れて行かなかった場合、すなわち全員馬に乗れる状態ならばどうか?
その場合は、レディーファースト。
自分に良い馬が回ってくる可能性は極めて高い。
逃げ切れる可能性がグンとアップするというわけだ。
生き残るために最善を尽くす、ミーアの自分ファーストが冴え渡る。
「アンヌ、あなたは馬に乗れませんわ。だから、足手まといになる可能性がとても高いんですの。これから行くところは、たぶん、すごく危ないところですから」
「ミーアさま、ですが……」
アンヌは泣きそうになっていた。
足手まといだと、突き放されたからではなかった。
わざと嫌われるような態度をとって自分と距離を置こうとしているミーアの気持ちがよくわかってしまったから。
そして事実として、自分が足手まといだから、だから連れて行ってもらえないこともわかったから。
アンヌは自分が不甲斐なくて泣きそうになっているのだ。
「ああ、泣かないで、アンヌ。大丈夫ですわ。わたくしは、必ず戻ってきますから」
アンヌを安心させるようにミーアは柔らかな笑みを浮かべた。
「ですから、あなたは残って自分のお仕事をしっかりとすること。いいですわね?」
きっと学園に帰って来たら、ホッと一息吐きたくて、お茶のいっぱいも飲みたくなるに違いない。
あるいは、疲れ果ててすぐにベッドに飛び込みたくなるかも?
あるいはお風呂に心行くまでつかりたくなるかも。
帰還したミーアの求めを忖度することも重要な職務だから、と。
その準備を怠らないように、と……。
もちろん、それは半ばは冗談で、暗く沈むアンヌに元気を出してもらいたくて言ったことだったが。
残念ながら、それを聞いてもアンヌの表情は晴れなかった。
潜入の段取りをつけるとのことで、ミーアたちが立ち去った室内。
アンヌは呆然とその場に立ち尽くしていた。
――私が、馬に乗れないから、ミーアさまの足手まといになってしまった。
うつむくアンヌの瞳からは、ぽろぽろ、ぽろぽろ涙が零れ落ちる。
「顔をお上げなさい、アンヌさん」
突如、凜とした声に呼ばれて、アンヌははっとした。
ふと見ると、そこには静かな表情で自分を見つめるラフィーナの姿があった。
「ラフィーナ、さま……」
「こんなところで落ち込んでいる時間は、ないのではないかしら?」
「でも……、私……自分が不甲斐ないです。私が馬に乗れていれば、ミーアさまといっしょに」
「あなたは、ミーアさんのなに?」
「え? わ、私は……ミーアさまの専属メイドで」
その答えに、ラフィーナは首を振った。
「そうではないはずでしょう。前にミーアさんがなんと言っていたか、あなたは忘れてしまったのかしら?」
ラフィーナはまっすぐにアンヌを見つめて言った。
「ミーアさんはあなたのことを、腹心だと言ったのよ。右腕だと」
その言葉に、アンヌは雷に打たれたような衝撃を受けた。
「ミーアさんは、あなたに自分の仕事をしろ、と言っていたわ。あなたにできることは、ここでうつむき、立ち尽くすことではないのではないかしら?」
「私にできること……」
「ミーアさんの腹心にしかできないことよ。きっとあるのではなくって?」
アンヌは、しばし黙り込み、それから一礼して出て行った。
その後ろ姿には、先ほどまでの弱弱しさは微塵もない。
そうして、暗躍するメイド、アンヌは動き出した。
ミーアたちが旅立った翌日、アンヌもまた学園を後にしたのだ。
自らにできること、自らにしかできないことを胸に秘めて……向かう先はティアムーン帝国。
その彼女の忠誠は実を結び、帝国最強の駒を盤上に召喚することになるのだが。
それは少し先の話になる。
かくて、すべての駒は盤上に揃う。
レムノ王国を盤面とした陰謀劇
白の女王駒たるミーアの呼びかけで集まりし仲間たち。
はたして黒の陣営に孤立した騎士、アベル王子を救い出すことはできるのか。
未来がどこに行き着くのか、いまだに見通せるものはいない。