第八十七話 港風景、三者三様
ミーアが天に輝く海月……もとい、月のごとく、商人たちに、確かな威光を示してしまっている、ちょうどその頃、ベルたち別動隊は港を訪れていた。
タイミングよく入港してきた船に、ベルが元気よく走っていった。
「わあ! 大きい!」
見上げるほどに巨大なマスト、船首の猛々しい獅子の顔、城と見まごうばかりの巨大な船に、ベルは思わず歓声を上げる。
「すごい船ですね! 冒険の香りがします」
海の大冒険の香りに誘われて、ふらふらーっと船のほうに向かっていくベル。
「ああ、よくわかりますね。あれは、世界の果てを目ざす船です」
そんなベルに解説するのは、リオネルだった。ちょっぴり得意げに、知識を披露するリオネル。対して、ベルは、
「世界の果て!」
思わず、口をぽっかーんと開ける。
「そう。ベルさんは考えたことがありませんか? あの海の向こう側、水平線の彼方にはなにがあるのか、と……」
厳かな口調でリオネルが語る。
その指さした先、青い空と青い海、その交わる一本の線。あの先になにがあるのか……それは、冒険や探検を愛好するベルと言えども、知らないことだった。
「そんなこと……考えたこともありませんでした」
非常に感銘を受けた口調でつぶやくベルに、リオネルはキラキラした瞳で言った。
「魚はもちろん、この世界はとてもユニークで、興味深いものです。神がお創りになったこの世界を隅々まで回って、この目で見てみたい……。小さい頃からの憧れです」
「ああ……。うふふ、よくわかります。こう、まだ見たことのない場所って、ついつい行ってみたくなりますよね!」
なぁんて、リオネルと意気投合するベルである。若干、志の高さに違いがあるような気がしないではないのだが……まぁ、それはさておき。
「でも、ベルちゃん。あんな船に乗って、世界の果てに行くなんて、ちょっと危ないんじゃ……」
などと、軽く諫めにかかるシュトリナに、ベルは真顔で、
「え? なに言ってるんですか、リーナちゃん。冒険に危険はつきものじゃないですか?」
「え、あ、ま、まぁ、それはそう……だけど……」
そう言いつつ、思わず息を呑むシュトリナ。その脳内では、孫がいる年で、未知なる船旅に乗り出す自分とベルの姿が、ありありと思い浮かんでいて……。
「……健康でいよう。船旅って、体力使いそうだし……」
などとつぶやくシュトリナである。
「じゃあ、リオネルくんは、将来は船に同乗する司祭さまになるのですか?」
ベルは嬉々としてリオネルに問う。と、思わぬことを言われた、とばかりに、リオネルは目を瞬かせた。
「いえ……私は父の後を継ぎ、伯爵領を統治しなければなりませんから……」
寂しそうに笑みを浮かべながら、彼は続ける。
「あくまでも、幼い頃の……他愛のない憧れですから……」
「そう、なんですか……? でも……」
っと、言おうとしたベルだったが、すでに、リオネルは船に背を向けていた。
せっかく、同好の士を見つけたのに、ちょっぴーり残念そうなベルである。
一方で、オウラニアのほうは、というと……。
「あらー、あのお魚は、ガレリア海でも見たことがあるわー。ちょっと大きい気がするけどー。あ、あれは見たことないかもー。ふふふー、どんな味がするのかしらー」
「白身でとても淡泊なお味ですよ。骨の身離れが良くって食べやすいですね」
「そうなのー。ふふふ、大きいから、釣り応えがすっごくありそうねー」
妹弟子の解説を聞きつつ、オウラニアがお魚調査をしていた。
「んー、それにしてもー、ミーア師匠は、飢饉の対策のためにお魚を使おうってお考えみたいだけどー、いいお魚はいるかしらー? 育てるのが簡単で、早く大きくなるのがいいと思うけどー」
「そうですね。お魚だけでなく、貝類も候補に入るでしょうか? 他にも、海の生き物はたくさんいますし……」
「なるほどー。確かにそれもそうねー。あ、あれって、ポヤァじゃないかしらー? ふふふー、美味しいのよねー。レアさん、食べたこと、あるかしらー?」
ウキウキしながら、オウラニアが問う。っと……。
「え? あ……いえ、その、私は、あのー、ふ、普通のお魚のほうが、好き……かも……」
先ほどまで、生き生きと答えていたレアが一転。ちょっぴり引き気味の顔をする。が……。
「あらー、だめよー。ミーア師匠の弟子なら、食わず嫌いをしていてはー。未知への挑戦こそ、新しい可能性を開くものなんだからー。試してみなくっちゃー」
「あ、その……でも……あの……」
「それに、お父さまに言われなかったかしらー? 神さまが与えた物を残したらいけないってー」
合理的かつ司教的論理で攻め込むオウラニア。
オウラニアは、なかなかに機転が利くほうなのだ。
「あ……あぅう……」
同好の士になりそうな人材を、決して見過ごさないオウラニアであった。
さて……若干、温度差のある二組を遠めに眺めつつ、アベルとシオンは話していた。
「そうか。セントバレーヌには、レムノ王国の貴族の別邸まであるのか……」
「ああ。南方の貴族たちは付き合いが深くてね。そのまとめ役の、ポッタッキアーリ侯はセントバレーヌに対するレムノ政府の代弁者としての地位を確立しているんだよ」
「ガヌドス港湾国におけるグリーンムーン公爵家のようなものか」
「そうだね。海というのは利益を生む。レムノ王国も一枚噛ませてもらおうということでね」
小さく肩をすくめながら、アベルは言った。
「軍事的な新技術も海外から入ってくるものは、なかなかに侮れない。父も力を入れているんだ」
「なるほどな。セントバレーヌは独立都市だからな。国の別や身分を問わず、決まり事さえ守っていれば文句は言われない。ならば、その権益に手を伸ばしたくもなる、か……。しかし、下手な野心家がその任に就けば、危険なのではないか?」
怪訝そうな顔をするシオンに、アベルは苦笑いを浮かべる。
「ポッタッキアーリ候は、良い意味でも悪い意味でも保守的な俗物でね。私服は肥やすが、野心とは無縁の人物だと聞いているよ。もちろん、それだけじゃない。ダサエフ宰相の領地も近いから、睨みを利かせてくれているが……」
「ああ、例の宰相殿か。なるほど、小人物と忠臣の睨みによって維持されている体制ということか……」
「そういうことだな。だが、俗物なだけあって、セントバレーヌの事情に関しては、かなり詳しいはずだ。なにせ、商人たちに先んじて情報を得るために、港近くに館を建てたぐらいだからな」
「それじゃあ、ご令嬢たちが満足したら、そちらに向かうか……?」
シオンは、オウラニアチームとベルチームのほうを眺めながら言った。
「あの、僭越ながら両殿下……。お話が終わったなら、ご令嬢方が危険な食べ物に手を出さないように、もう少し……こう、監視と言いますか……注意を払ったほうが……」
などと、進言を呈するキースウッドであった。