第八十六話 小物アピール、成功……せず
「この帝国皇女、ミーア・ルーナ・ティアムーンの好意と敬意を買いなさい」
などと言ったミーアであるが……、もちろん、そんなもの空手形である。けれど、ミーアに罪悪感はない。
――むしろ、感謝してもらいたいぐらいですわ。民草を軽んじる者は、滅びの種を自ら蒔くことになるのですから……。しかし、少々、説得に言葉を弄してしまいましたわね……。
ついつい、前時間軸のことを思い出し、言葉に力が入りすぎてしまったことを反省するミーアである。
――せっかく、小物感を出そうとしておりましたのに、少しばかりしゃべり過ぎたかも……。まぁでも……肝心な部分の説明はクロエたちがしましたし、きちんと彼女たちが優秀なだけだ、とわかっていただけたのではないかしら……。
自分がルシーナ司教と並び立つ大物だなどと思われては一大事。なんとか、目立たぬよう、聡明さ()が溢れ出さないように自らを律するミーアである。
と、その時だった。
「なるほど。宝は使ってこそのもの……。だから、私めどもの贈り物である髪飾りを手放された……ということですか」
ミーアは声のほうに視線を転じる。と、どこかで見覚えのある商人の姿が見えた。
――はて、髪飾り……それに、あの顔は……。
考えることしばし。ミーアの脳裏に、その商人と出会った時の光景が浮かぶ。確か、白月宮殿に、献上品をもってやって来た商人で……。
「ああ。あのかんざし……そうですわね。あれは、まさに素晴らしき宝でしたわ。あれをきっかけにして、病院が建ち、死にかけていた町が甦ったのですから」
かつて、ミーアが気に入って、よく身に着けていたかんざしを送った、さる大商人こそ、この目の前にいる商人であった。
「帝都ルナティアの経済特区、新月地区ですな。貧困地区を、あのように経済活動が活発な地区にするとは、素晴らしい叡智です」
突如、襲ってきたヨイショの横波を、ミーア海月は華麗に受け流し……。
「ああ、ですが、あれを成したのは、わたくしが信を置く家臣。このルードヴィッヒの功績ですわ」
ささっとルードヴィッヒを紹介、引き波に合わせて、静かに身を引こうとするミーアである。その狙い通り、
「なるほど。ミーア姫殿下のお考えをしっかりと読み取り実現する、有能な方なのですな」
商人たちは、感心した様子を見せるが……。
「そのような、有能な家臣の方がミーア姫殿下に付き従っている、と……」
再び、別のヨイショが襲ってきた。
気付けば、ミーアが漂う海域は、いつの間にやら、嵐の様相を呈していた!
「過分な評価をいただいております。されど、私だけではありません。我が国の能吏たちが、ミーア姫殿下のお考えを実現するため、日夜、働いております」
「おお……。有能な部下の方がそんなにもたくさん……」
さらにさらに、巨大な波が、海の月ミーアを、天の月にまで押し上げんとしていた。
「え……ええ。まぁ、優秀な方たちにいつも助けられていますわ。お、おほほほ」
ミーアは、なんとか、その波から降りようとする。
優秀なのは家臣たちであって、自分じゃあないんですよぅ、っと……察してね、と伝えようとするが……。
「しかし、せっかくああして顔繋ぎをし、覚えていただきましたのに……帝国内の小麦輸送でお声がけいただけぬとは、いささか残念でしたな。フォークロードだけでなく、我が商会もご協力できたと思いますが……」
「おほほ、お戯れを。わたくしに贈り物をしておきながら、お父さまがなにも便宜を図らなかった、とでも言うおつもりですの?」
ついうっかり、答えてしまう。先ほど、自身の好意と敬意を買えと言ってしまった以上、ここで「自分たちを遇する力がないから、好意を買っても意味がない」などと思われないための配慮である。
ミーアには確信があった。自分が気に入った髪飾りの贈り主を、父がどのように遇するのか……。なにも良い目を見ていないということは絶対にあり得ない。リターン受けてるだろうから、なにも便宜を図らなかっただけよ? と主張しておく。っと、
「ははは、敵いませんな。ミーア姫殿下には……」
などと、降参のポーズをする商人。どうやら、ミーアの勘は当たったらしい。それはいいのだが……そのやり取りすら、なんだか、賢そうに見えてしまって……周りの商人たちの視線は、熱を帯びる一方だ。
「ミーア姫殿下……お話はわかりました。この様子ですし、協力したいと思っている者も少なからずいるでしょう。ワシも、姫殿下のお考えにいたく感銘を受けました。協力するもやぶさかではないのですが……」
ビオンデッティ商会長は、そこで、チラリと視線を送ってきた。
「ただ一つだけ、条件……いえ、お願いしたきことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
その申し出に、ミーアは軽く眉をひそめる。
「あら? なにかしら……?」
小さく首を傾げるミーアに、ビオンデッティは苦笑いを浮かべて……。
「ルシーナ司教と我々との関係改善のために、ご協力いただけないでしょうか?」
「……ルシーナ司教との関係改善……それは、内容によりますわね……。わたくしにできることでしたら、いたしますけど……」
「お恥ずかしいことながら、セントバレーヌは、ここ最近、いささか困ったことになっておりまして。どうもルシーナ司教は我ら商人が、この都市で大きな顔をするのを、あまり好まないようでして……」
「なるほど、その執り成しをわたくしにしろということですわね……ふむ」
頷くミーア。その首の角度が……微妙に傾いだ。
――あ、あら……? 妙ですわね……。わたくしのような小物に、ルシーナ司教との仲を取り持つことを願い出るなど……。おかしいですわ。なぜ、わたくしに、なんとかできると思ったのかしら……?
などと、胸の中でしきりに首を傾げつつも……。
「まぁ、そうですわね。ビオンデッティさんとは、他にもお話ししたいことがございましたから……少し話を聞かせていただきますわ」
とりあえず、頷いておくミーアであった。