第八十四話 ペロリ、サクリ、ゴクリ
――ふぅむ、とりあえず……あの大物っぽい方に肖像画のことを聞くのは良いとして……しかし、この商人組合、これだけの方々が集った組織である以上、一枚岩ではないはずですわね……。この中にも司教寄りの方と、司教とは距離を置きたい方といるのではないかしら……。
ミーアは、知っている。人にはそれぞれ考えがある。
そして、大勢の人が集まる以上、いつでも一致して、とはいかないもの。みなが司教に好意的でもないが、みなが敵対的でもないだろう。この場の情報を売って、司教と懇意になりたい者もいるはずだ。
――わたくしが、ここで言ったことは、司教に筒抜けになっていると考えたほうが良いのかもしれませんわね。少し気を付けたほうが良さそうですわね……。例のビオンデッティさんが、口が堅い方であればいいのですけど……。
などと、ミーアが視線を向けた時だった。
「しかし……どうでしょうね。ミーア姫殿下、民の不安は……はたして解消したほうが良いものでしょうか?」
ビオンデッティは、くるりん、っとした面白い形の口髭を撫でながら言った。
「はて……それは、どういう意味かしら?」
「そちらの、フォークロード商会のお嬢さんのお話は興味深かったです。なるほど、読み聞かせに食べ物の栞でしたか。確かに、儲けが出せそうなお話しではありますな……」
そこで、彼はチラリとミーアのほうを見て……。
「されど……大きな儲けではない。現在の状況を用いて、最も儲けを出せるのは、このやり方ではない。人々の不安を煽ったほうが、むしろ、儲けが出せるのではないか……」
何人かの商人たちが頷くのを見て……。彼は笑みを浮かべ……、
「とまぁ、こう考える者がいても不思議はないだろう、と思いましてな」
これは、あくまでも自分の意見ではなく、自分はただの代弁者である、というスタンスを取るビオンデッティ。頷いた商人たちが、しまった、という顔をしているのが見えたが……。
――ふぅむ、言いづらいことを言って、他人に責任を押し付けるこのやり口……この方、なかなかできますわね!
なかなか、参考になりそうなやり方だぞぅ、っと心の内でメモするミーアの目の前で、ビオンデッティは話を続ける。
「事は命にかかわることだ。それゆえ……そこに儲けが生まれやすい。誰しも、命がかかっていれば、法外な金だとて出すものでしょう。日照りの荒野において、一杯の水が千金の価値を持つように……。不作の土地では、小麦が家の価値を持つかもしれません」
「そうですわね。食料が不足し、人々が困窮した世界では、小麦が城の価値を持つことだって、あるいはあり得るのかもしれませんわね」
かつての帝国の、あの地獄を思い出しながら、ミーアは彼の主張の正しさを認める。
「で、あるならば……我々としてはむしろ、食料不足の情報を流し、食料を割高で売りつけたほうが良いのではないか……と、ワシなどは考えてしまいますが……。それとも……」
一度、言葉を切って、彼は上目遣いに見詰めてくる。
「そのようなやり方をしては神の裁きがある、とでもおっしゃりますかな? ルシーナ司教と同じように……」
その言葉に、ミーアは軽く眉をひそめる。
――この方、わたくしを試しているのかしら……それとも、なにか他に意図があるのかしら……?
っと、その時だ。ミーアは、自らの前に置かれていた紅茶に目をやった。それは、アンヌが淹れてくれたものだった。その隣には、ラーニャが持ち込んだペルージャン産の上等なクッキーがあった。
ミーアは優雅に、それらをペロリ、サクリ、ゴクリ×3 して、脳の回転速度を軽く上げてから……。
「悪事を働けば裁きがある……。それは当然のことではないかしら?」
言葉を選びつつ、口を開いた。
まず、自身の立場をはっきりさせておかなければならない。中央正教会の教えに含むところがある……などと取られるようなことは避けるべきだ。
けれど、彼らを納得させ、協力してもらうことも必要だ。目の前の老商人の言葉通り、この機会に一儲け……などと考える者には、しっかりと釘を刺しておくべきだろう。
「ははは。神の裁きがある……などというのは、愚かなる戯言である。と、かつてのシャローク・コーンローグ殿ならば、言ったことでしょうな」
「あら? あなたも、同じお考えなんですの?」
チラリ、と彼に視線をやってから、周りの者たちの様子も窺う。
目の前の老人はわからないが、彼の言うようなことを考えていそうな者は少なからずいそうだった。
「ワシの意見を披露するなどとても恐れ多いこと。ただ、天国の沙汰は金次第、などと言う商人はいるでしょうな。商人にとっては金がすべてですから……」
その言葉に、ミーアは、ふむ、と唸る。
――やはり、この方はわたくしに商人たちの考えを教えてくれようとしているのではないかしら……。でしたら、ここはそれにしっかり乗って……。
ミーアは、咳払いをしてから……。
「なるほど。では、誤りのないように、はっきりとわたくしの考えを伝えておきますわ」
ミーアはそっと胸に手を当てて言った。
「裁きはございますわ。確実に」
誤解の余地がないほどはっきりとした口調で、ミーアは言った。
それは、ミーアが信仰心に篤い聖女だからである…………などではもちろんない。
ただミーアは事実として知っているだけなのだ。
「横暴は、滅びの種を蒔くことに繋がり、蒔いた種の実りを刈り取るのは自分である、と、わたくしは信じておりますわ」
それは、かつて経験したこと……。良い種であっても、悪い種であっても、その実りは必ず、自分が刈り取ることになるということ……。
けれど、そこで、ミーアは言葉を切る。恐らく、それでは、商人たちは納得しないだろう。彼らには、彼らの理屈で語りかける必要があるわけで……ミーアはしばし考えて……。考えて……。
――あら、どう言えばいいかしら……?
ちょっぴり焦る。
――う、ううむ……。てっきりクロエたちのアイデアに乗ってくると思ってましたのに。ティオーナさんの説明も良かったですし、新種の小麦のことを情熱的に宣伝してくれたラーニャさんも……ラーニャさん……?
ふと、目に映ったのはラーニャの顔だった。心配そうにこちらを見つめているラーニャ姫……。彼女を見ると、ミーアの脳裏に甦ってくる光景があった。それは、そう……。
――ああ、ケーキのお城……ペルージャンのお城、ふふふ、あれが全部カッティーラでしたら、きっと食べきれないでしょうね!
ミーア、ついに、現実逃避を始めそうになって……けれどっ!
――うふふ、美味しかったですわね。カッティーラ、ケーキも……ケーキ!?
瞬間、ミーアの脳裏に、閃きが生まれた!