第八十三話 苦労人の弟と妹
さて、話は少しだけ遡り……。
楽しい楽しいお茶会を終え、巫女姫の塔から出た慧馬は、そこにゲインとギミマフィアスの姿を見つけた。
「むっ? お前は……、このようなところでなにを……」
てっきり、もう、去った後かと思っていたので、思わず驚いてしまうが……。
「なに、良い馬が見えたので、少し鑑賞していたまでのこと……」
そんなことを言うゲインの視線が向かう先には、慧馬の愛馬、蛍雷の姿があった。
黒く艶やかな毛並み、しなやかに引き締まった筋肉……。走るために洗練された、圧倒的な姿かたちは、なるほど、見惚れるに足る美しさがある。
「ほう。そうか、それならば仕方あるまい……」
なぁんて偉そうに頷きつつも、慧馬の頬がわずかばかり緩む。
ニマニマしそうなのを堪え、あえて、しかつめらしい顔をしてから、慧馬は言った。
「我が愛馬、蛍雷は火一族の宝。月兎馬の中の月兎馬、駿馬の中の駿馬だ。滅多に見られるものではないから、よく見ていくと良い」
上機嫌な慧馬に、ゲインはゆっくりと首を振り、
「いや、十分に堪能させてもらった。それに、あまり熱心に見ていると、盗むと勘違いされて、そこの戦狼に噛みつかれそうなのでな」
そう彼が視線を向けた先、茂みの中にはジッと視線を注ぐ一匹の狼がいた。
「ほう。我の羽透に気付いているとはさすがだな。レムノの剣聖ならばいざ知らず、王子殿下にしては、なかなかできるではないか」
「その口ぶり……あれは、お前の狼か? てっきり、お前の兄の連れかと思ったが……」
怪訝そうな顔をするゲインに、慧馬は、ドヤァッという顔で頷き、
「そうだ。我が相棒の戦狼、羽透だ」
その声に応え、茂みから羽透が走り出る。
待ちくたびれましたぜ! とばかりに、慧馬の隣にお座りすると、ドヤァッとゲインたちのほうに顔を向ける。
「なるほど、よく訓練されているようだな……」
ゲインは、何事か考えるように頷いてから、
「……しかし、お前の兄は、なかなか難解な男のようだな」
「それを言うならば、お前のほうが、だな。ゲイン・レムノ。弱体化したとはいえ、蛇の巫女姫の弟とは、なかなか因果な……あの姉とでは、会話をするだけで精神を削られたのではないか?」
「違いないな。しかし、互いに、兄姉には苦労させられるな」
「だが、お前のほうは、弟には恵まれたのではないか? アベル・レムノは、なかなかに見どころのある戦士だと思うが……」
ゲインは、一瞬、頬を引きつらせる。けれど、慧馬の、そのあまりにもあけすけな物言いに、却って毒気を抜かれたらしい。苦笑いを浮かべた顔からは、普段の険が感じられなかった。
「ところが、よくできた弟というのも、なかなかに厄介なものでな。馬鹿にして、自分以下だと見下せればよいのだが、こちらが真っ当であろうとするなら、抜かされぬように手を抜くことができないのさ」
肩をすくめるゲインに、そっとギミマフィアスが歩み寄る。
「ゲイン殿下、そろそろ出発しませんと、途中の村までたどり着けませんので」
「ああ……そうだな。狼もいる地では、おちおち野営もできんか……」
そう言って、踵を返しかけたゲインであったが……ふと、そこで立ち止まる。
「どうだ、お前も来るか?」
突然の申し出に、慧馬は、二度、三度と目を瞬かせた。
「どういうことだ……? むっ、まさか、我を襲って、我が愛馬を盗もうというのでは……」
主の疑念に応えるように、羽透が、ぐるる、っと敵意を表す。が、ゲインは鼻で笑い飛ばす。
「お前の馬が、俺の馬に勝っているとでも思うのなら、それは自惚れというものだ」
そのゲインの言葉に応えるように、彼の馬が嘶きを返した。
「むっ……。確かに……我としたことが、軽率だったようだ」
素直に頭を下げる慧馬に、ゲインは苦笑をこぼす。
「詫びには及ばぬし、警戒する必要もない。別に大して理由があるわけじゃないからな。ただ、俺はこれから、姉の暗殺未遂事件を調べようと思っている。もしも、巫女姫の過去の事件がわかれば、お前の兄に対する巫女姫の影響力を減ずることができるのではないか、と思ったのだがな」
チラリと慧馬に視線を向けるゲイン。それを受け、慧馬は、むむむっと眉根を寄せて……。
「……それは、まぁ確かに。それに、燻狼の手掛かりもないし……。兄上があの様子ならば、追跡はむしろ任せてしまうこともできるか……ううむ……」
ぶつぶつつぶやきつつ、考え込む慧馬であった。
一方で、ゲインのそばに、ギミマフィアスが歩み寄り……。
「よろしいのですか? 同行者など……。下手をすると、レムノ王国の恥に繋がることが明らかになってしまうやもしれませぬが……」
「構わんさ。それに、あの女にも無関係のことでもあるまい」
その言葉に、レムノの剣聖はしばし、髭に手をやってから……。
「なにか、狙いがあってのことですか?」
「狙い、というほどのことはない。ただ、女の狼使いというのは、面白いと思っただけだ」
それから、ゲインは自らの外套を手に持った。その家紋に勇ましく描かれたものは……。
「知らぬはずがないだろう? この家紋の意味。我がレムノ王家の家紋が、なぜ戦狼であるのか……。その興りには、狼を従えた強者が大きく関与しているということを」
「建国神話ですな。無論、存じておりますが……」
訝しげに眉を潜めるギミマフィアスに、愉快そうな笑みを浮かべ、ゲインは言った。
「狼の使い手はみな男と言われていたが……。女の狼使いがいるのならば、それは実に皮肉な話じゃないか」
っと、ひそひそと話をする二人に、慧馬が振り向いて、
「ところで、目的地はどこなのだ?」
問いに対する答えは、簡潔だった。
「レムノ王国の南方、黄金の港セントバレーヌにほど近い貴族領だ」