第七十八話 フォークロード家の団欒
さて、ミーアたちと別れたクロエは、馬車で一路、実家に向かっていた。
彼女の家は、セントバレーヌの一角にあった。そこは、大商人の館が多く建ち並ぶ、いわば、金持ちたちが集中して住まう区画であった。
きらびやかな街並みを眺めながら、クロエは、思わず懐かしさを覚え……たりはしなかった。
むしろ……。
「また、新しい家が建ってる……。変わらないな、ここ」
盛者必衰なうえ、新しもの好きが多い商人たちらしく、ここの街並みはコロコロと変わる。それこそ、クロエがセントノエルから帰ってくるたびに変わるわけで、正直なところ、懐かしさなど覚えようもない。
それでも、この街の活気ある空気が、クロエは好きだった。
「ありがとうございます」
屋敷の前まで送ってくれた御者に挨拶してから、門をくぐる。
そこでふと立ち止まる。
母自慢の園庭には、異国の花だろうか? 見たことこのない美しい花が咲き誇っていた。
赤い、手のひらサイズの花。それを眺めていると……ひらり、ひらりと蝶が飛んできて……。花に留まった……次の瞬間っ!
ぱくんっと、花が閉じ、蝶をひと飲みにしてしまった。
「わっ……これって……もしかして、本に載ってた虫を食べる花……?」
クロエは思わずと言った様子で観察してしまう。それから、小さくため息を吐いて……。
「もう、お母さん……。変わった物に価値を見出すのは、商人のサガだけど……花ぐらい普通の物を植えればいいのに」
秘境の花に文句をつける、秘境の珍味レシピ愛好家のクロエである。小さくため息を吐いてから、クロエは玄関のドアを開けた。
「ただいま」
「あら、クロエ、おかえりなさい」
すでに、馬車が止まる音が聞こえていたのか、そこにはクロエの母が柔らかな笑みを浮かべて待っていた。
ふっくら、丸みを帯びたふくよかな顔、丸いメガネの奥には知的な好奇心の光が輝いていた。そして、その隣には、
「やぁ、お帰り、クロエ」
「あ、お父さんも帰ってたのね」
同じく、優しげな笑みを浮かべる父の姿もあった。
クロエの父、マルコ・フォークロードは、多忙な人だった。ミーアネットの手伝いはもちろんのこと、未だに商会の長である自らが各国を飛び回っては、商談をまとめることもしばしばで。
その気質は、若き日に、行商人をしていた頃のままなのだ。
「ミーア姫殿下がいらっしゃるとお聞きしたからな。なんとか、予定を切り上げてきたんだ」
「さぁ、早く入って。お食事をしながら、学園のことを聞かせてくださいな」
誘われるままに食堂に入れば、そこには、クロエの好きな食べ物が、いっぱいに並んでいた……補足するが、別に珍味の類ではない。せいぜい、ナニカの塩辛が、小さなお皿に盛られているぐらいで、他は、特にない。
これならば、たとえラフィーナであっても、このしょっぱい食べ物はなにかしら? などと余計なことを聞かなければ、楽しくお食事ができそうなぐらいだ。
「ふふふ、この塩辛ひさしぶり……。それに、ランプモンクフィッシュの肝もある。こってりしてて美味しいのよね」
「ははは、クロエは、将来、酒飲みになりそうだなぁ」
などと、久しぶりの家族水入らずのひと時を過ごした後に……。
「それで、父さん、手紙で知らせたことなのだけど……」
クロエは、本題を切り出す。
「ああ。ミーア姫殿下との会談の件だね。もちろん、問題ない。むしろ商人組合に所属している者はみな、ミーアさまのお話を聞きたがるだろう。新しい小麦のことや、ミーアネットのことなどをな」
「えっと……もしかして、お父さんが事前に広めてくれたの?」
そう尋ねると、マルコはニヤリ、と笑みを浮かべて。
「まぁ、多少は、な。いずれにせよ、ミーア姫殿下が話したいというのなら、それを止める者はいないだろう。今や、ミーア姫殿下は、大陸の小麦事情のキーマンだからね」
「あくまでも、儲け話として、だよね……?」
クロエの問いかけに、マルコは難しい顔で頷いた。
「商人にとって、金を稼ぐことは絶対の価値基準だ。一度に大量に稼ぐのか、それとも長く平均的に稼ぐのか、そこに考えの違いはあれど、価値観はすべてそこに依存する。儲け話と捉えれば協力を惜しまないだろうが、一方で、ただ倫理的な話をしたとしても納得は得られない。ミーア姫殿下はその辺りのことを十分におわかりだとは思うが……もしもの時にはお前がしっかりとサポートするのだよ」
クロエは、静かに考える。
ミーアネットに関して言えば……大商人シャローク・コーンローグとフォークロード商会によって、すでに体制が固まっている。新たな商会の協力は、今のところ必要ない。
今回、商人たちに協力してもらいたいのは、例の本の読み聞かせと、女神肖像画の出どころ調査についてだ。
「二人に、先に聞いてもらいたいんだけど……」
とりあえず、クロエは読み聞かせと、食べ物の栞のアイデアを両親の前で披露する。
「なるほど……。確かに、帝国で普及しつつある寒さに強い小麦は、癖が強いな……。美味しく食べる調理法もセットで教え込めるならば、普及の速度も上がるだろう。あまり儲けは出ないかもしれないが、完全な慈善事業というわけでもないから、耳を貸してくれる者もいるかもしれない」
「それと、フォークロード商会で、本を刷りたいんだけど……」
「そうだな。何人か職人を当たってみよう。だが、どちらかというと、中央正教会の側のほうが、伝手があるのではないかな」
なんといっても、神聖典を刷るための職人たちがいる。それに、聖女ラフィーナの肖像画を毎年刷っては各国に流通させているわけで……。
「ミーアさまは、ラフィーナさまとも懇意にされているはず。そちらのほうにも話を通しておいたほうがいいだろう」
父の助言に、クロエは一つ頷いてから……。
「それと、これも話しておきたいんだけど、実はセントノエルで、こんな肖像画が見つかったの……」
そうして、クロエは例の肖像画のことも話してみる。
「女神の肖像画……そのモチーフがミーア姫殿下である、か……」
マルコは、腕組みしつつ、難しい顔をする。
「それはいかにも厄介な話ね」
母のほうも、頬に手を当てて困った顔をした。
「どう思う? 誰か、そういうことをしそうな人に心当たりとか……」
「難しいところだな。商人たちの間でミーア姫殿下の評価は高いし……というより、そうなるように、私とシャローク殿とで画策したのだが……」
ミーアネットに関して、互いに協力していくことで同意していた二人は、さらに支援者を増やすべく、セントバレーヌで行動していた。
ミーアネットの理念や、ミーアの先見性、さらに、新種小麦ミーア二号のことを、細大漏らさず、嘘にならない程度の誇張も交えて、付き合いのある商人たちに触れ回った。
その結果……。
「いささかやり過ぎた感はあったのかもしれない。ミーア姫殿下に民草の人気が集まることを予見して、そのような肖像画を作った商人がいないとは言い切れないな。我が商会やコーンローグ殿のところで作ったとは思いたくないが……」
それすらも断言できない。
商人として、その肖像画が売れるということが予想できてしまう以上、誰もやらないとは言い切れないわけで……。
「長期的に見れば、それは中央正教会からにらまれる悪手ではあるが……目先の儲けを出すためにやる者もいるかもしれない」
眉間に皺をよせ、マルコは続ける。
「可能性はないことはない。が……」
クロエは、うーん、と唸り腕組みする。その姿は、どこか、その父マルコに似ていた。




