第七十七話 多層的を好むミーア姫
帝国の叡智ミーアは、常に先を見据えて行動している……と、ルードヴィッヒは信じている。この時期に、セントバレーヌを訪れたこともそうだ、と彼は考えていた。
ミーアがデザートのケーキに歓声を上げている頃……従者たちの席では、少しばかり真面目な会話が成されていた。
「やれやれ、こうして我々従者にまで豪勢な料理を提供していただけるとは。ルシーナ司教は、ずいぶんと心が広い方のようで……」
目の前の……ご令嬢たちの手作りじゃないお料理を食べながら、キースウッドは笑みを浮かべた。心なしか、その目じりには感動の涙まで浮かんでいるように見える。
「ところで、ディオン殿の姿が見えないようですが……」
「ああ、彼は街に出ていますよ。あまりこういった場所は好まないというのでね」
答えたのはルードヴィッヒだった。
「それに……どうも落ち着かないようで」
「まさか、町に暗殺者が紛れ込んでいる、とでも?」
キースウッドはそっと声を落とした。
港で、商人の出入りも激しい町ではある。あり得ないこともないが……。
そんな彼にルードヴィッヒは首を振った。
「いや、それよりは、商人たちの私兵によって守られている町というものが……ですね」
セントバレーヌは、ヴェールガ公国の飛び地である。この地を守るのは、あくまでもヴェールガ、そして、中央正教会の権威でしかない。実際的な武力は、あくまでも各商会が金を出し合って雇った傭兵団であって……。
「念のため、防備のほうを確認しておきたいとか……」
「なるほど。職業軍人としての視点というわけですか」
腕組みしつつ頷いて……それから、そっとキースウッドは声を潜める。
「ところで、正直なところ、ルードヴィッヒ殿はどうお考えなのですか? 今回の事態を……」
いささか際どい質問に、ルードヴィッヒは静かに周りに目をやってから、わずかばかり声を低くして……
「早めに手を打てばそれほど大きな問題になるとは思わないが……放置は危険といったところ……でしょうか。キースウッド殿も、似たようなものでは?」
逆に問われ、キースウッドは静かに頷いた。
「地理的に見て、セントバレーヌはレムノ王国の南方との関係も深い。大陸の商人たちがこぞって拠点にしているうえ、ミラナダ王国やその周辺の小国にも影響力がある。となれば、無視はできない場所、ではありますかね」
だからこそ、この地に派遣された司教との対立は、色々と面倒事が多い。そう判断したらしいキースウッドに、ルードヴィッヒは静かに頷く。
「民衆の抱く不安感を軽減させるための対策をするにしても、ここは良い場所でしょう。商人たちの流通網を利用すれば、効率的に手を打つことができる。そういう意味では、この地は重要地点と言えますが……ただ」
「ただ……?」
怪訝そうな顔をするキースウッドに、ルードヴィッヒは腕組みする。
「それだけではない気もします。なにしろ、ミーアさまは、多層的な思考を好まれる方ですから……。はたして、それだけなのか……」
なぁんて、ルードヴィッヒが言っている後ろのほうで、ミーアが、
「ほうっ! このケーキ、三段になっておりますわ。間にフルーツとクリームが挟まっている。実に芸が細かいですわ!」
などと声を上げていたりする。多層的なケーキを好むミーアである。
まぁ、ルードヴィッヒらの耳には届いてはいなかったが……。
「あるいは、ミーアさまは、もしかすると、女帝になる時のことを考えておられるのではないか、と私は考えています。これからミーアさまが女帝を目指すうえで、ルシーナ司教との友好関係を築くことが重要なのではないかと……」
「というと……?」
ルードヴィッヒは人差し指で、クイっと眼鏡の位置を直しつつ……。
「今後、女帝になるために、ミーアさまは国内のことに注力しなければならない。そのために、ある程度は国外のことから手を引きたいとお考えで、そのために、中央正教会の力を期待されているのではないかと……」
中央正教会は、国を超えた組織である。ゆえに国家間の助け合いなど、調整役はある程度は彼らに任せたいというのが、ミーアの思惑なのではないか、とルードヴィッヒは考えていた。
……面倒くさいことはすべて、誰か上手いことできる人に任せたい! と考えているミーアと、概ね一致していた!
「それに……女帝になるためにも、ミーアさまは、中央正教会と対立するようなことは、絶対に避けたいのではないかとも思うのです」
視線を向けた先、ミーアはニコニコとケーキを食べていた。それから、ルシーナ伯爵夫人と、愛想よく談笑している。実に、友好的な雰囲気である。
「てっきり、ミーア姫殿下が女帝になることは既定路線だと思っていましたが……。まだ、そこまで気を使う必要があるのですか? 帝国内の権力の掌握は済んでいるものとばかり……」
と、首を傾げるキースウッドに、ルードヴィッヒは小さく首を振った。
「もちろん、万全を期してはいます。権力者や民の心を掴むことに、余念はありません。けれど、中央正教会と敵対した場合、民の中に反対者を生む恐れがある。民は、本質的に変化を嫌うもの。女帝になるというだけでも、それは、前例のなきことですから。そのうえ、人々の生活に密着した中央正教会との関係まで悪化してしまえば、どんな反応が返ってくるかわからない」
「ラフィーナさまとミーア姫殿下の関係性は良いが……それ以外の司教たちとも繋がりを持ちたいとお考えということですか」
腕組みしつつ、納得の頷きを見せるキースウッド。そんな彼に、さらにルードヴィッヒが言葉を続ける。
「あるいは……」
「まだ、なにかあると……?」
驚いた様子のキースウッドに、ルードヴィッヒは苦笑して……。
「なに、大したことではないのですが……姫殿下が幼き日に、このようなことを言っておられたのです。海を越え、遠き異国に行くことは可能か……と」
幼き日……具体的に言うならば、それはまだ、ミーアが断頭台の運命から逃れ得ぬ日に、であるが……。
ミーアは言ったのだ。
「(革命が起きて、命が危うくなったら、革命軍の手の届かない)海を越えた遠き異国に行く(逃げる)ことは可能かしら?」
と。
それをきっちり覚えていたルードヴィッヒである。
「……つまり、ミーア姫殿下は、ゆくゆくは、海外の異国に渡り、同盟関係を結ぶことを望んでいる、と?」
「単純に、小麦の輸入先を海外に、と考えていただけかもしれませんが……あるいは、海の向こうの国とも積極的な交流をお考えということもあり得るかもしれません。国内のことを片づけ、近隣国とも友好的な関係を築いたら……その先は」
「海の向こう側の国、かぁ。なるほど……相変わらず、スケールがとても大きいですね」
そんな感じで、キースウッドが苦笑しかけた、まさに、その時だった!
「ほう! このケーキに使われているクリームも海外の調理法……。それは興味深いですわね! これは研究の余地がありそうですわ」
なぁああんてミーアの興奮した声が聞こえてきたので……。
「……ちなみに、ルードヴィッヒ殿、一つお聞きしたいのですが……海外にも毒キノコというものは、あるのでしょうか?」
何の脈絡もないキースウッドの問いに、首を傾げるルードヴィッヒであった。




