第七十六話 先を見据えるミーア姫
帝国の叡智ミーアは、常に先を見据えて行動する人である。
今日、セントバレーヌ入りをしてから、すぐにルシーナ司教の屋敷には向かわず、教会に寄ったこともそうだ。いろいろ歩き回って調整したから、海の幸を見事に平らげ、お腹の具合は八分といったところ。
デザートが入る余地は十二分にある。
ということで、デザートまだかな? と、ウッキウキしているミーアであったが……。
「そういえば、ミーア姫殿下……。お聞きしたいことがあるのでした」
ルシーナ司教が不意に、生真面目な口調で言った。
「あら……? なにかしら?」
食堂の入口のほうを気にしつつも、チラリ、とルシーナ司教のほうに目を向ける。っと、司教は実に穏やかな顔で……。
「我が息子リオネルではなく、レアを生徒会長に推薦したという、その意図について……」
再び、鋭く切り込んできた。
「ああ、それはラフィーナさま……」
っと、そこで、ミーアは口を閉じる。
……うっかり、ラフィーナさまが、ルシーナ司教に一泡吹かせろと言ってたから……などと口を滑らせそうになってしまったのだ! どうやら、お料理に使われていた油が、ミーアの舌の滑りを良くしていたらしい。危ない、危ない。
ミーアは口の中を洗い流すべく、グラスの果実水をコクリ……。うーん、美味しい。
それから、真っ直ぐにルシーナ司教を見つめ、
「そう、ラフィーナさまとわたくしたちとで、守ってきた生徒会を……その施策を、レアさんならば、立派に継いでくださる、と思えたからですわ。ルシーナ司教が褒めてくださった、特別初等部の構想や、わたくしたちが訴え続けた、各国の助け合いの理念についても……」
「それが、リオネルではできないと……?」
「そうですわね……」
ミーアはチラリ、とリオネルのほうに目を向ける。っと、父とミーアの会話が気になっているのか、ジッとこちらに視線を注いでいるのがわかったので……。
「言葉を交わし、互いのことを理解できた今であればいざ知らず……あの時点では、不安がございましたわね」
すかさずフォローを入れる。さらにさらに……!
「それに、わたくしのみならず、きっと当事者である子どもたちも、不安だったのではないかしら……?」
責任の所在を若干、子どもたちのほうにシフト。これにより、子どもたちへの気遣いゆえの選択であったと訴える。
「レアさんは、新入生歓迎パーティーの折、子どもたちの面倒をよく見てくださいましたわ。きっと特別初等部の子どもたちも、レアさんならば、心安らかでいられたはず。それにわたくしも、レアさんは、心の優しい方……生徒会を任せるに値する方であると、思いましたわ」
「なるほど……。短い期間の中で、レアは、あなたの信頼を勝ち得たということですか」
「ふふふ、そういうことですわね。素晴らしい娘さんですわ」
「みっ、ミーアさま……!」
っと、そこで、レアが恥ずかしそうに声を上げた。その頬が赤く染まっている。
「あらぁ、照れることないのにー。あなたは、立派だったわよー」
そんな妹弟子に、姉弟子オウラニアが、自分のことのように誇らしげに胸を張った!
「補足させてもらうならば、リオネルくんも立派に選挙を戦ったことも、ぜひ伝えておきたいな」
続いて口を開いたのは、シオンだった。
「ああ。シオン殿下は、リオネルの応援演説をしてくださったのでしたね」
「ええ。彼の選挙戦が潔いものだったので……。結果は残念でしたが、過程での行いが否定されるものではないでしょう。彼は立派でした」
シオンの言葉に、今度はリオネルが、居心地悪そうに体をもじもじさせていた。親の前で褒められるのが、照れくさかったらしい。
「それは、ありがとうございます。ふふ、あなたほどの方にお気遣いいただけるとは、リオネルも果報者ですね」
そう言って、頬を緩めたルシーナ司教は、純粋に子を思う優しい父親の顔をしていた。少なくとも、ミーアには……そう見えた。
「けれど、ルシーナ司教の思惑と外れてしまったのでしたら、申し訳なかったですわ。もしや、リオネルさんに生徒会長を務めさせて、伯爵家を継ぐための箔をつけたかったとか……そのような事情があったのかしら?」
試しに、逆に探りを入れるミーアであったが、当の司教は気にした様子もなく……。
「いえ、そういったことは特にありません……。しかし、なるほど。選挙の状況がわかって納得しました」
満足げに頷くルシーナ司教を見て、ミーアは小さく首を傾げる。
――ふぅむ……。少し意外な反応ですわね。てっきり、なにか文句でも言われるかと思いましたけれど……この反応は……。ラフィーナさまの思惑とは、少し違ってきてしまいますわね。
ぎゃふんと言わせろ、とのことだったが……。見たところルシーナ司教は、特にショックを受けてはいなそうだった。
いや、むしろ……計算通りに事が進んだというような空気すら感じられて……感じ、られて……?
ふわりと甘い香りが、鼻先をくすぐり……そこで……、ミーアの思考は途絶えた。
ミーアの視界が白く染まる。白く……すべすべの……。そう! 美しいケーキにっ!
――あっ、あれ……は? まさか……。でっ、デザートっ!?
そう、待ちに待ったケーキを前にして、ミーアの思考は呆気なく吹き飛んでしまったのだ。
「お……おぉ……これは……」
現れたケーキを前に、ミーアは思わず、歓声を上げる。
「セントバレーヌ近郊で採れるクックナッツという実の汁を使って作ったケーキです。ミーア姫殿下は甘いものがお好きだと子どもたちからお聞きしまして、作ってみたものなのですけど、お口に合うかどうか……」
などと、謙遜したのはルシーナ伯夫人であったが……。ミーアには確信があった。
――このケーキ、匂いだけで、とっても美味しいですわ!
ミーアは満面の笑みで、そのケーキを見つめる。
「クックナッツとは聞いたことがございませんけれど……」
「固い木の実で、とても栄養豊富なんですよ。絞るとミルクのような果汁が取れて……」
ルシーナ夫人の言葉に、ミーアは感心した様子で頷く。
「なるほど。木の実からもミルクが絞れるのですわね。ほう! しかも、このケーキ、よく見ると三段になっておりますわ! 間にフルーツとクリームが挟まっている。実に芸が細かいですわ!」
などと上機嫌に鼻歌を歌いつつ、切り分けられるケーキを眺めているミーア。
一方で、少し離れた従者たちのテーブルの様子は、というと……。