第七十五話 大海月ミーア、溺れる
さて、部屋に留まることしばし。待ちに待った時間は、ようやく訪れた。
呼びに来たメイドの少女について行った先には、とても広い食堂が。中央に置かれた長いテーブルの上には皿やグラスが並んでいた。
ちなみに、アンヌやリオラ、リンシャ、キースウッド、ルードヴィッヒら、従者の者たち用にも別のテーブルが用意されていた。
ミーアの知る限り、これは、貴族の晩餐会では大変珍しいことではあるが……。
――まぁ、ラフィーナさまも、似たような感じでしたし、ヴェールガ公国の感覚では、普通なのかもしれませんわね。
ラフィーナと初めて会った時の、大浴場での出来事を思い出すミーアである。あの時も、アンヌが一緒に浴槽に入ることを、ラフィーナは咎めなかった。
――一糸をもまとわぬ舌の前では、貴族も平民もなく、ただ人と人とがあるばかり。ふむ、真理ですわね。
っと、ミーアが心の中でラフィーナの言葉を改竄していると、
「ようこそいらっしゃいました。お初にお目にかかります。リオネルとレアの母、レベッカ・ボーカウ・ルシーナです」
テーブルの前で控えていた女性が、頭を下げた。
穏やかな雰囲気の女性だった。
優しげに笑みを浮かべるその目元に、ミーアは、子どもたちと接する時のレアと似たものを感じる。
「いつも、子どもたちがお世話になっています」
「ご機嫌麗しゅう、ルシーナ夫人。ミーア・ルーナ・ティアムーンですわ。以後、お見知りおきを」
ミーアに続き、同行の面々が自己紹介する。
「よろしくお願いいたします。それにしても……ふふ」
レベッカは、小さく笑い声をこぼして、
「リオネルとレアが、こんなふうにお友だちを連れてくるなんて、想像もしていなかったわ」
「お母さま、お友だちなどでは……。みなさんは、ぼ……私たちの先輩で……」
「あら、そうでしたね」
明るい、和やかな空気の中、晩餐会は始まった。
「おお……」
目の前の皿の上、並べられていく料理に、ミーアは思わず唸った。
ミーアの手のひらほどの大きさの貝殻、その上に、つやつやした白い身が乗っている。オレンジ色のソースの色が、その白い身を飾り上げ、それはまるで、一枚の絵画のような美しさだった。
「それは、茹でたソイスターという貝に、魚卵のソースをかけたものです」
レベッカの説明を聞きつつ、ミーアは早速、貝を手に取り、スプーンで口に運ぶ。
貝殻から、つるん、と口の中に飛び込んでくる実の部分。ぷるん、ぷるん、とした口触り。柔らかで、歯応えがまったくないかと思いきや、かすかに歯に当たる、プリプリとした固さ。
噛みしめるたび、口にジュジュワッと湧き出してくるのは、ほのかに苦味の混じる濃厚な旨味だ。口の中に広がるクリーミーな味、鼻を抜ける新鮮な潮の香りに、ミーアは、ほーふー、と息を吐く。
「これは……実にお見事なお味ですわ。これは、まるで上質のキノコを食べているかのような、素晴らしいお味ですわね」
ミーアのする最大級の賛辞を受け、レベッカ・ボーカウ・ルシーナは柔らかな笑みを浮かべた。
「お褒めに預かり光栄です。ミーア姫殿下。きっと、調理場を預かる者たちも喜ぶことでしょう。この貝の料理は、日持ちがしないので、つい先ほど仕上げたものなのです」
「まぁ、短い時間しか楽しめない、贅沢な料理なのですわね」
「ええ。帝国はもちろん、セントノエルでも楽しめない、この地ならではのものをお楽しみいただこうと思いまして……」
「ふふふ、歓迎の徴ですわね、とっても嬉しいですわ」
上機嫌に微笑むミーア。であったが、
「ところで、ミーア姫殿下。この度は、どのようなご用件で、このセントバレーヌにいらしたのですか?」
その一言に、わずか……ほんの少しだけ意識をルシーナ司教のほうへ。
「ああ……。そうですわね……」
ミーアは、近くのパンを取り、軽くちぎって口の中へ。もっもっ! っと噛みしめつつ、考える。
――女神肖像画の件は、まだ伏せておく、という方針は変わりませんわ。ならば、ここは……。
美味しい果実水で口をすすいでから、ミーアは言った。
「次期生徒会長を担ってくださるレアさん、そして、レアさんを支えるリオネルさんのお父さまと、一度お話ししたいと思っておりましたの」
「お話し……ですか。どのようなお話しをご所望なのでしょうか?」
「いろいろ、ですわ。なにしろ、直接、こうして対話をしなければわからないこと、誤解してしまうことというのはございますから」
仮に女神肖像画を見つけてたとしても、誤解ですから。きちんと疑問に思ったら、口に出して聞いてね! と暗に主張しておくミーアである。
「誤解……なるほど。それでは、その誤解のほうは解けそうですか?」
「そうですわね……。互いに言葉をかわしていれば、おのずと理解は深まり、誤解は解けるものではないかしら」
だからこそ、きちんと懸念がある時は直接言え! とミーアは言いたいのだ。黙って勝手に敵視しないで、悪いところがあったら、ちゃんと直すよう鋭意努力するから! と……前時間軸のシオンやラフィーナに訴えたかったミーアである。
「なるほど。相手を深く知れば、誤解は解消される……それは真理でしょう。が、誤解が解消され、相手の真の姿を見てしまったがゆえに、却って対立が深まるということもあるのではないですか?」
「あるいは、そういうこともあるかもしれませんけれど……それを危惧するのは、理解を深めた後になるのではないかしら?」
そうして、ミーアは、近くにあった貝を手に取って、
「この貝と同じこと、だと思いますわ。明日食べる貝の心配をして、今日食べるべき貝の食べ時を逃すのはもったいないこと。今日食べるべき美味しいものを、まず楽しんで食べることが大切だ、とわたくしは考えますの」
つるん、っと美味しい貝を口に入れ……。
――ふふふ、さて……明日からの調査を頑張るためにも、今日はたっぷり食べて英気を養いますわよ!
アンヌがそばにいない今、ミーアを止める者はなく……。
海の幸に溺れる大海月ミーアなのであった。