第七十四話 先輩メイドアンヌの励まし
――ふぅむ……リオネルさんたちに聞いていたとおり、やはり、ルシーナ司教は、わたくしのことを敵視していないような気がしますわね。
ルシーナ司教と話しながら、ミーアは思う。
――特別初等部に関しても賛成のご様子ですし、ここでやっていること自体も、わたくしたちとあまり変わりの無いこと。ということは、やはり、ルシーナ司教が、わたくしを攻撃するために、肖像画を作ったわけではない、ということかしら……。
ミーアは考え込みつつ、使用人たちの前を歩いていく。
――であれば、先手を打って女神肖像画のことを話しておくべきか……。いえ、しかし……。
焦りは禁物、とミーアは踏みとどまる。
相手がラフィーナであれば、信用できる。すべてを包み隠さず話したほうが良いのは確実だ。けれど、ルシーナ司教の場合、まだ何とも言えないところがある。
――警戒されてしまったら……まずいことになりますわ。むしろ、こちらが把握していない体でいたほうが……少なくとも海の幸を食すまでは……。
そう、ミーアは心配していたのだ。この後に用意されているであろう、晩餐会を!
長旅だったし、せっかく歩いてお腹を空かしてきたのだ。できれば、和やかに、心おきなく、ご馳走を食べたいのだ。
であれば、今は、言う必要のないことは言わないに限る。
刹那の判断、その後、ミーアは屋敷に向かって歩いていく……が、ふと、一人のメイドの少女が目に留まった。年の頃は、ヤナやパティと同年代だろうか? そばかすがチャーミングポイントの、ちょっぴり垢抜けない少女だった。
「……あなた、少し顔色が悪いようですけど、大丈夫ですの?」
ミーアに声をかけられた少女は、ひぅっと声を上げて、跳びあがった。緊張のせいだろうか。ギクシャクした動きで、頭を下げるのみだった。
「申し訳ございません。ミーア姫殿下」
代わりに口を開いたのは、少女のそばにいた老齢のメイドだった。少し厳しい印象のあるメイドは、その少女をかばうように一歩前に出て、
「この者は、その……少々、そそっかしいところがありまして……。高貴なる方々がいらっしゃるということで、緊張してしまっているのです」
「まぁ!」
ミーアは少女の顔を見て……その、そばかすの散った顔に、ついつい微笑ましいものを感じて。
「ふふふ、別に気にする必要はございませんわよ。多少、そそっかしくても……」
それから、ミーアは自らの専属メイド、アンヌのほうに目を向けて……一瞬、これは、アンヌの不名誉になってしまうかな、と心配になったが……。
「わたくしの大切な腹心である、このアンヌも、最初は割とそそっかしかったですわ。今でこそ、わたくしの信頼する彼女も、なかなかのものでしたのよ。ねぇ、アンヌ……」
アンヌは、一瞬、ミーアの目を見つめてから、心得た! とばかりに頷いて、
「はい。ミーアさまが楽しみにしていたケーキをひっくり返してしまったことがありましたね」
おどけた様子で笑ってから、
「ですけれど、ミーアさまは、広いお心で許してくださいました。それどころか、私を専属メイドにしてくださったんです」
アンヌは、そっと自らの胸に手を当てて……未熟なメイドの少女に優しく語りかける。
「だから、大丈夫ですよ。ミーアさまはとても広いお心をお持ちの方ですから……」
自らの期待に完全に答えてくれたアンヌに、ミーアは満足げに頷くのだった。
さて……ミーアはなぜ、少女に声をかけたのだろうか? このように、緊張を解すように、優しく接したのだろうか?
それは、もちろん、ミーアが慈愛の聖女だから……なぁんてこたぁなかった。
ミーアは知っているのだ。叱責したり、プレッシャーを与えるのは逆効果であると。むしろ、緊張しすぎてより大きな失敗につながりかねない。
むしろ、ここは、リラックスさせてあげたほうが、良い結果が得られるだろう。
――緊張しすぎて、お料理をひっくり返されたりしたら、たまりませんし……。
さらに、ミーアは考える。ここの若い使用人たちは、修行中であると言っていた。であれば……熟練者であれば練られた忍耐力で耐えるような横暴にも、腹を立て、態度に出すかもしれない。
それは良くない。せっかくだから、滞在中は心地よく過ごしたいではないか。
であれば、むしろやるべきことは、愛嬌を振りまくことだ。自分から、丁重に扱いたい、と思わせるように振る舞うのがベスト。
ということで、ミーアは大変寛容な態度で、少女に言った。
「わたくしの友人たちは、誰も心が広いから、気にする必要はありませんわ。多少の粗相など……いいえ、ケーキをひっくり返されたって、何ほどもことはございませんわ。ね、アンヌ」
「もう、ミーアさま。ひどいです」
頬を膨らませるアンヌ。
そして、そんなやりとりを見て、そばかすの少女は、小さく笑っていた。さらに、そこから伝播するように、使用人たちの間にあった緊張感が薄らいでいくようだった。
――ふふふ、さすがはアンヌですわ。よく合わせてくれましたわ。
満足げに頷きつつ、ミーアは屋敷の中に足を踏み入れた。
ミーアたちは、晩餐会までの時間、それぞれ滞在する部屋に通された。
「失礼いたします。ミーアさま」
ノックと共に現れたのはルードヴィッヒだった。
「ああ、ルードヴィッヒ。どうかしたのかしら?」
「はい。実は、執事の方から、我々も晩餐会に招待を受けているのですが……」
「あら、あなたも? それは好都合ですけれど……」
知恵袋であるルードヴィッヒが同席してくれるのは、ありがたい話である。のだが……。
「それは、ルシーナ司教の側から言い出したことですの?」
どうにも、怪しく感じてしまう。こう……関係者を一堂に集めて、ヤバイ毒で一網打尽にしようとしているとか……。
――まぁ、そこまでするとは思えませんけれど……。うう、しかし、蛇のことを知ってしまったおかげで嫌な想像をしてしまうようになってしまいましたわ。美味しい食べ物にヘンテコなモノを入れるなんていうのは、まったく、信じられない非道ですわ!
どこかで、ダレカさんが、シラーッとした顔をしているような気がしないでもなかったが、まぁ、それはともかく……。
「いえ、どうも、リオネルさまが、気を回してくださったようですね。ティオーナさまのところの、リオラ嬢が魚を好きになれるように、と……」
「ああ……なるほど……。そういえば、お魚が嫌いと言ってましたわね。それで……」
はたして、それは、リオネルが自分で言い出したことか、はたまた、オウラニア辺りがせっついたか……。
「魚好きのプライドというものですわね……。リオラさんが焚火で焼いたお肉をプッシュしてくれたり、クロエが変わった食べ物をプッシュしてくれたりするのと、同じような感じかしら……ふふふ、いずれにせよ楽しみですわ。お魚嫌いを魚好きにしてしまうという絶品料理……。実に待ち遠しいですわ」
ベッドに座ったミーアは、足をぴょこぴょこさせながら晩餐会の始まりを待つのだった。
活動報告にも書きましたが、来週は急遽、一週間お休みとします。
特典が……特典が……なのであります……。