第七十三話 大きくて豪華な、学びの家
教会のほど近くに、ルシーナ司教の館は建っていた。
それは、先ほど見た立派な教会堂に負けず劣らずの大きな館だった。
――これは……なんというか、小さな城といった感じですわね。
高い壁や立派な門、広い庭と、それに相応しい、豪奢で荘厳な建物……。まさに、そこは、このセントバレーヌを治める領主の城といった様相を呈していた。
ミーアは、一瞬、考える。
相手の口を軽くするという点でも、友好を計るという点でも、ヨイショの使いどころはポイントだ。ゆえに、もしかすると、この館に対しても、なにか言っておく必要があるのかもしれないが……。
――なかなか、言葉選びが難しいですわ。
ルシーナ司教は、司教伯と呼ばれる人。貴族と司教を兼ね備えた人だ。
はたして、自尊心をくすぐるような貴族的褒め方をするべきか、それとも、清貧な司教にかける言葉を選ぶべきか……。
刹那の思考。その後、ミーアは選択する。
「……大きくて、ご立派な館ですわね」
ただ、事実のみを口にする! これである!
良いとも、悪いとも言わない。受け取った相手に委ねる形である。
目の前の館が大きくて立派な作りなのだから、それをただ口にするのみ……。と、思ったのだが……。
「どう思われますか? 姫殿下は、この建物を見て……」
曖昧さは許さないとばかりに、ルシーナ司教が踏み込んできたっ!
「ふむ……そう、ですわね」
まさか、ツッコミが入るとは思っていなかったミーアは、内心で、慌てる。
――ぐぬ……。なかなかに、手ごわい。おそらく、レアさんやリオネルさんを見ている限り、この方は俗物ではないはず。ですけれど、断定しづらいですわ……。
腕組みしつつ、ミーアは答えを編み出す。
「少なくとも、帝都ルナティアの、わたくしが敬愛する神父さまであれば、持て余してしまいそうな建物だ、と思いましたわ」
ミーア、またしても、善悪の評価を保留! 代わりに、新月地区の神父の価値観を借りつつ、敬愛するの一言を加えることで、ふんわり、否定的なニュアンスを付け加える!
ペルージャンの良質なお茶菓子は、ミーアの脳内環境を整え、クリアな思考へと導くものであった。
「なるほど。ルナティアに派遣された者は、善き神の使徒なのですね……」
「ええ。ご自分のことより、教会で面倒を見る子どもたちのことを気にする、とても優しい方ですわ」
……若干、ラフィーナの肖像画関係が気にならないではないが……まぁ、概ねいい人だと思うミーアである。
それはさておき、どうやら、ミーアの答えは正解だったらしく、ルシーナ司教は、少しだけ苦い顔で続ける。
「この建物は、ヴェールガから派遣される司教のために、と、この街の商人たちが建ててくれたものです」
「ああ。なるほど……。この地の商人たちの感謝の徴といったところですわね」
あるいは、それは、周辺国への牽制、ともとれるだろうか。
このセントバレーヌは、ヴェールガ公国の領土であると……それを証明するために、あえて、ヴェールガから派遣されてくる司教に、最良の館を提供する。
そのような思惑が陰に潜んでいそうだが……。
「華美に過ぎる建物だと私などは思うのですが、歴代の司教の中にはここに住むことで、ある種の特権を享受していた者もいたと聞きます。お恥ずかしい話ですが……ただ、広ければ、広いなりに使いようもあると思います」
その時だった。ルシーナ司教の帰宅を、館内の使用人たちが出迎えに出てくる。老齢の執事とメイド長を筆頭に並ぶのは、若い使用人たち。その中には、ベルやシュトリナはおろか、ヤナやパティほどの子どももいたため、ミーアは少しだけ驚く。
「海は恐ろしいところです、ミーア姫殿下。商人や漁師、船乗りたちは、とても呆気なく命を落とし、後には孤児たちが残される。商会や、漁師仲間で子どもたちの面倒を見ることができればいいのですが、すべて担えるわけがない。なので、この館で引き取り、生きていく術を教えているのです」
「なるほど。行き場のない子どもたちをルシーナ伯爵家の使用人として雇用すると……?」
感心した様子で問いかけたのは、シオンだった。けれど、ルシーナ司教は静かに首を振る。
「いえ、ここはあくまでも修行の場。技術を身に着けた者は、それぞれ、ヴェールガや他国に渡って、その家で働けるように取り計らっています。そうして、常にここには新しい子どもを受け入れられるようにしています」
それから、ルシーナ司教は、近くにいた子どもの頭に、そっと手を置いて、
「孤児たちを養育すると謳えば、商人たちはお金を寄付してくれる。その寄付は、次の子どもたちを養い育てるために使われる。善き金の流れを作り出すことができる」
それから、彼は、ミーアに、シオンに、アベルに目を向けて言った。
「私は、孤児院や教会が貧しくて良い、と思ったことはないのです。教会や孤児院に金があったほうが、より多くを救える。その建物が大きく堅牢なほど、多くの弱き者たちを受け入れることができるからです」
「この立派なお屋敷も、そうであると……?」
「ええ。この屋敷には、商人たちが献上した、一級品の家具や調度品が揃っていますから、ここで練習すれば、他国の貴族たちの家でも粗相をすることはないでしょう。壊しても良い一級品の道具が揃っている。修練を積むには良き環境でしょう?」
それから、彼は柔らかな笑みを浮かべた。
「ミーア姫殿下、セントノエル学園の特別初等部という構想……あれは、とても素晴らしいものでした。惜しむらくは、ラフィーナさまが、あれを始めたのではないことですが……それでも、意義があることに代わりはないのでしょうね」
そう言いながら、彼は屋敷の中へと、ミーアたちを誘った。