第七十話 アンヌ式殿方心掌握術を使って……
ミーアたち一行は、セントバレーヌに到着した。
直接、ルシーナ司教の館に馬車で乗りつけることも考えたが、ミーアの選択は、少し手前で馬車を降りることだった。それは、館の前に数台の馬車で乗り付けるなどという威圧的な態度をとることを避けるため……ということでもなく。
「せっかくですし、少し町の中を歩いてみたいですわね」
軽く、お腹をさすりつつ、そんなことを言うミーアである。先ほどのお茶が……その……ちょっと重たかったのだ。
今回の旅、ラーニャが一緒ということで、お茶菓子はペルージャン産の物が惜しげもなく出てきたりするわけで……。大変、お腹に優しくないのだ。
――しかし、セントバレーヌに泊まるとなれば、お夕食は海の幸が出てくるはず。ルシーナ司教だとて、可愛い子どもたちが帰って来たのだから、張り切って料理を用意したはずですわ。であれば……少しでもお腹の状態を万全にしなければ……。
ということで、軽く散歩してみたいと思うミーアなのである。
「では、私が、我が館までご案内いたします」
かしこまってそう言ったのは、リオネルだった。ミーアは再び、お腹をさすりながら……ふむっと頷き……。
「そうですわね。ですけれど……、その前に行きたいところがございますの」
「行きたいところですか? しかし、商人たちより先に、我が父にお会いになると……」
怪訝そうな顔をするリオネルに、ミーアは小さく首を振る。
「ええ。それはもちろんですけれど、ルシーナ司教に会う前に、先に教会に行っておきたいと思いまして……」
ミーアは静かに言った。
理由としては、もちろん、お腹の空腹具合の問題なのだが、もう一つ……。
――かつて、アンヌが言っておりましたわね……。殿方というのは、自分の仕事を認められると、嬉しくなってしまうものだ、と……。
そう、ミーアは馬車の中で考えていたのだ。ルシーナ司教との会談を、できればスムーズに、和やかなムードで終わらせたいと。そのために、以前、アンヌのアイデアを再び採用しようとしていたのだ。
では、ルシーナ司教の仕事とはなにか? もちろん、司教として神に仕え、教会に仕えることだ。となれば、彼の仕事場に行き、どこかしら、褒めるべき点を見出してから、館のほうに行ったほうがいいだろう。散歩もできるし、一石二鳥と言えるだろう。
「それはもちろん、ご案内することはできますが……その、館よりも前にですか? 普通は、父と面会し、その後、父がご案内する形で教会に行くのが常なのですが……」
「なるほど……そのような順番がございますのね」
ミーアは、しばし考えてから小さく首を振る。
「それでは、順序が逆、ですわね」
厳かに、ミーアは告げる。
なにしろ、面会でヨイショする種が欲しいのだ。面会をスムーズに、和やかにいかせるために『相手の仕事を褒める』という戦術を取りたいのだ。面会の後で教会を案内されたのでは、遅いのだ。
気まずい面会の後で教会に行ったのでは、意味がない。
ゆえに、ミーアは断固とした口調で続ける。
「ぜひ行きたいんですの。お願いできるかしら? リオネルさん」
再度請われ、リオネルは一瞬、目を見開いたが、すぐに頷いて、
「わかりました。それでは、どうぞ、こちらです」
足早に教会堂に向かった。
「おお、さすがに大きいですわね」
セントバレーヌの教会堂を見上げ、ミーアは思わず唸った。小さな城といっても過言ではないぐらいの大きさがある。実に見事な教会堂だった。
「商人の方たちの献金で建てられたものだ、と聞いています」
横から、レアが説明してくれる。
「なるほど。それで……。とても立派な建物ですわね」
白く磨き上げられた外壁、窓には大きなステンドグラスが使われており、実に荘厳な雰囲気を醸し出していた。
入口に足を向けようとして、ふと、ミーアは後ろに目を向ける。
「んっ? どうかしたかな?」
そこにいたのは、アベルだった。ミーアの視線に気付いたのか、アベルは小さく首を傾げる。
実のところ、ミーアは気付いていた。先ほどから、アベルがさりげなく、自分の近くを歩き、いつでも守れるような位置取りをしていることを。
「いえ、せっかくですし、エスコートしていただけないかしら?」
そう言ってミーアが差し出した手を、アベルは優しく握った。
――ふふふ、アベルとこうして並んで教会に入ると……こう……いいですわね!
上機嫌なミーア。うっかり鼻歌など歌いそうになり、慌てて自重。あくまでも敬虔っぽい、清らかに見えなくもない表情を浮かべて、鼻歌を聖歌にチェンジしたりする。っと!
「あら……あの子たちは……」
「あ、はい。読み書きを勉強に来ている子どもたちですね。漁師の子どもたちや、商人の子どもたちも、こうして教会で勉強しているんです」
説明しながら、レアがそちらに視線を向ける。と、それに気付いたのか、
「レアお姉ちゃんっ!」
子どもの一人が声を上げた。同時に子どもたちがワイワイやってきて、あっという間にレアを取り囲んでいく。
「ふふふ、レアさん、大人気ですわね」
などと、微笑ましげにその様子を眺めていると……。
「父上!」
リオネルが思わずと言った様子で声を上げる。つられてそちらに視線を向ければ、線の細い男がこちらに歩いてくるのが見えた。
司教のローブに身を包み、リオネルを見つめる男。澄んだ水色の髪は、リオネルやレアと同じ色で……。
――父上……ということは、あれがルシーナ司教、ですわね。
「なぜ、ここに? 館のほうに来ると思っていたが……」
ルシーナ司教は怪訝そうな顔で、リオネルに目をやる。
「はい。あの、ミーア姫殿下が、まずこちらに来たいとおっしゃられて……」
「そうか……」
その男は、厳かな表情で頷いて、ミーアの前に立つ。
「お初にお目にかかります。帝国のミーア皇女殿下。私はマルティン・ボーカウ・ルシーナと申します」
「これは、ご丁寧に。ミーア・ルーナ・ティアムーンですわ」
軽くスカートを上げるミーア。
予想外のルシーナ司教の登場に、一瞬、焦りかけるミーアであったが、よくよく考えれば、別に大した問題もない。
それに、少し前に食べたお茶菓子の貯蔵も十分すぎるほどだ。思いっきりこの教会のことをヨイショして、相手の心をガッチリ掴んでやろうと意気込むミーアである。
「とても良い教会ですわね」
ニッコリ、笑みを浮かべて言うミーアであったが……。
「それは、ありがとうございます。姫殿下。ちなみに……どのようなところが?」
切り返されて、ミーア、刹那の黙考……その後、
――商人たちのお金で建てられたと言ってましたわね。つまり、この建物自体を褒めたところで、ルシーナ司教の仕事を褒めたことにはならない。であれば……はて?
っと、そこでミーアは肝心なことに気付く。普段、司祭というのは、何をしているものなのか……っと!
――ええと、確か神父さまは……孤児院で子どもたちを預かっておりましたわね。それに、子どもに教育を施すのも中央正教会の仕事……となれば。
ミーアはチラリと目を向ける。その先にいたのは、聖堂に来ている子どもたちだった。明るい表情で、教わる子どもたちは、しっかりと教育を施されているように見えた。
「そうですわね。子どもたちの顔……かしら?」
「子どもたちの顔、ですか」
「ええ、そうですわ。あの子たちが明るく勉強をすることができている。それこそ、ここが良い教会の証ではないかしら? それに、司教さまのお子さんであるレアさんも、たいそう子どもたちに慕われているようですし……。とても良い光景だと思いますわ」
そうして、澄まし顔でミーアは言うのであった。




