第九十九話 帝国の叡智(恋愛脳)の選択
「かっ、かか、革命って、どういうことですの? なっ、なぜ……、そんな、わたくしの、今までの努力は? いったいどうして、急に帝国で革命なんか……」
かくん、と体の力が抜ける。ミーアは、目の前が真っ白に染まっていくのを感じて……
「きゃあっ! お、落ち着いてください、ミーアさま。ティアムーン帝国じゃありません」
「へ? ど、どういうことですの?」
きょとん、と首を傾げるミーアに、アンヌは言った。
「レムノ王国で革命が起こったって……。さっき、キースウッドさんが教えてくれたんです」
「え? なっ? うえぇ?」
何が起きているのか意味が分からなくって、思わずミーアは間の抜けた声を上げてしまった。
「どっどっど、どういうことですの? いっ、いったいなにが……」
まったくもって意味がわからなかった。
どうして、なぜ、レムノ王国で革命が? それもこんな急に?
「失礼します、ラフィーナ公爵令嬢」
その時だった。
ノックとともに入ってきたのは、シオン王子と従者のキースウッド、加えて、その後ろにはティオーナの姿もあった。
「ミーア姫がこちらにいらっしゃるとお聞きしましたが……」
「ちょうどいいところにいらっしゃったわね。シオン王子」
硬い顔をしたラフィーナが言った。
「どうぞ、お入りになって。今、お茶を用意するわ」
席について早々に、キースウッドは話し始めた。
「正確には、革命を訴えて民衆が蜂起したという段階だと思うのですが……」
キースウッドの言葉は、どこか歯切れの悪いものだった。
「誤解を与えるような言い方になってしまい申し訳ありません」
アンヌに誤解を与えるような言い方になってしまったことには実のところ事情があった。
彼自身、戸惑いがあったのだ。
サンクランド王国は、建国初期の時代から、情報というものを重視していた。
王国内には専用の諜報機関「風鴉」が存在しており、各国に間者を送り込んでは、諜報網を作り上げている。
レムノ王国内に潜む間者から、その知らせが来たのはつい最近のことだった。
曰く、
「レムノ王国内において、王権の打倒、すなわち革命に繋がりうる内乱の兆しあり。それに伴い民衆への弾圧が予想される。民を暴虐から守るため、サンクランド王国の軍事介入の必要を認」
本来、王子の従者とはいえ、国家機密に触れることなどできようはずもないのだが……、それはそれ。
サンクランド王国といえど、一枚岩ではない。
シオンに好意的で、手柄を立てさせようと考える武官、文官は数多いるわけで、キースウッドはそれらの人脈をきちんと把握していた。
いろいろと無茶をしがちなシオン王子のこと、このぐらいのコネは作っておかなければ、キースウッドの胃に穴が開いてしまう。
今回の情報は、その筋からもたらされた情報だった。
キースウッドはすぐさまシオンと相談し、ミーア姫にも知らせたほうが良いだろうという結論に達したまでは良かったのだが……。
「ほとんど、詳しいことはまだわかってないというのが実際のところです」
情報から読み取れたのは、革命に至るかもしれない内乱の兆しあり、という何とも曖昧なものだった。
それでも、軍事介入を求めてくる一文が、わずかばかりキースウッドをも焦らせた。
ついつい、革命へと繋がるという部分をそのままアンヌに話してしまったのは、彼らしくない失敗だといえるかも知れない。
己の未熟さを自覚して、ため息交じりに首を振りつつ、キースウッドは言った。
「ただ、レムノ王国の政情が不安定化する、その兆候は数年前からありました」
強力な軍と重税、もともとレムノ王国の政情は危ういバランスで成り立っていた。
そのバランスが一気に崩れた原因は、国王がさらなる税の引き上げを言い出したことにあった。
当然、反対も出た。
真っ先に異を唱えたのは、レムノ王国の宰相、ダサエフ・ドノヴァン伯爵だった。
不満にいきり立つ民衆たちの声を代表するように、彼は声を上げたのだ。
「あの方のことは、私も存じております。確かに賢明な方ですが、温和なお人柄であったと思いますが……」
ラフィーナは小さく首を傾げる。
彼女の疑問を引き継ぐように、シオンが口を開いた。
「俺も同じ印象ですね。事実としてダサエフ宰相は民衆たちと王家との間を取り持つために動かれていたようです。けれど、何かがあった……」
そこで黙って、シオンは腕組みしつつ、うつむいた。
「……何か」
重たい沈黙が生まれる。
――どういうことですのどういうことですのどういうことですのっ!!??
そんな中、ミーアは大混乱の渦中にあった。
頭がごちゃごちゃして、目が回りそうだった。
レムノ王国で革命が起こる、なんて記憶は、もちろんミーアにはなかった。
それは、自国のことで手いっぱいだったからというわけではない。
この時点ではまだ、帝国内で目立った事件は起きていなかったはず……。少なくともミーア自身が余裕をなくすほどの状況ではなかったはずなのだ。
だから、どこかの国で革命が起きたり、内乱が起きたりしたら、覚えていないはずがない。
にもかかわらず、何かが……起きた。
しかも、場所は帝国ではなく、レムノ王国だ。
まったく意味がわからなかった。
――ま、まぁ、それでも、とりあえずは帝国でなかったことを喜ぶべき、ですわね。
ミーアは、自分に言い聞かせるように、思い直した。
もし仮にレムノ王国の王家が革命で滅ぼされたとしても、ミーアがギロチンにかかることはないわけで……。だから、ミーアとしては何もする必要はなくって……。
むしろ、危うきに近づかないことこそが知恵ある者のなすべきことで……。
でも……。
「ミーアさま……、行きたいんですか?」
「…………はぇ?」
突然の声。顔を上げると、アンヌが顔を覗き込んでいた。その顔は真剣そのもので、ふざけている様子はない。
「なっ、何を言っておりますの、アンヌ。そんなこと、誰も……」
「でも……、ミーアさま、泣きそうな、顔してます……」
「え? や、そんなこと……ありませんわ」
――だって、そう、わたくしは、今までギロチンにかからないために、行動してきましたし……。
頭の中、今までの出来事が過ぎる。
ギロチンの死の運命を避けるため、懸命に頑張ってきたのだ。
――だから、そんな危ないところに行くなんてまっぴらごめんですわ。遠慮するのが正しい選択ですわ……。
それは自明のことだ。
「…………でも」
そう思えば思うほど、頭を過るのは、優しげな彼の顔だった。
一緒に馬に乗ったこと、笑顔でサンドイッチを頬張る顔、ダンスをした時の照れくさそうな顔……。
そんな顔ばかりが、思い浮かんでしまって……さらに。
ミーアは周りを見回した。
アンヌの、クロエの、シオンの、キースウッドの、ラフィーナの、ティオーナの……、自分に集まった視線を肌で感じる。
「……これで行かない、とはさすがに言えないですわね」
小さなつぶやきとは裏腹に、ミーアの顔には朗らかな笑みが浮かんでいた。
「行きたいですわ、アベル王子のところに……。わたくしは、行きたい」
死の運命、血まみれの日記帳に縛られ続けていたミーアがする、これが、最初の選択。
それから、ミーアは周りの全員を見回して言った。
「協力をお願いできるかしら?」
――べっ、別にアベル王子に会いたいからこんなこと言ってるわけじゃありませんわ! あくまでも、みなさんを幻滅させてギロチンにかけられないためですわ!
心の中で、なんともツンデレっぽいことをつぶやいてしまうミーアであった。