第六十八話 いざセントバレーヌへ!
独立港湾都市セントバレーヌ。
聖ヴェールガ公国の飛び地として厚い加護を受けるその都市は、大陸最大の港を有している。否、むしろ、巨大な港が都市の機能を有していると言うほうが正しいかもしれない。広い海岸線に沿って、厳かに横たわるその威容、周辺国による利権の争奪戦を経るごとに厚みを増した城壁は、一国の首都のように堅牢だった。
広大な海原、その海と大地とを区切るようにして建ち並ぶのは白い石造りの建物群だ。その間を綺麗に直線を描いて大通りが通っている。美しい機能性を誇る街並みが、そこには広がっていた。
大通りが向かう先には、何隻もの船が停泊する巨大な港があった。船乗りたちが活発に動き回る船着き場、さらにその先の張り出し部分には、数多の船を導く灯台がそびえ立っていた。
「おお、あれが……聖なる港、セントバレーヌですのね。うん、灯台も新しそうですし、当面、建て直す必要はなさそうですわね……」
都市を見下ろす丘の上、馬車から降りたミーアは、ううん、っと伸びをしつつ深呼吸。ほのかに香る潮の香りに、思わず頬を綻ばせる。
「あー、ガヌドスが懐かしいわー」
っと、近くに降りてきたのは、オウラニアだった。潮風が彼女の心を高ぶらせるのか、彼女はウキウキ弾みながら背伸びをして、
「うふふ、良い海だわー。どんなお魚が釣れるか、とっても楽しみー」
港湾施設の見学などという言い訳を早々に投げ捨てて、ルンルン鼻歌を歌いだすオウラニアである。
「あー、ほら、ミーア師匠―、大きな船が入港してきますよー」
彼女の指さす先、一艘の巨大な帆船が入港してくるところだった。
「おお、そうですわね。エメラルドスター号より二回り大きいぐらいかしら。あんな船も受け入れられるとは、すごい港ですわね」
実に壮観な風景に思わず、歓声を上げるミーアである。一方で、ガヌドスに同行しなかったティオーナやリオラ、ラーニャなどは、その光景に言葉を失っていた。
セントノエルに通う者たちは、みな、ノエリージュ湖を知っている。巨大な湖というのは、海とさして変わらぬもの。だから、水がたくさんある場所としての海に驚くということはない。
されど、そこをひっきりなしに巨大な船が行き来している光景、人々の活気と活発な物の流れは見る者を圧倒せずにはおかなかった。
「大きい船……すごい、です」
特に、感銘を受けた様子だったのはリオラだった。
「あんなの三隻も作ったら、静海の森の木が、全部なくなってしまいそう、です」
「ふふふ、そこまでではないでしょうけれど。確かに、そう言っても誇張ではないぐらいの大きさがありそうですわね。ちなみに、あれは、やはり海の向こうとの交易に使われている船なのかしら……?」
ミーアは、クロエのほうを見て尋ねる。っと、クロエは軽く眼鏡に触れながら、
「そうですね。ええと、あっ、あそこに停泊しているのがフォークロード商会の船です」
彼女が指さす先、大きな帆船の姿が見えた。
「海外からの絨毯や絹織物、それに、帝国に輸送される小麦なんかも運びますね」
「小麦……」
その言葉に、ピクリと反応したのはラーニャだった。クロエは、その興味に応えるように、
「他にも葡萄酒なんかも輸送したりしますね。それと、香辛料とかでしょうか。海の向こうから、こちらでは育てられない作物を買い、こちらでしか作れない物を向こうで売る。そんなことをしています」
「こちらでしか作れない物。ミーアさま、後で、港に見学に行ってきたいんですけど……」
ラーニャの言葉に、ミーアは深々と頷いた。
「ええ。ペルージャンの将来にとっても必要なことですわね。わたくしも、商人の方たちとは顔繋ぎをしたいと思っておりますし、後で行ってみましょう。クロエ、お願いできるかしら?」
「わかりました。父にも伝えてあるので、大丈夫だと思います」
頷くクロエの腕をちょいちょいっと引き、オウラニアが言った。
「あっちの、小回りが利きそうな船は、漁師の船かしらー? 少し変わった形だけどー」
「あ、はい。そうですね。ガヌドスでも同じだと思いますが、川では獲れないような変わった魚もたくさん獲れるんですよ」
「ふふふー。どんなお魚が釣れるのかしらー。とっても楽しみだわー」
テンションが上がるオウラニアと対照的に、微妙に暗い顔になったのが……。
「魚……」
森と焼き肉をこよなく愛す人、リオラ・ルールーだった。
「あら? リオラさん、もしかして、お魚、嫌いですの?」
尋ねると、リオラは眉を潜めたまま、うう……とつぶやいて。
「肉のほうが好き、です。鳥も、ウサギも、魚より美味しいし、捕まえるのが簡単、です」
「大丈夫ですよ。リオラさん。いろいろなお魚もいますから、きっと気に入るものもあると思いますよ。お魚だって美味しいんですから。それに、ここでしか捕れない珍味だってありますし」
眼鏡をきらりん、っとさせて言うクロエに、ミーアは首を傾げ、
「珍味というと、女王烏賊の干物とか、そういったものかしら?」
「はい。他にも、皇帝タコという奇怪なお魚がとっても淡白な味で美味しいです。足が八本もある変わった姿で……あとは、ニャマコというのも変な見た目ですけど、素敵なお味なんですよ」
「ほほう……。それらも、干物にできるのかしら? お土産とかには……」
ミーアの脳裏にあるのは、今回一緒に来られなかった友人たち、エメラルダやラフィーナ、それに慧馬の顔であった。持って帰れるものならば、持って帰りたいところだが。
「そうですね。たぶん、売っていると思います」
「なるほど……。それは良いことを聞きましたわ」
っと、ひとしきり観光トークを楽しんだところで……。
「それでミーアさま、まずは、どちらに向かわれますか?」
生真面目な口調で尋ねてきたのは、ティオーナだった。今回、ミーアのそばに付き従う令嬢として、ミーアの護衛を仰せつかったティオーナは、とても気合が入っていた。
同じく、ルードヴィッヒやディオンをはじめ、皇女専属近衛隊の面々がミーアを見つめていた。そして、レアと、リオネルも……。
ミーアは、こほん、と咳ばらいを一つしてから。
「まずは、ルシーナ司教にご挨拶を。それから、港のほうを見学させていただくことにしましょうか」
さすがに、レアとリオネルの手前、ルシーナ司教とか放っといて、港に買い食いに行こうぜ! とは言えない、ちょっぴり小心者のミーアなのであった。