第六十七話 慧馬、邂逅す
火慧馬は、レムノの剣聖ギミマフィアスと、馬談議に花を咲かせていた。
どこの国であっても馬トークは鉄板、とばかりに、生まれた国も年齢も違う二人は、大いに盛り上がっていた。
「なるほど。レムノ王国の馬術教練には、山族が関わっていると……。しかし、興味深いな。レムノの軍馬と帝国の軍馬にそんな違いが……」
などと、すっかり空気が温まっていたところで……巫女姫の部屋から一人の男が出てきた。
黒い髪と不機嫌そうな顔……。目つきの悪いその男を見て、慧馬は、
――アベル・レムノの兄か。なるほど、彼を不良にしたような顔だな……。
「なんだ、お前は……」
慧馬に気づいたのか、鋭い視線を送ってきた男、ゲイン・レムノは、不快さを隠すことなく言った。
「そう殺気立つことはないぞ、ゲイン・レムノ。程度が知れる」
向けられた敵意を涼しい顔で受け流し、慧馬は言った。
余裕の態度だった。余裕綽々だった!
なにしろ、慧馬は戦士である。しかも、かの狼使い、火馬駆の妹でもあるのだ。
多少、腕が立つ相手程度であれば見慣れているし、ぶっちゃけ敵意を向けられても、どうということはないのだ。
兄と比べれば、ちゃんちゃらおかしいわけで……。
そうなのだ、彼女の恐怖の基準は、あのディオン・アライア水準。
ミーアの奥義「ディオン・アライアよりもマシ」を、慧馬は、持ち前の野生の感覚で身に着けているのだ。
それゆえ、王子の殺気程度、可愛いもの。他愛なさすぎて、鼻で笑ってしまうのだ。
それに、外には羽透も控えているし……。
ということで、慧馬は堂々たる態度で、名乗りを上げる。
「お初にお目にかかる。我は、火慧馬。騎馬王国は火族の族長の妹だ」
それを聞き、ゲインの眉が、ぴくんっと上がる。
「火族の族長……ということは、あの男の……」
「いかにも。火馬駆は、我が兄だ」
「ふん。そうか。お前も、あの蛇とか言うふざけた連中の仲間か?」
腕組みし、見下ろしてくるゲイン。慧馬は静かに首を振り、
「それは過去のこと。今は、我が友ミーアにより、火族は蛇の影響下から救い出されている」
まるで、友の偉業を誇るように、あるいは、してもらった親切を告げ知らせるかのように、慧馬ははっきりと言った。
「ミーア姫により、我らは解放されたのだ」
「ああ、そういえば、そうだったか」
ゲインは、つぶやきつつ、ゆっくりと歩み寄ってくる。ジッと見つめくるゲインに、なんだ、こいつ。やんのか、この野郎! と身構える慧馬。
慧馬は戦士である。温室育ちの王子に負ける気などサラサラないのだ。売られた喧嘩を買う気満々で待っていた慧馬、であったのだが……。
目の前まで来たゲインは、その場で頭を下げた。
「我が姉、ヴァレンティナが迷惑をかけた」
突然の殊勝な態度に、慧馬、思わず仰け反る。あまりに予想外過ぎて、言葉に詰まってしまって。
「なっ……」
呆然とする慧馬の目の前、ゲインは踵を返す。バサリとマントを翻して、まるで、埃を払うかのように……。
「行くぞ、ギミマフィアス」
「なっ、ちょっ、おい……」
「なんだ、まだなにか用があるのか?」
立ち止まり、軽く顔を向けてくるゲインに、咄嗟にかける言葉が見つからず……。慧馬は、途切れ途切れに言った。
「いや……謝罪を受けようとは思っていなかったから、驚いただけだ。それに、詫びを受ける筋合いのことでもない」
「ふん、気にするな。形だけだ。レムノ王家に携わる者として、けじめとして頭を下げただけのこと」
ゲインは、小馬鹿にするように口の端を上げ、それから、再び背を向ける。
その後ろから、ギミマフィアスが付き従う。
「時に、ヴァレンティナさまは、どのようなご用件で……?」
「この俺に頼みたいことがあるそうだ。なんの気まぐれかは知らんが……」
「頼み……? ヴァレンティナさまが、ですか?」
「正直、聞いてやる必要を微塵も感じぬが……俺自身、気になっていることにも関係していてな。行かぬわけにはいかなくなった。悪いが、付き合ってもらうぞ」
その言葉を聞いていて、慧馬は、生ぬるい笑みを浮かべる。
――ああ、上手いこと、巫女姫に乗せられたのだろうな……。
なにしろ、相手は、かの巫女姫だ。相手の心を操る術に長けた、恐るべき相手。この王子程度なら、容易く操れてしまうんだろうなぁ、なんて思ってしまって。
そうして、慧馬を残して、二人は出て行った。
「ふん……。無礼な男だが……我と同じように兄姉に振り回されていると思うと、少々、同情できなくもないか」
苦笑いを浮かべてから、慧馬もまた踵を返す。
巫女姫の待つ部屋のドアを大きく開け放ち、
「失礼する」
ドアの向こうには、椅子に座る巫女姫ヴァレンティナ、それに、自らの兄、火馬駆の姿があった。
「慧馬か……」
「久しいな。兄上。怪我はまだ癒えぬか?」
馬駆は、軽く腕を動かして見せてから……。
「問題ない。それより、燻狼の行方は……?」
「ガヌドス港湾国で行方をくらまして以来、行方が知れぬ。ヴァイサリアンの暗殺者と行動を共にしていた時には、多少、強引な手を使っていたから見つけることができたが……。本気で身を潜めようとされたら、なかなか、な……」
「ふふふ、蛇のすべてを捕らえることはできない」
嘲笑うように言うヴァレンティナ。まるで歌うように、彼女は言った。
「捨て置けばいいわ。無駄な努力を続ける意味はない」
その様子を見て、慧馬は、微妙な違和感を覚えた。以前までの彼女とは違い、どこか、余裕のない印象を受けたのだ。
「意味がない……か。もとより、人生に意味などない……とか言っていた気がしたが……?」
慧馬からの思わぬツッコミに、ヴァレンティナは、かすかに目を見開いた。
「なにやら、雰囲気が変わったのではないか?」
その指摘に、ヴァレンティナは、儚げな笑みを浮かべて首を傾げた。
「別に驚くには値しないわ。人は変わるものよ、慧馬さん。永久に変わらないものは、蛇と、人がいずれ滅びるという事実だけ」
変わらぬ主張、蛇の不変を歌うヴァレンティナ、であったが……。その言葉にも、かすかな揺らぎを感じる慧馬であった。