第六十六話 MはYであり、Iではない
ディオンに遅れることしばし、ルードヴィッヒと皇女専属近衛隊二十名が合流した。
善は急げということで、ミーアは早速、馬車の中でルードヴィッヒに情報を共有すべく、会議を開くことにする。参加者はミーアとクロエ、アンヌとルードヴィッヒであった。
「ご機嫌麗しゅうございます。ミーア姫殿下」
ドアを開け、入ってきたルードヴィッヒにミーアは笑みを浮かべる。
「来ていただいて助かりましたわ。ルードヴィッヒ。いささか、面倒なことになりそうでしたから、ぜひともあなたの知恵を借りたいと思っておりましたの」
それを聞いたルードヴィッヒは苦笑いを浮かべて……。
「この非才の身になにができるかはわかりませんが……。セントバレーヌは要衝。この機に、味方を増やしておくに越したことはないでしょう。微力ながら、力を尽くしたく思います」
そうして、深々と頭を下げた。
「頼りにしておりますわ。では、とりあえず、情報を共有しておきますわね。ええと、クロエのことは、ご存じでしたわね?」
「無論です。お父上のフォークロード商会にはいつもお世話になっております」
「はい。こちらこそ……いつも、父がお世話になっています」
やや緊張した口調ながら、そう返して、クロエが頭を下げた。
「それで、まずは例の民草に広がりつつある不安感への対処なのですけど……」
そうして、ミーアはクロエに視線を送る。っと、クロエは軽く眼鏡に触れて、
「対策は、ずばり、茸の栞作戦です」
「えいちの……栞?」
……どのような字にルビが振られたのか、知らないルードヴィッヒである。
まぁ、それはさておき。クロエは、淡々と例の読み聞かせのアイデアを開示する。
ルードヴィッヒは、それを聞いて目を見開いた。
「なんと……食べ物を栞にした読み聞かせ……とは」
口元に手をやり、思わずといった様子で唸る。
「確かに、我々の中でも懸念があったのです。本とは高級なもの。仮に安価に作ったところで、はたして、どこまで普及するものだろうか、と……。しかし、この方法ならば……」
その策を吟味するように、彼はつぶやく。
「しかも、そこでミーア二号小麦の調理法を広める、と……」
腕組みして目を閉じることしばし……。やがて、ルードヴィッヒはクイっと眼鏡の位置を直して!
「なんという……素晴らしい……見事な策だと思います。一手で、複数の効果が期待できる……二重三重に狙いを持った素晴らしいアイデアです」
感心しきりのルードヴィッヒに、ミーアはしっかりと強調しておく。
「クロエたちが出してくれたアイデアですわ。ティオーナさんとラーニャ姫、それにアンヌも一緒に考えてくれたのですわよね。わたくしの益体もない言葉を、吟味し、膨らませて、見事な形にしてくださいましたの」
情報の正確性を喫するべく、ミーアは言葉を紡ぐ。
自分の考えでないことを、なんとしても強調しておかなければならないのだ。余計な期待値を上げないために。
クロエたちのアイデアは、実際、とても素晴らしいものだった。ミーアですらわかる素晴らしさであった。であればこそ……、これがミーアの考えであると誤解され、さらに次も同レベルの解決策を期待されては大変だ。
ミーアはイエスマンであっても、アイデアマンではないのだ。きちんと、それをわかっておいてもらいたいところであった。
問題があった際、ミーアに報告を上げれば何かしら解決策が提示されるだろう……などと思われているのは迷惑なことこの上ないのだ。できれば、問題だけでなく、解決策までセットで提案してもらいたいのである! それにいいね! することこそが、ミーアの理想なのだ。
「いえ、それはミーアさまが……」
っと、クロエもアンヌも慌てた様子だったが、ミーアは首を振り、
「わたくしの、ちょっとしたアイデアを膨らませて、思いもよらない形にしていただきましたわ。みなさんの頭脳労働に敬意を表したいと思いますわ」
なにも……何一つ、嘘偽りは口にしない、極めて正直者なミーアである……のだが……。
「ミーアさま……」
その場にいた全員の目に浮かぶのは、尊敬の念に満ちた色であった。
「では……話を戻しますが、今回のセントバレーヌ行きの目的は、女神の肖像画の調査と、その読み聞かせ企画の下準備、ということでよろしいでしょうか?」
「そうですわね。セントバレーヌの商人たちに協力してもらえれば、読み聞かせの策もスムーズにいくと思いますわ。ふむ……」
ミーアは小さく頷いて、
「申し訳ありませんけれど、クロエ、そちらのほうは、あなたに任せてもよろしいかしら?」
「わっ、私ですか?」
突然のことに、驚いた顔をするクロエ。
「ええ。わたくしたちの中で、最も商人の心理を理解しているのはあなたですわ。だからこそ、あなたが適任だと思いますの」
「そうですね。フォークロード商会のご令嬢であれば、他の商会にも話が通しやすいはず。お願いできないでしょうか?」
ルードヴィッヒの、極めて冷静な言葉に、クロエは軽く眼鏡に触れてから……。
「わかりました。そちらに関しては、私に任せてください」
「よろしくお願いいたしますわ。わたくしたちは、例の肖像画のことで、手一杯でしょうから」
ミーアの言を受けて、ルードヴィッヒが頷いた。
「ミーアさまには、ルシーナ司教への探りを入れていただきたく存じます。それと並行して、肖像画の製造元は、私が調べさせていただきます」
「わかりましたわ。まぁ、レアさんやリオネルさんもおりますし、問題ないのではないかしら……」
さすがに、門前払いされることはないだろう、と踏んでいるミーアである。
「シオンやアベルもおりますから、お屋敷に滞在することになるのではないかしら?」
ミーアが訪ねてくることは、すでにレアたちを通して知らせてある。けれど、さらに他国の王族や貴族令嬢までが同行しているとなれば、無下には扱えないだろう。
「ルシーナ司教が関係していれば、その真意を探る必要があるでしょうし、関係していなければ、きちんとわたくしの潔白を訴えておかなければなりませんものね」
ミーアは、まだ見ぬルシーナ司教を想像し……生真面目でとっつきにくそうな顔を思い浮かべて、深々とため息を吐くのであった。