第六十五話 ベル、諫言を呈する
ミーアたち一行が向かったのは、ヴェールガ南方にある小さな村だった。そこで、ルードヴィッヒ、ディオンに加え、皇女専属近衛隊の二分隊二十名と落ち合う予定なのだ。
ちなみに少し前まで、食料輸送の護衛で手一杯だった皇女専属近衛隊だったが、現在は、レッドムーン家の私兵団が協力してくれているらしく、多少は余裕が出てきているという。
先日の乗馬大会を通じて、交流を深めていたのが生きてきたのだろう。
「まぁ、よほどのことはないとは思いますけれど……」
ミーアがそんなつぶやきをこぼしたのは、村まであと一刻ほどといった場所でのこと。
休憩がてら馬車を降り、ううん、っと伸びをしつつ、辺りをキョロキョロ見回してみる。
見渡す限り広がるのは、のどかで平和な風景。整備された巡礼街道をのんびりと歩く人々の姿だった。
さすがは聖ヴェールガ公国。その治安は大陸随一であり、名うての盗賊ですら、この国で悪事を働くことはないと言われている。
けれど……。
「ヴェールガを出てしまえば、そうもいかないでしょうし。やはり、皇女専属近衛隊が護衛についてくれると安心ですわね。ディオンさんもおりますし」
そのつぶやきを聞いてビクンッと体を震わせる者がいた!
それは言わずもがな、ディオンにトラウマを抱いている火慧馬…………ではない。彼女は、今回、同行していないのだ。
では、誰かといえば……。
「あ、あの……ミーア姫殿下。その、ディオンさんというのは、もしかして……」
「ん? ああ、そうですわね。例の、ディオン・アライアですわ」
そういえば、レアには、ディオンのことを話していたっけ……と思い出し、ミーアは釘を刺しておくことにする。
「一応、言っておきますけれど、レアさん。余計なことは言ってはいけませんわよ?」
そう声を潜めて言えば……。
「そっ、それは……余計なことを言って怒らせないほうがいい、ということでしょうか」
レアは、ぶるるるるっと震え上がった。
「まぁ、そうですわね。あまり小さいことを気にする方ではありませんけど、怒らせると怖い方ですから……。なにせ、あの方、軽々と鉄を切り裂きますし……」
「まぁ、鉄を!?」
レアが目をまん丸くして、声を上げた。
「ええ。それに、本気を出せば海を割ったり、山を切ったり、それはもう、恐ろしい方なんですのよ」
レアの反応が面白くって、ついつい盛ってしまうミーアである。それを聞きつけたのか、どこからともなくベルが近づいてきて……。
「そうなんです。ディオン将軍は、ものすごいんですよ。お一人で百の兵を切り捨て、万の兵を撤退させると言われてて……」
などと聞くと、レアは、う、ううん……などと吐息をこぼし、ふらぁっとしてしまう。
「あっ、ちょっ、レアさんしっかり……」
慌てて、その体を抱きとめつつも、ミーアは小さく首を傾げた。
「しかし、レアさん、直接会ったことがないにしては、やけに怯えておりますわね」
まぁ、実際に見たことがないからこそ想像の中で怖さが増していくということはあるかもしれないが、それにしても、やや解せない反応だった。
「その……なぜか、わからないのですが……。私には、その方が、すごく怖い方だというのがわかってしまって……」
レアは心底、困惑したような顔をしていた。普通に考えれば理屈に合わないような恐怖に、ただただ首をひねるばかりだった。
「どうしてなんでしょう……? 直接お会いしたこともないですし、ミーアさまに敵対するようなことなんか絶対しないのに……剣を突きつけられたことがあるみたいな……そんな怖さがあるんです」
「そんなに怯えることないと、リーナは思いますよ」
ミーアたちの話を聞いていたのか、シュトリナが口を挟んできた。
彼女は可憐な、花のような笑みを浮かべて……。頬に手を当てたまま、小さく首を傾げる。
「たぶん、想像しているよりは、怖くないというか……。慣れれば、案外、手玉にとれるんじゃないかって思いますけど……」
っと、それを聞いて、生暖かい笑みを浮かべたのはベルだった。その、なんとも言えない表情に気付いたのか、シュトリナは眉をひそめた。
「ベルちゃん、どうかしたの?」
「……あの、リーナちゃん、あんまり、その……そういうこと言わないほうがいいですよ」
まるで、言いづらいことを忠告するように、ベルが言う。
「えっと……どういうこと?」
「返り討ちに遭っちゃいますから……」
そっと声を潜めて、ベルは語り出した。
「ミーアお祖母さまとアベルお祖父さまは、ミーアお祖母さまが、シオン陛下とティオーナさんは、ティオーナさんが、いずれも主導権を握ってます。だけど……その、リーナちゃんは、からかいに行こうとして、返り討ちにあうことが多いというか……主導権を取られて翻弄されて、赤くなってることが多いというか……」
「なっ……!」
思わず言葉を失うシュトリナに、ベルが、すまなそうな顔で続ける。
「だから、あまり、その、後で恥ずかしくなるようなことは言わないほうがいいかなって、思って……。ディオン将軍は口も強いですし、リーナちゃん、勝負しても、大抵、手玉にとられちゃいますから……」
「おや、僕のことを、呼んだかい?」
その時だった。突如、聞こえた声に、ぴょんこっ! っとシュトリナ……とレアが跳びあがった。
「あら、ディオンさん。合流地点までは、もう少しあるかと思っておりましたけれど」
「いやなに、道に留まる馬車の一団が見えたもので。ミーア姫殿下になにかあっては一大事、と、はせ参じたまでのことですよ」
ニコニコ上機嫌に笑みを浮かべるディオンに、ミーアも愛想よく答える。
「それは心強いですわ。百戦錬磨のあなたに来てもらえれば百人力ですわね。おほほほほ」
などと誤魔化しの笑みを浮かべるミーア……であったが。
「ところで、ミーア姫殿下……そちらのお嬢さんが、なにやら僕のことを見て、ひどく怯えているように見えるんですけど……」
チラリ、とディオンの視線を受けて、レアがびっくーんっと跳ねあがった。
「なにか、僕に関して、あることないこと、言ったんじゃありませんか?」
「そっ、そぉんなこと、ございませんわよ? あなたの武勇伝を語ったまでのこと」
多少は盛ったという自覚があるミーアは、笑って誤魔化そうとする。
「そうですか? なんだか、イエロームーンのお姫さまのほうも、様子がおかしいような気がしますがね」
ディオンのじっとりとした、疑いの視線が、今度はシュトリナのほうを向く。
それを受け、シュトリナは、一度ベルに目をやってから、堂々と胸を張り、
「ご機嫌よう、ディオン・アライア。淑女の会話を盗み聞きなんて、帝国最強の騎士にしては、少しやることがセコいんじゃないかしら?」
可憐な笑みを浮かべるシュトリナである。が……。
「それは失礼。淑女というには、いささか、姦しすぎる声が聞こえたものでね」
軽く流してから、ディオンは、からかうように笑みを浮かべて……。
「もう少し、淑やかさを身に着けてから、出直すと良い。淑女見習のお嬢さん」
「なっ、ぁっ!」
そんな二人のやりとりを、生暖かい笑みを浮かべて見守るベルであった。