第十話 予言×血染めの日記
「んふふ……」
るんるん、と笑みを浮かべるミーアを見て、アンヌが小さく首を傾げた。
「ご機嫌ですね、ミーアさま」
「あら? わかりますの?」
自室に帰ってからも、ミーアはご機嫌だった。超ご機嫌だった。
なにせ、あの陰険メガネ……、もといルードヴィッヒに「聡明」と言ってもらえたのだ。
――聡明……このわたくしが聡明ですって。んふふふふ
天にも昇るとは、こういう時の気持ちを言うのだろう。ミーアのテンションは、しばらくは変わりそうもなかった。
「あ、そうですわ。記念すべき今日の日の出来事を忘れないように日記帳に書かねば……」
さっそく、ミーアは日記帳を手に取ると、ベッドの上にダイブした。
ふかふかのベッドに小さな体を弾ませながら、ごろごろ転がってみる。ごろごろ、ごろごろ、転がってみる。
高級ベッドには、月光鳥の羽毛が使われていて、ミーアの体を優しく包み込んでくれる。
ふわふわの毛布に顔をうずめながら、ミーアはくすぐったそうに足をバタバタさせた。部屋着のスカートがめくれ、幼いおみ足があらわになって、ちょっぴりあられもない格好である。
「うふふふ、うふふ」
「……ミーアさま、そんなはしたない……」
アンヌの諫言もどこ吹く風、ミーアはご機嫌な笑みを浮かべたまま、
「うふふ~、わたくしは聡明なる帝国のミーア姫殿下ですのよ? なんの問題もございませんわ」
うざっ! などと思われてしまいそうな言動……だったが、アンヌは、むしろ微笑ましいものを見るような目で、ミーアを見ていた。
(想いを寄せる男性にほめてもらえたことが、よっぽどうれしいんですね!)
アンヌはアンヌで、ミーアに変な誤解をしているために、むしろ、妹の初恋を見守る姉のような気持ちになってしまって……、優しい気持ちになってしまうのである。
一度かけ違ってしまったボタンを直すのは難しいという良い例ではないだろうか。
それはさておき、足をバタバタさせつつ、ミーアは日記帳に新しい文字を書いていく。
アンヌを専属メイドにしてから今日までの出来事を、多少の脚色を加えつつ、綴っていく。
――あら! もしや、わたくし、詩や作劇の才能があるのかしら? こんなにするする書けるなんて!
よほど嬉しかったのだろう。ミーアの筆は流れるようにはかどった。
すべてを書き終え、ページを閉じたところで、ふいにミーアは思う。
――そうですわ、もしわたくしが、日記帳の記述を変えたら、未来の日記帳はどうなるのかしら?
それは、ちょっとした好奇心だった。
目の前にある、まだ綺麗な日記帳と血染めの日記帳。この二冊が同じものであるというのなら、ここで書きなおしたことは、どうなるのか?
なにげなく、血染めの日記帳を開いたミーアは、
「なっ! なんですの、これ!」
思わず、驚愕の声をあげた。
日記の中の文字がぐにゃり、とゆがみ、書き変わっていく。先ほどミーアが書きなおしたところは、その通りに書き変わり、さらに、その先の記述も合わせて書きなおされていく。
それは、まるで、未来が書き変わっていくようにも見えて……。
――そう見えるだけではなく、実際に未来が書き変わっているのですわ!
ミーアは気づいた。
ルードヴィッヒの協力を取り付け、彼に早くから動いてもらうことで、歴史に大きな変化が生まれてきたのだ、ということに。
――これは、もしかして……?
すっと起き上がり、ベッドの上に正座するミーア。
それから、ふるえる手で続くページをめくっていく。日記帳の最後のページに差し掛かった時、ミーアの口から細く悲しげなため息がこぼれた。
――まだ、変わらないなんて……、そんな。
最後の記述、そこでは、変わらず、ミーアの処刑が予言されていた。
――どうして、こんなことに……。
絶望に、目の前が真黒く染まっていく。悲惨な末路を前に、どこか遠くに逃げ出したいような、そんな焦燥が胸を焼く。
――大丈夫、大丈夫ですわ。まだ、時間はございますわ。
一度、深呼吸をして、気分を落ち着けてから、改めてミーアは日記を読み直した。
そこには、ルードヴィッヒの協力を取り付け、財政面では多少、改善されたものの、それだけでは、変えようがなかった出来事がいくつも書き入れられていた。
帝都貧民街における疫病、辺境域における少数民族の反乱などなど。
問題は山積していた。
しかも、どう解決したものか、ミーアには皆目見当のつかないものばかりだった。
――まっ、まずいですわ。ルードヴィッヒに褒められたなんて、調子に乗っている場合ではございませんわ!
頭から冷や水をぶっかけられた心持で、がばっと立ち上ったミーアは、
「アンヌさん!」
自らの専属メイドに向かって、高々と言い放った。
「頭の働きを良くするために、甘いものを所望しますわ!」
……割としょーもないことを。