第19もふ。「8月は、けだものの口付け」
衣擦れの音に、かすかに目を開けた。
「ここは……?」
まどろみながら目を擦ると、視界に飛び込んできた顔があった。
翠色の瞳が、至近距離でわたしを見つめていた。
吸い込まれそうなエメラルドグリーンだ。
なんて珍しい目の色……。きれいだな……。
――じゃない。
「……変質者! くたばれっっ」
ブローを放つと、謎の少年はその拳をひらりと交わし、わたしの体から退いた。
「なんだなんだ。可愛い子猫ちゃん、おれの事が嫌いなの」
先程までわたしの体に跨っていた変態やろうは飄々とした口調で、好奇心を全面に押し出してくる。
「だぁれが子猫ちゃんだっ! そもそもおまえ誰、なんでオレは保健室に寝てるの!!」
ふしゅーと威嚇しながら、保健室のベッドの上でファイティングポーズを取った。
返答次第では生かしておけん。
というどす黒いオーラを放っていると、変態やろうは「ふは」と笑った。
「相変わらずのその口調か。やっぱり面白いな、ナオは」
「なんで、なまえ……」
「隣のクラスなのにおれがわからんとは……やれやれだぜ」
おちゃらけたように腕を組んで、変態は片目を閉じ、もう片方の目を器用に開けた。
「それとも、如月にしか興味無いときたか」
「きゅうびは関係ないし、ウィンクしてんじゃないぞっ変態やろう!!」
「変態変態失礼なやつだな。あーあ、昔みたいにむっちゃーん❤って呼んでくんないかな」
「むっちゃーん?」
その呼び方には覚えがない。
でもそうだ、むっちゃん。むつ。なにか引っかかる。
「むつき……?」
「正解っ♪ 初春睦月だよ、忘れん坊のキャットちゃん、もといナーオ」
猫の鳴き声を真似し、猫の手ポーズを作る睦月。
殺意が湧いた。瞬間沸騰。
「おまえっっなんで……っっ!!」
思い出したのは、睦月が手のひらを返しわたしを罵る姿。
「嘘つきナーオ」「狐っ子の狐憑き」
やがて、周りも睦月に習い、口々に囃し立てる。
「かーごめかーごーめ。かーごのなぁか〜のとぉり〜は〜」
わたしを取り囲み、逃がさないぞと言うように。
まるで籠の中に閉じ込めた鳥の羽をむしるかのように。
「〜〜友達だったのに……っっ」
わたしはベッドの上から、立っている睦月の頭を引っ掴んだ。
――友達だった。何度も一緒に遊んだ。
ひとりぼっちであぶれていたわたしをみんなの輪に入れてくれたのは、他でもない睦月だった。
なのに、裏切った。イジメの対象にした。
突然、なんの前触れもなく。
なんで。なんで。なんでそんなことができる。
なんで……。好きだったのに。~~友達だったのに!!
無茶苦茶に髪を引っ張り、そのまま力の限り床に押し倒す。
地面に叩きつけるかのように。
壊れてしまえ、睦月、おまえなんか。
その腕が掴まれる。
体を反転させられ、逆に床に押し倒された。
再び馬乗りになって見下ろされる。
睦月の顔をにらみつける。
睦月は真顔だった。
だが、そのまま、顔を近づけ…。
――ガリっっ。
「ぅ、あ"、」
こいつ、首を齧ってきた!!
一旦口を離し、ぺろり、と舌なめずりをするかのような音。
再び、首にしびれるような痛み。
「……い"、っっ」
また噛まれた!!
手首を纏められ、更に吐息が首筋にかかる。
「ゃ、あっ……っっ!!」
恐怖で竦んでいた足をばたつかせ、必死で抵抗する。
やだ、やだ、いた、い。
こわ、い……、もう……やだ!!!!
力の限り叫んだ。
――きゅうび、きゅうび、きゅうびっっ!!!!
その時、激しい音が遠くで聞こえた。
ややあって、駆ける音。
ごっっ、という鈍い音が頭上で響いた。
「痛……って、」
睦月の痛みにうめくような声。まさか。
わたしは見上げた。
視界はぐしゅぐしゅに歪んでいて、いつの間にか泣いていたんだと自覚する。
歪んでぼやけた視界。
それでもわかる、あの金色。金色の髪。
「きゅう、び……」




