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第17もふ。「8月は、 ”不良品泣き虫〈ハッピーエンド・ジャンキー〉”が祈り、誓う。」

「おい」


 はっと瞳をしばたかせると、うろんな瞳がこちらを真正面からみつめていた。


 切れ味するどいナイフみたいな三白眼。

 だけど、その奥には心配の色が見て取れた。


 どっどっどっ。と胸を叩くのは心臓の音みたいだ。



 周囲を見渡すと、ここは教室で、窓からのぞく景色はやや暗かった。

 下校時刻をとっくに過ぎているんだろう、わたしときゅうび以外見当たらない。


 ガラガラの机、椅子。窓から入ってきてそよそよとカーテンを揺らす、ぬるい空気。


 そこまで観察して、やっと気づく。

 ああ、わたし……放課後うたた寝してたのか。

 ふう、と息を吐きへにゃりと笑った。



「きゅうび」


「きゅうび、じゃねぇよどうした。変なモンでも食ったか」

 

 いつものツッコミも今回はキレがない。


 なんでかな、寝てただけなのに。

と己が外に示している非言語情報……ようするに周りからみた印象だ……をつぶさに確かめてみる。


 あ、瞳孔が開いている。頬、目付き、眉の筋肉……わたしの顔を構成するすべてが強ばっていた。


 元だけど、演者だから確かに分かる。自分が人の目にどう映っているか。

 魅せ方を追求するのがお仕事だから、当たり前といえばあたりまえの技術。


 動揺を悟られたかとわずかに焦ったけど、もう大丈夫。


 きゅうびのキレのないツッコミと、柄にない真剣な表情。


 きっと本気で心配してくれてるんだな、と頬をゆるめ安堵の息を吐いた。じわじわと胸がぬくもっていくのを感じる。


「うんにゃ。だいじょうぶい」


 vマークを指で作って......まぁただのチョキなんだけど。瞳にあてて謎のポーズ。


 うん、いいぞいいぞ。抜群にアホくさいこの感じ。色気ないな。知ってる、もとからない。


「アホか」


 ほっぺをしこたま引っ張られ、抗議する。


「ふにゃほにゃにゃ!!!!」

「心配させんじゃねえよ。クソが」


「あいかひゃらひゅらにゃあおまへはっっ」


 相変わらず(の毒舌)だなぁおまえはっっ

 と言ったつもりでほっぺみょーんされながら、ふにゃほにゃ発するわたしに、きゅうびは困った顔をした。


「お前がそんなだと調子狂うだろ......アホタレ」


 いつもきゅっと上がっている強気な眉尻を下げてみせるから、どきりとした。


「……もういなくなんじゃねぇぞ」


 きゅうびにしてはか細い声。そのにらみつけるようにすぼめた瞳がわずかに潤んでいるように見えて。


 気がついたら、その大きな体を抱きしめていた。



「……大丈夫だよ」


 わたしの代わりはいくらでもいるから、の言葉は胸の内に封じ込めた。


 代わりにきゅうびの額に自分の額をすり合わせて、こう囁いた。


「だいすきだから」


 小鳥のさえずりのように、爽やかに甘やかに吐息を載せる。音を紡ぐ。


 さぁっとカーテンから風がそよいで、まるで世界がきゅうびとわたしだけになる。


「……ずっとだよ」


 祈るように、誓うように。

 わたしはつづきの言の葉を織った。


 まるで、やがて来る、必ず訪れると決まっている……"おしまい"のしっぽを書き換えるかのように。


「…………お前」


 きゅうびの瞳孔が開く。驚いたようにその口も開いている。


「……泣いてるのか」


 そんな嘘みたいなこというから、生意気な両眼を両手で塞いだ。


「気のせいだよ」


 思いのほか声が湿ってしまうから、こう付け加えた。


「単なるね。エリプリル・フリルだよ」


 だいすきさえも嘘のように、冗談のように言う。それでも声に悲しみが混じってしまう。


 演者失格だ。

 ああ……でももう舞台に出ることもないなら、演者ですらなかった。



 ふいに、過去の痛みを思い出した。消えたお父さん。失った友達。喪失と裏切り。……孤独。


 考えるな。考えるな。きゅうびの前だ。……でも、きゅうびもいつか離れていく? そんな訳ない。――本当に? 断言できる? 信じられる?


 ひゅ、と乾いた音が喉から鳴って、焦った。

 瞬時に言葉が出なくなる。


 なんで。失語症〈 イップス〉? ちがう、これは。


 どうしよう、と迷って。ただきゅうびの瞳を塞ぐ手に汗がにじむだけで。ひゅーひゅーなる喉に痰が絡む。激しくむせる。胸がひしゃげそうなほど咳き込むのに、どこか夢を見てるようだ。怖いのに、怖くてたまらないのに、そんな自分が嘘のような。幻で幽霊のような。


 人間もどきの、"狐憑きの化け物女"のような。



 急に視界が開けた。そこでぎゅっと強く目をつむっていたことに気づく。手首が痛い。強く強く握り締められている。


 私の手首を掴む、目の前に映るきゅうびは険しい顔でこちらを睨んでいた。その間、コンマ3秒。


 ばっと両手を踊らせるきゅうびに本能的な恐怖を感じたその2秒後……。


 わたしの体は温もりに包まれていた。



「エイプリル・フリルだと……?」


 抱きしめられた躰。押し殺したような声は、苦しげで苦々しげだった。


「上等だ、四月馬鹿野郎。男女らしいくだらねぇ誤魔化ししてんじゃねぇよ、この大嘘つきが」


 いいか。ときゅうびは一呼吸置く。


「お前は俺が好きなんだろ? 」


 はっとして体を強ばらせる。


「だったら」


 離された体。飛び込んでくる、必死な瞳。

 わたしの目は再び見開かれた。



「俺をみろ!! おまえがみているのは誰だ、どこだ……いつだ! このポンコツ野郎、過呼吸なんてしやがって。なにがなんだかわかんねぇが、くだらねぇトラウマに囚われてんじゃねぇぞ。そんなゴミみてぇな檻……この俺がぶっ壊してやる!!!」


「きゅう、」


 び、と問いかけた唇が塞がれる。

 瞬時に入ってきた舌がからめとられる。


 んっ、と酸素を求め喘ぐと、後頭部を支えられ、より深く口付けられる。


 奥の、奥まで。暴かれるような無理やりなキス。

 まるで9月の嵐……ゼプテンバアル。

……獣〈ナイン〉の口付け。


涙目で胸を押すと、舌を甘く噛まれ、頭が痺れる。


「んっ、くっ……」


 唾液が喉を滑り落ちる熱さ。

 きっときゅうびのそれだ、と考えたら、かあっと頬まで熱くなった。


 真っ赤な顔で、離された唇からぷはっと一気に息を吸った。


「〜〜ばかっっ!! なにしゅる」


 噛まれた舌がじんと痺れ、舌っ足らずになってしまう。


 ぺろり、と唇を舐め、きゅうびは満腹の獣のように満足気に笑った。


「愛してるから許せ」

「……ふあっ!?」


「エイプリル・フリルだ」

「…………!!!?」


 言葉を亡くし真っ赤な顔で口を開いては閉じるわたしに、きゅうびはもう一度笑いかけた。


「してやったり、だな」


  意地悪な言葉だったけど、口調は暖かくその鋭い瞳は緩んでいた。


 とくとくとつづらを打つ心臓。君をみつめているこの瞳もきっと甘くとろけているんだろう。


 反則だ、こんな笑顔。なんてまばゆい。なんてやつだ。


 ばぁか、と声にならない声で罵倒する。



 だいすきだ、大好きだ大好きだだいすきだ! わたしの方が500倍は好きだ!! なーにが愛してるだ。カッコつけやがって。

 あほあほカーバ。わたしの方が1億倍は好きなんだクソやろっ!


 心の中で叫びつつそっぽを向いて、ジト目でちらちら視線を送っていると、ぶふっ。ときゅうびが吹いた。


「飽きないやつだな、本当に」

「おまえがね」


「もちろんだ。飽きないし、飽きさせねぇ」

「なんだなんだ。口説いてるの〜?」


「いいや。単なる事実だ」

「自信すごいなぁ。未来のことなんかわからな

いじゃん」



「どんな未来だろうと、美味しく喰らってやるから関係ねえ」

「ちゅうにびょうさむ」



「てめえが言うか」

「おまえよりまし」


 弱気になっていると気づいて、声が小さくなる。

 こわい。いまが楽しいから、未来がこわい。


 

 絶対記憶。絶対になくならない記憶。なのに、ある日ごっそり記憶がなくなる。この現象がわからない。恐ろしい。


 まるで、記憶をごっそり食べられてしまうかのような。

 なんで? なんのため? ……わたしを守る、ため?


…………?

 かちん、と歯車が噛み合った、気がした。


 絶対記憶。忘れられない記憶。記憶の容量。まさか。

 いや、でもあの事故と辻褄が合わない。だって守ることと殺すことは違う。


 ううん、わたしを殺す必要はなかった?そもそも、事故とは切り分けるべき?


 守る者と殺す者。ふたりは別人?



――つまり。



「……あ」


わたしは、小さく声を上げた。


「行かないと」


「……は?」


きゅうびがぽかんとした声を出す。



「行かないと」


「……どうした? お前」



「行かないと」



 わたしはカバンを手に取って、そろりと席を離れ、誰かの静止も聞かず、走り出した。



「ナオ……っっ」



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