第16もふ。「8月は、”もう1人のきゅうび”の秘密。」
( いきて、生きて。ください......あなただけは......。。。 )
ああ......時が、巻き戻る音がする。
無邪気に笑っていたあの頃のわたしが......あなたの手を取り花咲くように笑い、かろやかに踊る。
( ( セティ、だいすき!! )
.............................................
「......はぁ」
わたしは息をつき、分厚い本を閉じた。
なんて切ない物語だ。
おっきいもふもふと美少女の運命の恋物語......。
っていうとすごく滾るんだけど、ストーリーが悲しすぎる。
家族を魔物に殺され孤児となり、エクソシスタという魔物と戦う聖職についたものの、敵であるはずの人狼の王に対する恋心を自覚。
その上、本来の姿である世界を滅ぼす者......終焉の聖母〈グノマリア〉となり、彼を殺してしまう。
そして知るのだ。彼は敵ではないと。すべてを破壊せんとする自分の暴走を止め、命懸けで護り導いてくれていた存在であることを。
最後に、時は巻き戻る。
人狼の王ナインの言葉から察するに、たぶん何度も巻き戻してあのラストなんだろう。
正直、あんまり救いがない。
でも......そうだ。ナイン。人狼の王。
きっと現実にいたら、すごく優しい人だろうな。
なのにいちいち、悪者ぶる人なんだろうな。
きゅうび。
わたしは知ってる。きみが決して弱い者いじめをしないことを。
わたしは知ってる。昔、きみがある人を殴って転校したことを。
でもそれはか弱い男子をいじめた主犯をやっつけただけだということも。
噂ではきゅうびがそのひ弱な男子をいじめたことにされてるのに一言も弁解しなかったことも。そんなやるせない結果と現実に、すっかりやさぐれてしまったことも。
全部ぜんぶ、知ってる。......ううん、やっと思い出したんだ。
なんで知ってるかって?
答えは簡単。そのか弱い男子の正体が変装したわたしだったからだ。
もちろんきゅうびは知らない。
本気で変装して演じれば、誰もわたしだとは気づかない。気づけない。
そういう教育を子供の頃から受けてきた。
自分ではない他の誰かになるというのは、演者にとってはお仕事だ。
呼吸をするように、つかの間の時を別人として生きる。
そもそもわたしの実家、水無月家は、能の大家だ。
他の何でもない形で演じる一族。ゆえに異なる能......異能の大家......異能の水無月と呼ばれている。日本の伝統芸である能に独自の解釈、魅せ方を加えた唯一無二の能の流派。
古き脚本を艶やかに書き換え、世界で最も美しい面を被り......世にも美しい結末へと誘う。
本名をメディアに一切明かさず、黒子のように密やかに、妖狐のように美しく脈々と生きてきた。そんな末子がわたしだ。
それはそうと、なぜその少年を演じたか?
それは、お屋敷を抜け出すためだ。
当時、まだ小学3年生だったわたしは幼い頃から厳しい稽古の日々に辟易としていた。
思うように得られない自由に、多感な歳頃のわたしは反発し反抗し、子供らしい癇癪を起こすようになった。
自分で言うのもなんだけど、わたしにはたぶん、才能があった。本気で別人を演じれば......なり切れば、見分けがつく人はほぼ皆無だった。もちろん、かつら.....すなわちウイッグなど小道具は必須だけども。
そんなふうに反抗するようになったある日のことだった。
謎の人物に出逢ったのは。
実家の御屋敷のある形代町の中心部に、大神稲荷社という大きな神社があった。
そこでは芸能の神を祀っていて、わたしの一族、水無月家は古くから懇意にしていた。
その外れである、水無月家の裏山にはそれとは別に、おおかみの社という小さな祠があった。
木々茂る林の中、古びた今にも崩れそうな木製の祠。いつも干からびたおはぎと、比較的綺麗な鈴が備えてある、そこ。
そこで出逢ったんだ。
仮面をつけた人......「おおかみ様」に。
「やれやれ。泣いても仕方なかろう。ほれ、鈴をやるから泣き止め」
祠の近くの木の上に座っているのは、背の高い細身の男の人......のようにみえた。
ただし、狐のお面を被っていたけれど。
ぼうっと見つめながら鼻をすすると、男の人は木から飛び降り、からん、と下駄の音を立てた。
「鈴をやる、とは言ったが、そなたは不満のようじゃの」
その手には、鈴があった。赤い色をしているけど、きっとあの形は鈴だろう。
大人の親指ほどの形をした、まぁるくて、下半分に小さな丸い穴とそこから下につづく細長い溝。
それが、りん、りんと小さく音を奏でる。動かした反動だ。
「鈴なんていらない。......ここへは逃げてきたの。それに、怪しい人からなにかもらっちゃいけないんだよ」
わたしは顔を顰め、頑なに首を降った。
警戒している割にはおしゃべりにすぎるし、逃げようともしていない。
怖さより好奇心が勝った。むしろ、この人に恐怖を感じないどころか、不思議と親しみすら感じていた。
「妖し者、か。確かにわれは妖しい。どうすれば妖しくなくなるか。ヒトになればよいか」
男の人は顎に手を当て、ふぅむ、と考え込むような仕草をした。
「人じゃないの?」
「もちろんだ。われは神。人呼んで、おおかみさま。あの夜とこの朝を繋ぐ鏡の神」
「ええ、嘘だ〜。だまされないよ。神さまなんていないもん」
わたしは頬を膨らませ、講義した。
気がつくと、少年のフリを忘れていた。
このあやしげな変な人はとても面白くて。
意味不明なことを言って絶対おかしな人なんだけど、だからこそ幼いわたしの興味を引いた。
「そうか。そなたは神なんておらぬと思っているのか。なら、証明して魅せよう。われが神であること。そなたが神を信じたもう素直な子であることを」
それから......なんだっけな。
祠の前でおおかみさまと名乗る男の人とたくさん話をしたんじゃないかな、と思う。よく覚えていないけれど。
実態の掴めない、正体不明のおおかみさまには
不思議と共感するところがあった。なぜならばそもそも、わたし自身、本当のわたしというのが分かっていないから。
常にその場にふさわしい振る舞いが求められてきたから、ある出来事をきっかけに能から解放されてからは、その反動でふさわしくない振る舞いばかりした。
それだって、今も過去に囚われているからだ。
ある時、失踪したお父さんの影を探して、その著書を何度も読み込んだ。
ナイン。この物語は、書影によれば北欧の若き新鋭作家が書いたことになっている。
だけどわかる。これはお父さんの小説だ。
1字1句違えず空で言えるレベルのわたしですら、最初は気づけなかった。
作風も文体もすべてまるで違うのに、なんで気づけたかって?
それはお父さんが天才で、わたしがその娘だからだ。
娘......金色夜叉の後継者。それは金色に光輝く妖狐の役。すなわち九尾の狐のこと。
九尾。英語で言うなら、ナインテイル。
そして、表紙を外したところに宿されたメッセージ。
9は出逢う。もう1人の9に。傷つけあい、抱きしめあえ。愛し合い、許し合いたもう。9×9=№96099007.
なんの意味かって?
それはね。ナインとナイン。9と9が出逢い惹かれ合うことを意味してる。
九尾の狐の妖の役、金色夜叉を代々襲名する水無月家の末子、水無月夏央。すなわち、ナイン=09、ナオ=70。シンプルな当て字だ。これを鏡合わせにすると?9007。
さらに、もうひとりのナイン......きゅうびの狐。9の名を持つもの。九狼......如月九郎。九=09、クロウ=96。
合わせて、96099007。ほらね、証明完了だ。
もちろん、根拠はない。めちゃくちゃな当て字、妄想と言われればそれまでだ。でも、わかる。本能でわかる。嗅覚と言う嗅覚で嗅ぎ分けられる。
これは他ならぬ、わたしに当てた物語だと。
そして、最大の注目点はここ。
この物語はラストが書かれていない。先程の箇所でおしまいだ。
物語はきっとここからだろうに、フィナーレのまま知りきれとんぼ。最後どうなったか、そんな1番重要な部分が1文字も書かれていない。
だから、この物語の続きを想像した。
きっと、そこにヒントがある。
お父さんをみつける手がかりはきっとそこに隠されてる。......そんな気がして。
そこまで思考して、再び息を吐いた。
頭でっかちの自分がたまらなく嫌だった。
演じること以外知らなかったわたしの現実逃避は本だった。だから、本が友達のようなものだった。それゆえ、周囲から浮いてばかりいた、ひとりぼっちのあの頃。
それからやっとできた友達。裏切り。孤独の再来。お父さんの失踪。
失うばかりだったから、もうなにもかも諦めていた。
いつか裏切られるならもう友達なんていらない。やっぱり本が友達でいいと図書室に入り浸って。
わざと個性的な言動をしてドン引き狙いで、誰からも距離を置いて。
なのに、あんなもふもふした......狼みたいなきみと巡り会った。
誰とも馴れ合わない1匹狼。わたしとどこか似ている気がした。
なんとかして気をひきたかった。お近づきになりたかった。
きっときみなら、この孤独と悲しみをわかってくれる気がした。
実際、きみはわたしのへんてこな言動にやや引きながらも、こんな戯言に付き合ってくれた。
たわいもない言い合いが楽しくて楽しくて、仕方がなかった。
嘘で塗り固められたわたしでも、なにか本当の人間になれる気がした。
笑顔の仮面を被らなくても自然と笑っていた。
だからきっとこれは運命なんだ。
孤独と孤独を足せば、2になるように。
ひとりぼっちとひとりぼっちで同盟を組むように。
それがいつの間にか恋へと変わっていた。
こんなもふもふなけだものに恋をしていた。
もう二度と忘れない。失わない。忘れたくない。失いたくない。
でも、どうすれば?
それにきゅうびには、いる。好きな人が。好きな女の子が。
窓から眺める、遠目からでもわかる艶のある黒髪。すらりとした無駄のないスレンダーな体。切れ長の瞳はまるで宝石みたいにきらきらと太陽の光を反射する。
わたしとは違うなぁと思う。あんなにスタイルよくもないし、人望もない。
賢くは......あるけども。
隠さなければならないから表舞台でおちおち勝つこともできない。
いつものように、定期テストであえて何問かミスって、ちょいちょい忘れたフリして。
そこまでして守らなければいけないわたしの秘密。
絶対記憶。あるいは完全記憶〈パーフェクト・メモリー〉。
すなわち、超人少女〈ミス・オーバー〉。
ある時からわたしは、物事をけして忘れられなくなった。
わたしに起きたすべてのこと、わたしが見て聞いたすべてのものをコンマ1秒......一瞬にして思い出すことが出来る。
正確には、出来た。出来たんだ。確かに。
記憶の保持は完璧だった。絶対だった......。
だからきっと、この能力には重大な欠陥があった。
そう断言する他ない。
しかも、この話には続きがある。
わたしの心の奥の奥、最も触れられたくない場所にある、忘れてしまいたい記憶。
トラウマと言っていいそれの話......。
この特殊体質ゆえ、わたしは一時、奇異の目でみられたけど、幸いなんとかなった。
それは、わたしがあるキャラクターを演じたからだ。
それがこの仮面......「中二病の少女」だ。
奇異な体質を同等の奇異な演技で包み隠し、あえて頓珍漢な発言をし、時折覚えていることも忘れているフリをする。
このキャラクターならすべてをごまかせる。
......そう信じてた。
だけど、この演技を見破った存在がいた。
それが......× × × だった。
× × × はわたしと仲良くするフリで、虎視眈々とわたしの尻尾を掴もうとした。
その結果......。わたしは孤立し、うろんな噂が経つこととなった。
「嘘つき女」「狐憑き」「バケモノの子」
友達がひとり、ふたり離れ、遠巻きにこちらをみつめる。その侮蔑とも恐れともつかない瞳がかごめかごめをして......くるくるまわる。くるくる、来る来る...…くるくるくるくる......。
「おい」
耳を打つ声。はっと瞳をしばたかせると、うろんな瞳がこちらを真正面からみつめていた。




