ナイン~終わりの聖女と始まりの獣~
酷く寒々しい荒野。燦然と輝く赤い満月のもと、わたしは目をすぼめ目の前の巨体に問いかけました。
「なぜです......?あなたは人狼の王。この村、唯一の退魔婦<エクソシスタ>であるわたしは、貴方を永久の眠りにつかせなければ申し訳が立たない……なのに、なぜあなたはそんな瞳でわたしをみつめるのですか?」
赤赤と、青々と閃く眼光。
地の底から響くようにぐるると喉を鳴らし、彼の者は大きな9本の尾を震わせ、威嚇するようにその大きく鋭い歯をむき出しました。
「――知るか。聖女の末裔。お前が俺を滅ぼさないなら、俺は村人をー匹ずつ喰らおう。お前こそその瞳はなんだ。......似つかわしくない。化け物に向ける瞳ではないぞ、馬鹿者めが」
ぶるんと尾を振り、はっきりと拒絶を示すその人から、僅かな動揺を感じました。
「いいえ。人狼の王。似つかわしくないのはなたのほうです。どうしてそんなに苦しそうで愛おしそうで......やりきれない悲しみをたたえているのですか。あなたは恐ろしい魔物ではないのですか。なぜわたしを生かしておくのですか。それではまるで……わたしたちと変わらないではありませんか!」
負けじと声を上げたものの、ああ。なぜこんなにもいらだってるのでしょうか。
唇を噛み、睨むように目の前の恐怖を見据えて......違います。これではあべこべです。
「いいや。俺とお前は違う。もう一度言う。お前が俺を滅ぼさないなら、俺がお前たちを滅ぼすと。聞き分けのない強情な小娘よ。お前は光の者で…...俺は闇の者だ。けして交わらない。いい加減にしないと、その身を喰らってやるぞ」
再び喉を鳴らし、牙を覗かせた恐怖そのものの姿にやはり違和感を感じ、わたしは静かに問いかけました。
「......人狼の王。その言い方ではまるであなたが望んでいるようです。わたしたち子羊との共存を」
勘違いかもしれません。でも、思うのです。この胸が......魂が。きっとこれが正解だと叫ぶのです。
「どうしてそう解釈する?勘違いもいいところだ。俺は共存など望んではいない。俺は喰らうもの。お前たちは餌にすぎない」
首をぶるると振るい、皮肉げに唇を釣り上げたその姿はなにかを誤魔化しているようで。
だから、いま......ここで決める。
ずっと疑問に思っていた、その謎、その仮定、その不確かな真実。
そのすべてを、いまここで!!
「ではなぜわたしを、一度ならず二度も助けたのです。わたしが死ねばこの世界にあなたを滅ぼすものはいなくなる。......ねえ、あえてこう呼びましょう。ナイン。あなたはゼストという青年をご存知ですか? わたしが吸血鬼に襲われた時、魔女に襲われた時......身を挺してわたしを救ってくれた人。その名も......ゼスト・テンペスト・バール。彼の名前を縮めると、ゼプテンバール……九月の名称になる。9<ナイン>……それは九つの尾を有す人狼の王にのみ継承される名前。つまり、ゼストはあなたの変身した姿でしょう?」
毅然と口にしたつもりが、最後の下りは湿ってしまいました。
確信しているこれがもし事実なら......やりきれない、あんまりだと。
「勘違いだと言っているはずだ、小娘。根拠もなしにそんなことを言うとは、よもや命乞いのつもりか?」
あなたは瞳孔を開き、憤怒の表情を浮かべました。でもそれが演技だと今度こそ手に取るようにわかりました。
その瞳の奥の炎はほら。こんなにも動揺の形で揺れているのですから。
「いいえ、あなたはゼスト。その肩と背中の三日月形の傷......それはあなたがわたしをかばってできた傷のなごり!他の人々は騙せても<癒しの御手>であるわたしまでは騙せない! ねえ......もう一度だけ尋ねます。なんであなたはわたしを助けてくれたのですか? わたしは、わたしたちは......貴方たち人狼の敵なのに」
うなだれるように目線を落とし、最後はつぶやくような一言になってしまいました。けれどその大きな耳は、きちんとこの声を拾ったようです。
今度は落ち着いた風な抑えた口調で、あなたは全身の毛を逆立てました。
「言ったはずだ、小娘。すべてはお前の思い違い。過ぎた妄想だと。俺は人の子を助けない。俺は人の子らを喰らう者。それとも......喰らわれてみないとわからないか?」
「ええ、わかりません。わたしには。貴方がそうやって強情を張る意味が1ミリアンも。ねえゼスト。貴方言っていたでしょう? 生きろと。望んでくれたでしょう。わたしの未来を。だから、人狼の王......いいえナイン。わたしは貴方を……」
ぉおおおおおおおおん。
「……っっ」
「そらみろ。狼の軍勢がお前を喰らいにやってきたぞ。小娘、選べ。このまま我らの餌となるか、その前に俺を滅ぼすか。......選ばせてやろう」
嗤うようにあなたは片方の唇を釣り上げました。まるで、物語の悪役のように。まるで台本通り、そうしなければならないかのように。
「ナイン……貴方……」
「さあ、時間がないぞ。狼人の足は速い。後10セコンダも掛からずにお前の身に食らいつくだろう。さて、どうする?」
「…………」
「決めろ。......決めろと言っているだろう......!この痴れ者が!!!」
どこか急ぐように、あなたは咆哮する。
地の果てまで響くような雷鳴に似たそれに呼応するかのように、狼達の声が追従する。
おおおおおおおおおおおおぉおぉぉおおん!!!!!!!!
土埃舞い、千とも万ともつかぬ赤い瞳がこちらにギュルリと向いた。
エサヲクエ! クラエ!! クラエクラエ......!! クラエクラエクラエカミチギレェェェェェェ......!!!!
怨嗟のような唸り声は天を割らんばかりの復唱
コロセ......コロセ!! コロセコロセ!!!ワレラノカタキ......!!!!
ああ、そうか、と思う。
憎悪のような叫び声。それは......私たちを食い破る復讐歌
視界がぼやけ、はらりと頬を伝う生暖かいものは血液ではありませんでした。
そうね。あなた達もそうだったのでしょう。
同胞を退魔され。兄弟を。親を。子がを.....恋人や妻を。
無残な屍となった、愛しい......愛しかった人の亡骸を抱いて吠えたのでしょう。哭き叫び、泣き叫び......復讐を誓ったのでしょう。
なんで気づかなかった、気づけなかったのでしょう。
わたしだって......そうだったのに。
でも、違ったのね。
あなたはこの永遠に続く復讐劇を......はじめから......。
わたしはすうっと立ち上がった。
頬を流れ落ちる涙は、もう恐怖のそれではありませんでした。
先刻まで震えていた膝はもう感覚を失っていた。でも、立てる。......行ける。
1歩......また1歩。
ざわめく狼の群れなどもう目に入らない。
もうこの瞳は。この足も、手も......もう。
((あなたのものです。......ナイン))
ぎゅっと抱きしめたその身は冷たくて、熱い。狂おしいほど凍えて、悲しいほど燃えている。
まるでそれは、愛憎のソネット。
だから、そっとその大きな口に......口付けた。
......ちゅ......。
けして柔らかくはない。
だけど、甘い。くらくらするほどに甘やかだ。
だからわかった。
わたしはこの人を愛している。
いいえ。ずっと前から……愛していたのです。
(そうですよね、セティ)
『契約です』
そっと、唇を耳に近づける。
古傷だらけの大きな耳。
私たち人の子とはまったく違うそれが今......こんなにも愛おしい。
『わたしの心臓をあなたに捧げます。その代わり、あなたは......』
ひっそりとその鼓膜に囁く。
――了承した。この、大馬鹿者が。
ナインはわたしをその燃える藍でみつめ、燃える愛でもって答えた。
『俺は御前の物だ。終わりの女神......グノマリア』
終わりの女神? 終焉の聖母【グノマリア】? そんな......嘘でしょう?
震える手で薔薇十字【ロゼリア】を握りしめると、ナインはその燃え上がる哀眼で再び囁き返しました。
始まりの獣【ノーイン】零より出ずり、9番目の扉を開く者【ゼプテンバアル】
俺が【御前の終わり】を終わらせてやろう。
......え?
わたしは首を傾げました。わたしの手には大きな鎌。背には大きな灰色の翼。
そのわたしをわたしが眺めている。斜め上から。
【【おしまいにしましょう】】
斜め下のわたしが、終わりを告げながら鎌を振るう。
いや......!どうして......!?!?
......ざく。と音が。した。
なんで。なんで......ナイン。
約束したのに。
わたしの心臓をあなたに預けると。
そうすれば、あなたの中でわたしは生きる。
わたしが死んでも、あなたと共にある事ができる。
なのにどうして。
わたしはあなたを......殺しているのですか。
ざくりと転がったのは、あなたの首でした。
ざくりと刈り取ったのは、わたしでした。
薄れゆく意識の中、あなたの声が聞こえました。
終焉の女神、世界を滅ぼす娘よ。御前をこの身に封印する。
対価はこの命ひとつ。
人の子を刈り取るお前など、お前ではない。
愛し慈しんだ同胞を殺めるお前など、お前ではない。
残念だったな。すべては俺の思い通りだ。
お前は人の子で、小娘で......聖女だ。
最後まで俺の......愛しいセシリアだ。
愛している。いつまでも......。永遠を......、お前と踊ろう......。
明滅する意識のなか、最後に聞こえたのは。
セシリア。盲目の聖女にして終わりの女神よ。始まりの獣、無を代入する者【No-iN】の名において、御前のすべてを0へと巻き戻す。
俺がお前が怪我をして目を負傷した時。お前が人狼に襲われ瀕死になった時。弟や妹を殺された時。吸血鬼に騙された時。魔女に呪いをかけられた時。狼の少年〈セティ〉に出逢った時。お前がヒイラギの木下で生まれた時......。すべての時間で俺が待っている。
だから今は...... すべて忘れ......。。 安らかに眠れ............。。。。
思い出す。
『わたしの心臓をあなたに捧げます。その代わり、あなたは......』
思い出す。
この復讐に満ちた悲しい世界を終わらせようとした、あなただけは。
( いきて、生きて。ください......あなただけは......。。。)
ああ......時が、巻き戻る音がする。
無邪気に笑っていたあの頃のわたしが......あなたの手を取り花咲くように笑い、かろやかに踊る。
( ( セティ、だいすき!! )




