表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

14/25

第9もふ。「9月は、“鳴けない鳥”と出逢う」

 


 イライラする。くそったれが。


 なにもかもが気に食わねえ。

 はらわたが煮えくり返るどころじゃねえ。


 煮えすぎてモツ煮にでもなりそうだ。


 消毒液のうざってえにおいをかぎながら、乱雑に廊下を歩く。


 もうここに用などないし、頼んでも二度と来てやらねえと思った。



……ナオ。あのクソ手間のかかる変人女。


 事情があってすっぽかした詫びをいれようと思ったら、学校には来ていないと聞いた。


 しかも交通事故にあったらしいと言われたら、誰だって心配になる。


 病院名がわからず、近隣の病院を手当たり次第に捜し歩いた。


 結局みつかったのは二ヵ月も先だ。こちらにも事情があったとはいえ、遅すぎた。




 自分でもなぜ、こいつのためにこれほど必死になれるのか激しく謎だ。


 だが、どうしてか放っておけない。


 おりに触れ、そのやわい肌に触れるほどに己の中のなにかが、おおんと吠えるのを感じる……。


 なんて言ったら厨二がすぎるか。


 だが、あいつが危険な目に合うたび、気が付くと体が動いている。



 階段から降ってきやがったあの時もそうだった。


 危ねえとかなんとかいう前に、全身で受け止めていた。


 背後がコンクリでなくてよかった。


 あの時軽く頭を打ったが、硬い地面なら下手したらお陀仏だ。




 再び思い出した光景に奥歯を噛んだ。


 病室で目を覚ましたあの時。


 俺を目にした瞬間のぼうっとした顔を思い出すたび、焦燥にも似た苛立ちが全身を泡立たせる。


 血液という血液が沸騰するかのような激しい不快感。


 それはまるで……「恐怖」に似た。



……「恐怖?」 


 そこではた、と足を止める。


 怖がっているとでもいうのか? 

 この俺が。あいつごときに忘れられることを?


 ざわり。再び血液が泡出つ。


 おおん、と何者かの遠吠えが聴こえる。それはまるで――「三月の獣」に似た。


 ちっと舌打ちして、おかしな幻影を振り払った。


 思い出す。「獣になった男」の物語。


 古臭い古典の物語。

 とっくにくたばったジジイがよく語っていたおとぎ話。




     (( 九狼。おまえの名は……の証。三月の……が……人の子……その血は……。 ))



 もはやとぎれとぎれにしか思い出せない、年寄りの妄言。


 おおまかなストーリーはこうだ。三月九郎みつきくろうという猟師の男がいて、その男が恋する女を護るために……。






「そこの君、ちょっといいかな」


 その時、斜め後ろから若い男の声が聴こえた。


 振り向くと、まっさらな白衣がたなびくのがみえた。


 四角い黒縁眼鏡。


 女受けしそうな甘いマスク。

 手に持ったカルテらしき書類。

 軽い足音を響かせる……黒い革靴。


 みるからに医者だろうが、すいぶん若く見える。


 研修医なのか? なぜ俺に話しかけてきやがる?


「なぜ話しかけるか、と考えているね」


 そこで男は笑った。


 だが目が笑っていない。


 口元のみで微笑むその冷めた目つきからは、明確な敵意がみてとれた。


「……あんたは心理学者かなにかか?」


「年上に対する態度がなっていない。やはり君はまだ幼いな。年の割に大人びているというのはみせかけで、中身はただの多感なお子様だ」



「ずいぶんふざけた医者だな。俺に何か恨みでも?」



「20点」

「……は?」



「残念ながら、そんな問いでは解答はあげられないな」


「……何様だあんた」


「君が聴くべきなのはあの子のことだ。“トモダチ”なんだろう? ずいぶん仲がよかったそうじゃないか。まず第一声で問うべきはあの子の現状じゃないのかな?」



「あんたになんの関係があると? タダの医者が口はさむんじゃねえ。それに俺は」



「もう友達じゃないとでも? ずいぶんと冷たいね。それだからあの子に忘れられるんじゃないかな」



「ふざけやがって……と俺がキレれば満足か? 下衆野郎げすやろうが」



「さあね。まあ長話もなんだし、質問には答えよう。僕はあの子の保護者だ。年が15ほど離れているが親戚関係だ。君と違って血のつながりがある。僕にとっては妹も同然の子だ。当然大切にしているよ」



「へえ……ようするに従兄妹か。どうりでクソみてえな嫌味ばかり言ってきやがると思ったぜ。ロリコン野郎の嫉妬ってわけか」



「ずいぶん減らず口だね。残念だが君の邪推じゃすいは的外れだ。保護者だといったろう? それ以上でも以下でもない。それで本来の問いに対する解答だけど」



 そこで医者男はこちらの瞳を真っ向からみつめてきた。


 眼鏡越しの瞳に「白い炎」がちらつく。


 おおん、とまたあの幻聴が聴こえ、奥歯をかみしめかけた。


……その時だった。



「あの子は交通事故で頭を打ち、記憶の一部を失っている。一体誰のせいか……もうわかるよね?」



……は? と乾いた声が響き、自分が発したのだと後から気づいた。


 打ち身で済んだと聞いた。


 怪我らしき怪我もなく、奇跡的に無事だったと。なのに、記憶が……ない、だと?


「そんな……バカな」



「馬鹿は君だ。放課後あの子を裏門で目撃したという証言が集まっている。誰かを待っている様子で、ずっと裏門近くの階段で座って時計を気にしていたという。帰り道で泣いていたという声もあるね。放課後約束をしていたのは君だ。違うかな?」



「……待て。それじゃあ……」


 あいつが記憶を失ったのは。

 俺のことを忘れたのは。



「そうだね。悪いのは君だ。ああ、それぐらい言わなくてもわかるよね。いくら君が救いもない阿呆あほうだとしても」


「俺が……」



 あいつを待たせなかったら。

 約束の時間に間に合っていたら。


 そうでなくとも、連絡のひとつでもよこしていれば。


 ちり、と頭の奥が焼けつく。

 思わず頭を押さえ、下を向く。


 がんがんと鳴り響くのは頭痛……いや、激しく暴れ狂う心臓だ。



 脳漿の奥の奥。ニューロンの狭間。

 無数のIFが交錯し、絶望にも似た事実に酔いそうになる。


 どうして。なぜ俺はあの約束を守れなかった? 


 どうして、よりにもよってあのタイミングで。


 ××が××しなければ……結果は変わっていたのか? 


 こんなクソッタレな未来は変えられたのか?



「まあ、そういうことだ。はっきりと言おう。二度とあの子に近づくな。君の存在はあの子の害になる」



 それは激しい拒絶の言葉であり、断罪の一撃でもあった。


 そして、そこにはある種の悟りも含まれていた。


 まるで……「以前にも前例があった」かのような。


 しかし、俺の頭はすでに機能していなかった。




    (( きゅうび ))



 へにゃりととろけるように笑う、その小さな顔。


 怖がる様子もなく俺にべたべた触れてくる、もみじのようなあたたかい手のひら。


 甘いせっけんと……ミルクのような甘いにおい。



   (( きゅうび、×××× ))



 なにか忘れているようで、なにか思い出せそうな。急速に鳴るアラート。忘却の旋律。最後の嘘。


 すべてが収束した瞬間、悟った。



 俺はきっと……あいつのことを。






 はっと気づくと、医者はもういなかった。


 脂汗が背筋を伝う。


……戻れ。戻るしかねえ。あいつのいる場所へ、あいつのいるうちに……今すぐに。


 歩みはやがて駆け足になり、驚いて制止を投げかけるナースを尻目に、元いた病室へと走る。


 間に合うか。間に合うのか。まだ許されるのか。


 おおおん、おん。獣が鳴く。急げ、とでもいうように。



 自動ドアが開く。驚いたようなその顔。


 いつもはふたつに結ってあるその髪がほどけている。


 そのくりくりとした大きな瞳の奥の……赤い炎に似た輝き。



――綺麗だ、と思った。はじめてそう感じた。


 ためらわず一歩を踏みしめる。


 続いて二歩。三歩歩くころにはなりふりかまうことなど、とうに忘れていた。


 一気に距離をつめ、その小さく柔らかな手を強く握りしめる。



「俺だナオ! ――思い出せ……!!」


「うわ、わ」


 ナオは焦ったように声を上ずらせると、ナースコールに手を伸ばした。


 その手首を縫い留め、細い顎をとらえる。


 その間、三秒。もう一秒も待てなかった。噛みつくようにその唇を奪い取る。


「ん、ぅ……っ」


 ふに、と柔らかい感触。


 いつもよりも濃いせっけんと甘いにおいに酔いそうだ。


 いや、きっととっくに酔っている。最初から酔っていた。


 しいていうならこいつの存在、そのものに。


 じたばたともがき、逃れようとするから舌まで入れてやろうと思ったが、さすがにそれはやりすぎだ。


 ぱっと離し、唇をぬぐう。


 ナオは混乱したように涙目で己の唇をおずおずと押さえ……一気に耳まで染めた。


「……あ、ぅ」


 ぐるぐると目でも回しそうな勢いで赤面し、そして……。



 ナースコールをだん!! と力任せに押した。



「――看護師さあん!!!!」


 やべえ、と思った。


 頭では冷静なつもりだったが、一ミリも冷静ではなかった己の行為を遅まきながら自覚し、ざあっと血の気が引いた。



 やべえ。なんとは言わねえが、ヤバすぎる。


 ベッドに横たわる病人(?)の手首をつかみ、無理やり抑えつけて唇を奪う。


 これは世間でいう……。


「へんたいっっ!! 消え失せろーー!!!!」


 ぼふん! と枕で胸やら腕やら無茶苦茶に叩かれて、その死にものぐるいの猛攻に思わず膝を折った。


 なんだこの馬鹿力。

 このちっこい体のどこにそんなパワーが。



「変態!! ヘンタイ!! へんたあああい!!!!」


 ばしんばしんぼふんぼふん。ひたすら殴られる一方だ。


 地味にいてえしどうする? 


 クソ大声で叫びやがるせいで、ひとりふたり野次馬すら集まってきた。


「水無月さん! どうしたの!?」


 ナースの声。まずい、と思った時にはすでに体が動いていた。


 ナオの攻撃をかわし壁際まで走る。


 そして窓枠をつかみ……一気に飛び降りた。


「っっ、キャーーーー!!!!」


 ナースの悲鳴を尻目に、俺は二階の病室からなんとか地面に着地し、そのままわき目も降らず走った。



――クソ。クソ野郎が。他の誰でもねえ。

 俺が一番下衆野郎じゃねえか!!





……りん。


 その時、鈴音がした。



 りん、りん。


 音が近づいてくる。



 りんりんりんりん。


 目の前に立つ、その存在。


 こちらの瞳をまっすぐとらえる、その「紫の炎」に似た瞳。


「……みつけた。如月きさらぎ九狼くろう――君をずっと探していたんだ」



 この時、俺は知らない。「目の前の存在」が己にとっていかなる意味を持つことになるか。


 ふいに「鳥」の鳴き声が聞こえた。――「鳴けない鳥」の鳴き声が。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ