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第8もふ。「9月は、“完璧な魔法使い”の数式(れんりつほうていしき)」

「結論から言うと、君は記憶を失っている」


 ここは診察室。


 デスクの前のパイプイスに座ったうさくんは、静かにそう語った。


「正確には、記憶の一部を」

「ああ……うん」


 わたしはどこかぼんやりとしながら、生返事した。


「まだ気持ちが追い付いていないと思う。何しろ突然のことだったからね」



 そして、うさくんは語りだす。


 Why、when、where……「what」


―― 「なぜ」「いつ」「どこで」――『何があった?』を。



 7月7日。


 夏休みまであと2週間あまりという、そんな時のことだ。


 時刻は放課後のチャイムが鳴っただいぶ後。


 君は横断歩道の途中、車にはねられた。 


 おそらく前方不注意だろう。

 だが、同じく不注意だった車側にも非がある。


 すでに示談じだんは成立し、轢(ひ

)いた相手側から慰謝料は保険会社を通して払い込み済みだ。


……いや、そんな話ではなかったね。


 とにかく、君は頭を強打した。


 幸い躰のほうは奇跡的に打ち身で済み、頭蓋及び脳の損傷もない。


 だが、ここからが問題だった。


 打撲した脳へのダメージからだろう。

 君は結果として、記憶の一部を飛ばしてしまった。


 治療法としては主に心理療法となる。


 しばらくは大事を取ってこの病院に検査入院、その後特になければ帰宅し通院、通学はその後になる。


――ここまでで何か質問は?



「…………」


 たっぷり20秒は無言で考えた。


「……パパとママは?」


「お母さまは仕事を中断して君を見に来たよ。今の話もすでに話済みだ。忙しい合間を縫って、何度も君に会いに来ていた。君は二か月あまりの間ずっと眠っていたし、とても心配していたよ」


「パパは?」


「いや……」


 うさくんはそこでためらうようなそぶりを示した。


「君にお父様はいない。正確には失踪しっそうしたまま帰ってこないんだ。もう五年になるかな……。お母さまが代わりに働いて君をここまで育ててくれた。その後の消息は不明だ。……少なくとも、今のところは」


 苦い口ぶりだった。後ろめたそうに目線をそらすうさくんは、きっとなにか知っているのだろう。


 だけどそれを無理やり暴くほど、わたしはバカでも子どもでもない。


 だから、気づかないふりをして「そっか……」と窓の外をみた。


 今は九月。紅葉の季節だ。


 夏はもう終わってしまった。

 楽しい夏の思い出を取り残して。



「……行きたかったんだけどなあ……」


「……え?」


 うさくんが目を軽く見開く。


「あれ……?」


 首を傾げた。どこに? “誰と?”


 追いすがった記憶のかけらはあかんべーをするように逃げて行く。


 残ったのは不完全燃焼のもやもやだけだった。


「誰……だろう……」


 瞼の裏に残る大きなシルエット。

 ぼやけていて顔も髪形もわからない。


 ただ、とてつもなくいいにおいがした、気がする。


 それに、おっかないのにもふもふしていて、かっこよくて可愛かった……気がした。



「ナオ」


 ふい、とうさくんを見上げると眉根を寄せていた。


 苦しそうな表情だ。


 いつだってそうだ。


 うさくんはポーカーフェイスな癖に肝心な時気持ちがダダ漏れで。


 だからわたしはそんなうさくんがだいすきなのだ。


「うん。だいじょうぶいだよ、うさくん。わたしはいつだって元気満点だものーー!」


 その時、ばっと衣擦れの音がした。

 続いて、ふわっ。とあったかくなった。


「謝りはしない。けれど、僕がなんとかする。……信じていてくれ」


 うさくんの声が耳たぶのあたりをくすぐる。


 ああ、抱きしめられてるんだな。

 包まれてるんだな。と実感できた。


 謝らないと言ったけど、うさくんはきっと謝りたがっている。


 わたしを守れなかったこと、力及ばず記憶を取り戻せていないこと。


 そのすべてを申し訳ないと思ってくれている。


 うさくんは悪くないのに。

 悪いのはむしろ、わたしのほうなのに。


 なんでだろう。


 いつもうさくんはわたしの肩の荷物を肩代わりしてくれる。


 なんでも背負って、なんでもしてくれる。


 どうしてだろう。わたしはなにも返せない。


 返せないのに……どうして?



 じわり、と目のはしが湿る。視界がぼやける。


 うさくんの背中に手を回し、しがみついた。


 そのままその広い胸に顔を押し付ける。


 うー。とも、あー。ともつかない嗚咽が漏れて、もうどうしようもなくなって。


 ただただ、その大きな体をぎゅっと抱きしめ返した。


 ほんとうはいつだってさみしくて、こころぼそくて。


 そんな時うさくんはいつも、いつだって優しくて。



 お気に入りのくまさんを失くしたときも。


「ナオ、兎人形だ。欲しいなら泣くな」


 家にひとりぼっちでさみしくて泣いたときも。


「ナオ、魔法の飴だ。効能は笑顔になること」


 友達に嫌われて、本当のほんとうにひとりぼっちになった時も。


「ナオ、何が欲しい? なんでも買ってやる。今日限定出血大サービスだぞ」



 知ってる。


 うさくんはいつだってわたしの代わりに悲しんでくれて、わたしを笑顔にするためになんでも与えてくれて。


 わたしを護るために精いっぱい力を尽くしてくれる。


 なんの見返りも求めず、ただわたしの笑顔のためだけに。


「うしゃく、」


 呂律が回らず、舌っ足らずな泣き声がもれる。


「大丈夫だ。だいじょうぶ。僕は君の<完璧な魔法使い>だからな。……そうだろ? ナオ」


「う、ん」


 こくこく、と必死で頷く。


 困らせてる。甘えてる。

 迷惑を……かけてる。


 うさくんは忙しいのに。


 目の下にクマがあるし前より痩せてしまったのに。


 うさくんの貴重な時間を使わせてる。

 だから、元気にならないと。笑わないと。


(ありがとーう! さんきゅーさんきゅー、充電かんりょーう!!)


 って、いつもみたく、ピースサインしないと。



「……ありが……」


 無理やりに釣り上げた頬に、何かが触れた。


「……バカだな」


 そのままほっぺをつままれて、みにょーーん、と横に引っ張られる。


「いひゃい」


「僕の前では無理して笑うなと言ったよね? 悪い子には飴ちゃんやらないぞ」


「……ふぁい」


 飴ちゃん一個でつられると思われていたことが軽くショックだったけど、意図はちゃんと伝わった。


「今の気持ちを30字以内で述べよ。なお、強がりや嘘は一切禁止とする」


「破ったら?」


「病院食の副菜をすべて豆腐にする」

「やーーーー!」


 わたしは、ふるふると首を振って抗議した。



「豆腐は食べ物じゃない……あれは悪魔の食べ物だよ。食べたら体がフニャフニャになる呪いがかかってるんだ……ゆえに食べれません!」


「そこまで覚えてるならよろしい。では本番。正直な気持ちを述べよ。はい、スタート」


「んん……」


 どう言おうかと考えを巡らせる。


「制限時間30秒。30、29、28……」


「わーわー! ストップストップ!!」


「23……22……21……」


「うさくん。言うから、ちゃんと言うから! カウントすとっぷ!!」


「はい。なにかな」

「えっと……」



 記憶を失って、本当は怖くて悲しくて、辛かった。


 小さな躰がどんどん空っぽになっていくかのような恐怖。


 そんなことはない。

 命まで取られるわけじゃない。


 だけど、自分が誰だかわからなくて。


 なんで自分が病院にいたかもなにも、なんにも思い出せなくて。


 それなのにうさくんの顔をみた時、それがうさくんだとわかった。


 たった三秒のうちにはっきりと。


 話をすればするほどどんどん記憶のピースが降ってきた。


 手のひらいっぱいの記憶の花びらに、胸がいっぱいになった。


 思い出すのはうさくんとの思い出ばかりで。


「だいすきなうさくんのことをいかにだいすきか」を証明する数式ばかりで。


 方程式を完成させた先に待っていたのは、優しい雨と甘い飴。


 そしてなにより……あたたかい抱擁ハグ


 こんなハッピーなご褒美、ぜったいほかにない。



(( ……りん。 ))



 ふいに、かすかに鈴の音が聞こえた。まるで、「本当に?」と問いかけるかのように。


 わたしをぎゅっと抱きしめる広い胸。穏やかなぬくもり。


“ちがう”と思った。


 もっとつめたくて、あつかったはずだ。もっといいにおいが、したはずなのだ。


 そう、「××××」とうさくんは……違う。


 あれ、と首を傾げる。


 再び降ってきた記憶のピースがさらさらと砂になって、指先から零れ落ちていく。


「……うさくん」



「わたし、なにか忘れてる。とても大事なこと」


 たぶん、とても大切なひとのことを。


 りん、りん。と鳴り続ける鈴の音を追いかける。



(( りんりんりん。)) (( りんりんりんりん。 ))



((( りん! )))



――ああ……とうとう。



 ((  “つかまえた”!!  ))




「………び」


「え?」


 不意をつかれたように疑問符なうさくんの声で、ふっと我に返る。


「んん……?」


 び。「び」とは、なんだろう。


 カビ。あそび。ともしび。

……“きつねび”


 最後のひとつをつぶやいたとき、かちんと頭の中でなにかがはまる音がした。


 パズルのピースの、最初のひとかけらを手に入れた……そんな予感がした。


 急にそわそわして、うさくんの胸から飛び出したくなった。


 もぞもぞと身動きをすると、うさくんはきょとんとしたようにわたしの名を呼び、ぱっと両手を離した。


「……ナオ? 何かまた思い出せたのか?」


「う~~ん、微妙……」


 実際、しっぽをつかんだ瞬間、トカゲのようにしっぽだけ残して記憶の

本体はどこかへと飛び去ってしまった。


 せっかく頑張って追いかけて、捕まえたって思ったのに。


 思わず軽くむすっとしていると、頭に掌が柔らかく触れて、そのままなでなでされた。


「……ゆっくりでいい。一緒に思い出そう」


 そう言って、うさくんは首をちょこんと傾げながら目を細め、ふわり、と羽のように笑った。


「う……っ/// うさくんマジ天使……!!」


 うるうると瞳を潤ませていると「はい、ぜんぶだいなし。やりなおし」と厳しめの言葉が返ってきた。



「ええ……“つきひは、ひゃくにんのこきゃくのごとし”なのに?」


「“行き交ふ人々”も君にはあきれるだろうね? 過ぎ去りゆく月日を下世話な商売の対象にするなんて、風情もくそもないな。はい、国語のお勉強もやり直し」


「うわ~~ん、暗記めんどくさい~~!」


「それを毎回やっているんだから世話ないよね。勉強というのはロジックとイディオムで覚えるんだと何度言えば……」


「あいあむ・じゃぱにーずなので、のーいんぐりっしゅ」


「そしてなぜか英語が壊滅的なんだったね。……はあ、先が思いやられるな」


「日本人は日本語がしゃべれればOKおけ!!」


「その日本語ですら時々怪しくないか? そもそも、どこでそんな変なしゃべり方を覚えてくるんだ」


「ネット……。それは人類の叡智なのです」


「サーフィンするのはいいけど、間違った情報に溺れないようにね」


「おふこーす!」

「……ほんとにわかってる?」



 生返事を見抜かれて一瞬だけうっとなる。


 すかさず「いえす、あいどぅ!」と誤魔化し混じりのグーサインを出したら、呆れたようなため息。


 それ以上追及されなかったので、作戦は成功。


 そう、困ったときにはとりあえずボケる。

 それですべて解決だ!



師走しわす先生」


 看護婦さんの、うさくんを呼ぶ声。


「取り込み中だ。すまないがもう少しま……」


「うさくん」


 そっとその腕を引いて、まっすぐ見据える。


「わたしはだいじょうぶい。だって、完璧な魔法がかかってるもん!」


 だから最強無敵!

 と歯をみせてむきむきポーズをした。


「そうか……」


 ほっとしたような寂しそうな表情をするから、なんだか胸がきゅっとなって、自分からうさくんを抱きしめた。


「……うん。もふもふ★うさパワーは世界を救うんだよ!」


「……そうだね。でもにゃおにゃおナオパワーには負けるかな」


「にゃんと!!」


 ぴょこん! と飛び上がるようなフリをして、わたしはふにゃりと笑った。


「お仕事ガンバ~!」


「……そうだね。頑張ってくるかな。僕を待ってる人たちのためにも」


「うむ!!」



 わたしはグーサインをしてから、手を振って診察室を後にした。


 うさくんと看護婦さんのしゃべる声。


 ちょっぴりの寂しさを胸に押し込んで、病室へと歩き出した。


 わたしは知らない。


 記憶のすみっこで吠え続ける「その狼」のことを。


 あるいは己の抱えた、弾に似た秘密のことを。



 おおおん、おん。りんりん、りん。



 遠吠えのような呼び声<アラート>。

 わたしを呼ぶ愛憎歌<ソネット>。


……呪いとも祝福ともつかない二重奏<デュエット>。


 そんな旋律が眠りにつくまで、ずっと流れていた。


……ずっとずっと……流れていた。


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