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青い空の下  作者: カリーヌ
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散歩道の彼

私はサナトリウムに移り、日々の日課を淡々と熟した。

ここでは1週間の断食に挑む。全く何も食べない訳では無く、プログラムに従って水分などはちゃんと摂る。

デトックスみたいな感じだ。体に溜まった毒を抜く。

私は普段もあまり食べる方では無く、特にこの夏を振り返るとロクな物を食べていない。体重も落ちていた。

だからかもしれない、私は美味しそうに食事をする人がとても好きだ。


この状態でデトックスに入れば死ぬかもしれないと思いつつ、先生の指示に従ってプログラムを熟す。

先生はやはり、プロである。ただ食べないのと、リセット目的できちんと断食するのとでは出る結果が違う。

私は2日目くらいにはもう元気を取り戻しつつあった。


一週間もいる必要は無い気もしないでもないと思いつつも。プログラムは1週間で組まれており、それを最後まで熟す事は大切だった。


緩やかに流れるサナトリウムでの時間も、体調的に、実家のお盆の喧騒より嬉しかった。


ここでは、蝉の声も少しづつ勢いを無くしつつ感じる。



日課の運動の方のプログラムもだんだんと勢い付いてきて、明後日退院までに日は流れた。



その日私はいつもの様に日課を終え、部屋でパソコンを叩いていた。


人間の潜在意識の中にある興味は行動に出る。これは時に偶然と言われる必然なのではないかと思う。



散歩道の彼が出ていた。


顔写真が出ていたから分かった。記事を読んでみると、その人は日本人では無かった。日本人の血を持っているが日本国籍を有しない。


その人は海外で、情報員として捕まっていた。その後わずか3か月で脱獄している。

今からほんの3週間前だ。

その後足取りは掴めていないようだ。


最初に彼は言った。

「私は刑務所上がりですよ。」と。


ネットの記事には、その人が1954年から1958年の間、日本の大学に在籍していた事に触れていた。


その他、詳しい事は分からない。想像するしかないが、その人は未だ捕まっていない。


必死になって足取りを追っているらしい様子が書かれていたが、もしかして海を越え、日本という国に居るかもしれない事は、どこにも書かれていなかった。



日本人の私には、情報員という言葉はあまり想像が付かない。


だが私は、彼なら知っている。

例えば、100人の人がそれはギャグだと笑ったとしても、私には、80歳の彼が、囚人服を脱ぎ捨てて、易々と走り去る姿が簡単に想像できた。

それは、彼を知る人だけが頷く事の出来る、ミラクルなのかもしれない。



2日後、サナトリウムを出た私は散歩道に行ってみた。

彼の姿はそこには無かった。

次の日も、次の日も行ってみたが、あのベンチには、知らない人が座っていた。


毎日2時間の散歩は寄り道をしなくなった。いつもいつもそのベンチに彼がいない事を確認しながら、自分でもふふと一人笑った。80歳の男性を、私はとても気にしていた。




なぜだか諦めきれなかった。


彼からは沢山の話を聴いたつもりでいたが、そこに彼を探す手立ては何も無かった。



私に残されたのは、北海道の小樽にある喫茶店だけだ。彼はそれが本当にあると言った。

その町と同じ名の喫茶店、「小樽、喫茶店、飲み屋」で検索を掛けた。


その店は、実在した。


私はもう一人のマアムに会うべく、迷わず飛行機に乗った。







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