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青い空の下  作者: カリーヌ
1/6

マアム

その人は私の事をマアムと呼んだ。

散歩の途中、今日も会った。

私は健康の為、医者に毎日2時間のウオーキングをする様に言われて始めた、毎日2時間の散歩だった。

川沿いの散歩道。

その男性は、いつも決まったベンチの、いつもと同じ、右側から一人分程の空間を空けたその場所に座っていた。

80歳を超えるだろうか?落ち着いた物腰に、単行本を片手にしている事もあれば、ただ静かに川面を見つめている事もあった。

毎日、私は散歩をしなければならず、それはやがて習慣となり、歩かないと自分の気が済まなくなるまでに、そう時間は掛からなかった。おそらくその川沿いの散歩道が、夏日も終わりを告げようとするその時期に心地良い風を運んで来る。風の当たりが私の歩を進めたのだろう。

その男性も、そうだったのかもしれない。


2時間の散歩は毎日続いたが、私は不真面目だったのであちこち余所見をした。途中立ち止まり花を摘むこともあれば、朝食を抜いて出掛け、川べりで食べたりもした。2時間が3時間になることもあり、それが4時間になり5時間になる頃には、スーパーで夕食の買い物を済ませて帰る事もあった。


私がその男性に話し掛けたのは、川沿いの散歩道にも慣れた頃、すっかり私の目に、その人も馴染みと映る様になった頃、ごく自然な成り行きだった。今日はサンドイッチを川べりで食べようと思った時、ベンチに座るあの人も食べるかしら?軽い気持ちから、いつもより少し多めに用意した。それだけの事だった。


「良い天気ですね。」そう声を掛けた。

「今日も、頑張りますね、マアム。」

大した挨拶は要らなかった。相手にも、私の姿が目に入っていたようだ。

私はふふと、笑いたい気持ちになった。指でベンチの片側を指し、座ってもいいかと尋ねる。彼は、黙って頷いた。


マアム。その響きは不思議だった。多分別の場所で聞いたなら、私は不快に感じたかもしれない。笑ったかもしれない。

彼の何がそうさせるのだろう、私はその言葉が、全く気にならなかった。


初めの日、私はサンドイッチをベンチに広げ、彼と食べた。

80を超えるかもしれないその男性を、私が老人と称しないのは、その人のイメージにそぐわないからだ。

若くは無かったが、姿勢が良く、紳士的な雰囲気は見た目にも伝わるものがあった。

そんな中2人、サンドイッチを食べながら、彼は悪戯そうな目をして私にこう言った。

「私は、刑務所上がりですよ。」

水面をなぞる風は心地良かったが、川底まで揺らす事はできない。川は静かにそこに流れ、日の光を受けていた。その景色とその言葉は混ざり合い、男性の言った言葉の意味に対して、ゆっくりと私に、拒絶とは逆の、理解を与えた。


その後、私たちは何気ない言葉にお互い時々笑いながら、しばらくの時間を過ごした。

刑務所にいたという彼の言葉は、そこではあまり気にならなかった。私の目に映る彼の姿は、初めて話したその日にそのことについて触れて来た事実からでもあろう、何も怖い物は感じはなかった。


彼の話は楽しかった。当たり障りのない会話の中で魅力を伝えてくる人がいる。テンポの速い会話の中には無駄な言葉が無く、聞き逃さない様にと、知らず知らず夢中に聴いてしまう人がいる。引き込まれるのだ。彼も、そんなタイプだった。話を聴くのも上手く、私は普段口にしない自分の秘密にまで少し触れた。知らないうちに時間は過ぎ、別れ際、また話したいという気持ちが残った。それが、初めて会話を交わした時の彼への印象だ。目の前で言葉を発する、彼の姿だった。


「また明日。」自然、そう言って別れた。


私はスーパーで夕飯の買い物を済ませ、その日5時間程の散歩を終わらせた。



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