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2 寒い日には皆で鍋

 午後がミーティングだった。とは言え、午後は仕事が休みづらいFAVは欠席だった。おかげでいまいちTEARのノリが悪い。


「ご苦労様」


 午後一時、重そうに両手に手提げ袋を持ったマナミとエナを迎えると、TEARは片手に二つの袋をひょい、と持ってリヴィングへ持っていった。


「何か凄い量ね」

「あ、MAVOさん。ほら見て下さいよーっ手っ」


 そう言ってマナミは手を広げる。手提げ袋の持ち手が食い込んだせいで、手のひらと指が真っ赤になっていた。


「あらら真っ赤」


 かわいそ、とMAVOは赤くなった手のひらを「なでなで」してやる。


「ほらこっちだよっ」


 TEARが大声で居場所を教える。こたつ上に買ってきた雑誌を出して山積みにする。これじゃあお茶が置けませんよ、とマリコさんがぼやく。そしてあきらめて大きなトレイを探しにいく。


「HISAKAさんは?」

「…」


 エナの問いにMAVOは黙って「スタジオ」を指す。そう言えば、何やらピアノががんがんに鳴っている。


「やだCDかと思った…」

「何弾いてるんですか?」

「さあ」


 MAVOは首を傾げた。HISAKAが来るまでこっちで話そう、と二人をリヴィングへ手招きする。怒らせたのかな、とエナは不安げな視線をマナミに送る。マナミはエナがMAVOに対してややナーヴァスになっているのは知っていたから、とりあえずはこう言った。


「大丈夫」


 マリコさんが廊下へ顔をのぞかせる。


「二人とも早く来ないとあの二人にケーキ食べられてしまいますよっ、今日はアップルパイっ」

「あ、はいはいっ」


 二人は慌てて靴を脱いだ。 

 去年もそうだった、とMAVOは思う。確か、この時期だった。まだバンドが今のように落ち着いていなかった時だったから、苛々しているのかな、とその時はMAVOもそう思った。

 HISAKAは冬になるとナーヴァスになる。そんな時にドラムではなくピアノを叩く。「弾く」のではない。「叩く」のだ。

 心配することはありませんよ、とマリコさんは言う。あの人は毎年そうなんだから、と。

 そうかもしれない、とMAVOも思う。自分は彼女の冬をまだ一回しか知らない。マリコさんは長い間知っている。だから彼女がそう言うんだから、心配するほどのことはないのだろう。…そう思いたい。


 だが、だったらどうしてドラムでないのだろう。


 去年のこの時期、時々HISAKAはとりつかれたかのように激しく自分を求めた。

 寒いからどうの、というのは所詮言い訳に過ぎない。寒さはどんな季節にだって現れる。例えうだるような夏の暑い日でも、「寒さ」は存在するのだ。

 そういう時期をMAVOは自分自身と比べてみる。

 自分は春から初夏にかけて不安になる。そういう時に寒くて仕方ないから、HISAKAにすがりついているような気がする。別の季節になってしまうと割合自分が何をしていたのか、思い出すと赤面ものではあるのだが、その季節の最中はそれはそれで夢中なのだから仕方がない。

 マリコさんはそれには見てみないフリをしている。もともとこの点については彼女はあまりいい顔をしていない。それはMAVOは言われなくとも気付いていた。そして絶対マリコさんは口には出さないだろう。

 聞こえてくる曲も去年は知らなかったけど、今年なら少しは判る。年末曲と言われればそうだが、「第九」は去年も鳴っていた。他にもいろんな曲が鳴っていた様な気がする。それも結構荘重なものだの、おおげさな組曲だの、フィナーレが感動系のものだの。

 まあ曲の内容のことはこの際はっきり言ってMAVOはどうでもよかった。実際MAVOには「第九」以外タイトルは判らないのだ。

 ただHISAKAがこの時期になるとクラシックの曲の中にはまりこんでしまうのがどうにも気になったのだ。

 ドラムのことを忘れる訳ではない。決してない。だが、確実にピアノに向かう時間が増える。

 MAVOは妙に苛立つ自分に気付く。どうして苛立つのか、その理由がはっきりしないから余計に何か悔しい。

 早く年が明けてくれればいいのに、とMAVOは思う。


「あ、お待たせーっ」

「HISAKAさあん、パイ食べちゃいましたよぉ」

「あん?」


 結んでいた髪を解きながらHISAKAはマナミをにらむ。慌ててマナミは冗談ですよ、と手を振る。

 TVからはこの時間、お茶にごしの番組が流れている。例えばゴルフの中継、例えば再放送の時代劇、例えば七十年代の映画。


「FAVは?」

「FAVさんはバイト退けてから来ますって」

「日曜だし年末だからなあ… 美容師は」

「やっぱり大変ですかね」


 ぼやくTEARにマナミは訊ねる。


「まーね。平日の休みの日はあたしが忙しいし」


 そういうことを聞いていた訳ではないのだが。


「美容系の専門学校行ってたんですよねえ、あのひと」

「まあたぶんそーだろうねえ。高校はきちんと卒業してるし、成績はいい人だったとゆーことだから」

「へえ」


 マナミとエナは顔を見合わせる。


「そういや、あんたら今度卒業だったよね」

「ええ。でまあ、一応二人とも決まったんですが」

「何すんの? 就職? 進学?」

「あたしは服飾系の専門で、こいつは短大の国文科」

「服飾系。へー… 器用だと思ったら」


 そう言えば結構手作りのアクセサリーとかしていたな、とTEARも思い出す。


「腕上げて、恰好いいステージ衣装作れるようになりますよっ」

「期待してるぜっ。でエナちゃんのほうは」

「あ、あたし?えーと、図書館司書の資格取ろうと思って」


 ししょ? とMAVOとTEARとHISAKAの声がユニゾンになった。


「マナミのように直接ここにどうこうできるものじゃあないですけど」

「んなこと考えなくたっていいって。でもどーして司書? 何か初めて聞いた気がするんだけど」

「んー… と、こないだ、HISAKAさん、あたしとマナミに都立中央(図書館)で調べ物させたでしょう?」

「ああ、ロック年表(作り)」


 何じゃそりゃ、とTEARは目を丸くする。


「結構面白かったんですよね… 資料探してまとめてどーのって作業」

「げーっ? 面白かったのお?」

「あれ、あんたそーでもなかった?」

「いや、内容はともかく、あの膨大さにうんざりした」


 だろーなあ、とTEARとMAVOはげらげら笑う。


「だから、そういう、本だの資料だのとつきあう仕事って面白そうだなと思って」

「ん、でもいい傾向じゃん。何も面白いことないよっかずっといい。最初見た時なんかよりずっと可愛くなったし」

「へ?」


 MAVOにそう言われるとは考えもしなかったので、エナは思わず肩をすくめた。


「それにしてもずいぶんな量の雑誌ですな」


とそれまで黙ってぼーっとTVを眺めていたP子さんが言った。


「『ロック系の雑誌』なのか、『ロック系の人も載っている雑誌』なのかちょっと困っちゃって」

「それでまあ『も』の方にしたんですけど」

「や、それでいいのよ。だからあなた達に買いに行かせたんだから」

「どういう意味ですか?」

「んー… だからロックとひとことで言ってもいろいろだなあ、ということを実感すべく」

「はあ」


 うんうん、とMAVOやTEARはうなづきあう。さすがにHISAKAの普段から言っていることを理解しているメンバーはいいが、エナやマナミはなかなか理解できない。


「だからさ、ロックやっている連中にとってのロックと、一般ピープルにとってのロックって違うからさ、時々忘れそうになるんで確認しよう、とこいつは言ってるの」


 全くしち面倒くさいこと言うんだから、とTEARは笑って、HISAKAの肩を叩いた。


「なるほど」



 八時すぎになってFAVがやってきた。既にエナもマナミも帰宅していて、HISAKA宅にはメンバーとマリコさんだけになっていた。

 FAVが来てから夕飯にする、とマリコさんが主張したので、それまでは音合わせをすることにしていた。時間がもったいない、とのリーダーのお言葉に、確かにそうだ、とうなづいた結果である。

 FAVのパート抜きでやると、さすがに音はシンプルになる。入ったばかりだというのに、FAVのギターが、PH7の曲にふりかけるエッセンスの効き目は大きかった。音一つで曲が華やかになる。それはHISAKAの時々無意味にゴージャスに重厚になってしまうものとは違って、何かしら浮遊感を伴っていた。切れるように鋭い音も出すことは出すのだが、その一方で、サステインを効かせた… 上空へ舞い上がるような遠くへ届く音を自在に奏でる部分もあった。

 HISAKAは最初に意識してその音を聴いた時に、光の明度が高い風景画が浮かんだのだ。その明るさは自分にやや欠けていた。欠けていたから欲しいと思ったのだ。

 そしてそれは正解だったようである。

 重厚なものはある程度支持されることは判っていた。だが重厚なだけでは駄目なのだ。自分には理解できても、聴く相手に理解されなくては意味がない。

 だがそれは客のレベルに落とす、ということではない。


「要は入口なのよ」


と十一月の中頃、よくHISAKAはFAVに言っていた。


「あたしのボキャブラリィだけではコトバが通じない人にはあなたのコトバが必要だと思うの」


 なるほど、とその時FAVは答えた。

 そんなことを思いだしながら、HISAKAは新曲のドラムを考えながら叩いていた。新曲がFAVのものだったのだ。タイトルは「MERRY-GO-ROUND」という。

 おもちゃ箱みたいな曲なんだけど、とFAVは前置きした。だからそこに何かあんた達で色塗ったくってちょーだい、と。


「どーせ単純にあたしの思ったとおりにはしてくれないでしょ?」


 そう笑いながら。

 FAVは自分の曲がいじられるのが好きだ、という。変わったら変わったでまたそれが面白いんだ、と。その点がついつい構築に走ってしまう自分と違うんだ、とHISAKAは思う。そして自分にない部分だから、PH7には必要なんだ、と。

 おもちゃ箱おもちゃ箱…思いつつもある程度決めたリズムパターンを叩いていく。そこにベースが跳ねるような音で乗っかる。軽いリズム。


「…!」


 突然途切れる。


「…たぁ…」


 TEARが小さくうめいた。どうしたの、と手が空いているMAVOが訊ねる。


「MAVOちゃんバンソーコちょーだい」

「ばんそうこ? どしたのTEAR」

「これこれ」


 ぐっと右手を突き出し、左手で親指と人差し指の先端を見せる。


「げげっ… 痛そ」

「何何どーしました?」


 P子さんもHISAKAも何事じゃ、と言わんばかりに近寄ってくる。基本的に皆野次馬根性は旺盛だった。


「ありゃこれゃ痛いですよ」


 親指の先端の、固くなった部分がぱっくりと口を空けていた。


「何でこうなるまでほっとくのよお」

「いや毎年なるし、春になれば勝手に治るもんだからまあ」

「そういう問題じゃあないでしょ、マリコさあん」


 MAVOはばたばたとスタジオから飛び出して行った。


「何でそこまでなる訳?」

「まー体質もあるんだけど… さすがに左手はもうそれすらならなくなったけどまだ右手は中途半端だなあ」

「ああベースだこ」


 P子さんは自分はどうだったっけ、とじっと自分の手を見る。


「P子さんは大丈夫。あんただいたいひび割れもせんじゃない」

「何どーしたの?」


 ひょい、と鮮やかな風が吹き込んだような気がした。大きめのコートを羽織って、中には鮮やかな色のモヘアの、これまた大きめのセーターを着た奴がやってきた。


「FAVさんは手、大丈夫?」

「手?」


 じっと手を見る。


「何? 手がどーしたの?」


 HISAKAは近付いてぱっと手を取る。


「あらしなやか」

「だから何だっつーの」

「いや、そこの女がご大層なひび割れ起こして」

「おやまあ」


 自業自得だよ、とFAVはそのトラブルの主に言う。HISAKAは何それ、と言葉の意味を訊ねた。


「ただでさえほこりっぼい所でバイトしてるんだから、もっときっちり手のケアせいっつーの」

「ああ、そういうことか」


 HISAKAはにやにや笑う。何笑ってんのよ、とFAVは軽くHISAKAをにらんだ。


「おおっ血がにじんでくる」

「押してりゃとーぜんだわ。止めたきゃ心臓より上!」


 そう言って手を掴むと彼女の大きな胸より上に上げた。こうなるとHISAKAは、やめろと言われてもにやにや笑いは止められない。


「誰かけがですってーっ! あらFAVさんこんばんわ。いつの間に」


 MAVOより先にマリコさんが飛び込んできた。どうやらケガだ何だと聞くと、昔の血が騒ぐらしい。


「玄関開いてたよ。物騒だからちゃんと鍵しめなさいや」

「あ、そーでした? で、けがは」


 てきぱきとマリコさんは救急箱から道具を出す。


「そ、そんな大げさに…」

「TEARさんどっか… あら血」

「大丈夫だって。ばんそーこだけちょうだい」

「そう言ってるとひどくなるんですよ… あーあひどいあかぎれ」


 そう言うとマリコさんはきず薬の軟膏を取り出そうとする。それを見てTEARは、


「あ、塗るのは駄目っ」

「何でですか」

「楽器に付くじゃねーの… とりあえず音合わせの後に」

「だってFAVさん来たじゃないの」


とMAVOが口をはさむ。


「へ」

「FAVさん来たら食事にするからって、時間つぶしに合わせてたんじゃなかったっけ?」

「あれ?」


 MAVO以外の全員が熱中しすぎていて当初の目的を忘れていたのだった。



 いただきます、と給食の時のように皆で「ごあいさつ」して食卓についた。総勢六人に、長方形のこたつはちょうどいい。


「うーんやはり冬は鍋だねえ」

「たまにはいいでしょう?」


 どん、とこたつの真ん中に二つの鍋が据えられている。長方形の遠い所に居る者にも取りやすいように、という配慮だが、…はっきり言ってたとえそれがどんな形であろうと、取りたい奴は手を伸ばして取るし、そうでない奴はいくら近くとも取らないのだ。

 でまあ、一応二つの鍋には公平に肉と白菜が入っている。ただ肉の種類が違うだけだ。


「鶏がいいひとはこっち、ぶたがいい人はこっちですよ」


と鍋番が言う。FAVとHISAKAはあっさりと鶏側について、TEARはぶた側へ行った。P子さんは五秒ほど考えていたが、ぶた側に付き、MAVOはそのP子さんの様子を見て鶏側へ行った。


「では私はこちらですね」


という訳で上手く3:3になった訳である。

 大量の白菜とねぎ、しいたけにえのきといった具が浅手の大きな鍋にぐつぐつと煮えている。にんじんはきちんと花形をしていたし、しいたけのカサは十字に切れ込みが入っている。


「ポン酢あります? マリコさん」


「はいはい、…でも自分で合わせて下さいな、こればっかりは好みの問題」


「あれ、マリコさんがそういうんだ」


 TEARがびっくりしたように言う。


「何ですか一体」

「ん? いや、やっぱり完璧主義のひとかと思っていたけど」

「場合によりますよ。鍋は基本的にいい加減なものなんです」


 何か違うと思うが、と聞いていたFAVは思ったがあえて口は挟まなかった。どうやらマリコさんにはマリコさんの料理に対するポリシーという奴があるらしい。


「それで今日は一体何話したの?」


 箸をつけながらFAVが訊ねた。近くにたいそうな量の音楽雑誌がある。


「まああの二人には、年末ライヴの際の飾り付け関係を」

「曲どーの、はあんたがいなくちゃどーにもならんから」

「あ、そ。新曲やるの?リーダー殿」

「新曲、ねえ」

「あの『EYES』、何処でお目見えさせるのさ」


 仮タイトル「EYES」はFAVが最初に聞いたPH7の音源で、新曲である。このバンドがお得意の速い曲ではない。バラードである。


「気に入ってんだから。どっかで出さないと」

「気に入ってるのはこっちも同じ。だけど出し時ってのがあるからねえ」

「だしは効いてますけど」


 のんびりとP子さんがだしこぶを引っぱり出す。


「うまみはやっぱり肉だね」


とTEARはぶた肉の塊を出す。


「…をい」

「だからさ、そろそろ出してもいーんじゃねえ? リーダー殿。イヴェントってのはいろんな客が来る訳だし、しかも『お祭り』時だからそうそう完璧なものである必要はない」

「そうかしらねえ」

「三ヶ所が今回のカギだったよね」


 MAVOも口をはさむ。


「そ。24・27・31。フィラメント・ベイ77・オキシドール」


 暗号を歌うようにFAVは日程と会場を暗唱する。そして付け足して、


「だいたい六曲がいーとこ」

「六曲かあ。カタログ状態だよな。でも夏祭りと同じじゃつまらねえ」

「だわね」


 TEARとHISAKAはうんうんとうなづく。考えてみれば、夏祭り直前にTEARと知り合ったのだ。


「でも全部新曲じゃ客は乗らないと思うな」

「それも一理ありますねえ」

「4:2ってところじゃねーの? 新曲二曲。間にはさんで、ラストはお馴染みのナンバーで」

「予定調和すぎるって気もするけど」


 リーダー殿は箸を止めて考え込む。


「三日全部同じメニューってのも嫌だし」


 嫌な予感がする、とメンバーズは思う。何かこの展開は前にもあった気がする。


「じゃこうしよう。クリスマスには二曲、27日には三曲、で大みそかには四曲」

「げげっ」


 反射的にTEARがうめいた。


「おいHISAKAっ、そんなに新曲あったか?」

「実を言うとない」

「二曲は知ってるわよHISAKA、『EYES』と『MERRY…』でしょ。だけどあと二曲…」

「まあストックは無くもないけど」


 あああったのか、と息をつく音が聞こえる。


「でもまだ原曲だからねっ。アレンジこれから」


 安堵のため息は絶望のため息に変わった。


「皆さんそろそろ煮えすぎてません?」


 マリコさんが眉間にしわを寄せた。

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