絶対に許さない
アヤノはとても良い子だ。
礼儀正しく、常識がある。
常識ある者は、お通夜のあいだは携帯の電源は切る。
プツッ…… (電源オフ)
井上源太郎は、平凡な人生を終えた。
高校時代の数人の友達、同じ大学のサークルの仲間、職場の人たち……。
お通夜には、源太郎が思っている以上に多くの人が訪れていた。
マスコミの報道のせいもある。
ワイドショーでは小さく報道された。
通りがかったサラリーマンが、女子高生を助けるというエピソードだ。
源太郎も平凡なサラリーマンだったが、犯人もまた典型的な中途半端なチンピラ風の話題性の無い人間だったため、特に大きな話にはならず、ニュースとしてはすぐに世の中から消えた。
しかし、ネットは違った。
水谷亜矢乃は、まだどこの事務所にも所属していないが、アイドルを目指しており、地元では少し有名な「可愛い子」なので、当初はチンピラ風の犯人がアヤノのストーカーだった、というデマが流れた。
それがいつの間にか、被害者であり、アヤノを助けた源太郎がストーカーだという風に話が変化していき、ニュースで流れた源太郎の写真により、源太郎ストーカー説が信憑性を帯びて広まったのだ。
源太郎は、どちらかと言うと、イケメンではなく、キモメンなので、ニュースで被害者写真が流れてしまったことで、彼の名誉は大いに傷つくことになってしまった。
それはネットの掲示板でスレッドが乱立し、まとめ系サイトにも派生したが、残念ながら、源太郎がスマホに転生してから、まとめ系サイトを暇つぶしに見ていたときには、まだ炎上前であった。
源太郎が忘れ物取扱所で省電力モードになり、その後、充電が無くなったりしているうちに、ネットでは彼の話題で持ちきりになり、彼はアヤノの命を自らの命と引き換えに助けたにも変らず、ストーカー扱いされてしまったのである。
哀れなり。
井上源太郎のお通夜は普通に始まり、普通に終わった。
マスコミの姿もあったが、外から映像を撮っているだけで、特に何もなかった。
水谷家は、父と母とアヤノの三人が参列したが、終始目立たぬように、後ろの方で静かにしていた。
お焼香が終わり、斎場の二階で通夜ぶるまいが行われ、その場でも水谷家は少し離れたところに座っていた。
アヤノはやはり落ち着かない。
「パパ……、アタシ、井上さんのご家族に挨拶したい……、お礼を言いたい……」
「アヤノ、もう少し後にしよう……。人が少なくなってからのほうがいい……」
水谷パパはそう言い、アヤノもそれに従う。
そして、徐々に人が少なくなり、源太郎の家族(父・母)もようやく落ち着いてきた。
「パパ……、行こうよ……」
「もぅ……、アヤノは本当にせっかちね……」
水谷家の面々は、静かに、目立たぬように席を立ち、源太郎の両親のところに移動した。
「先ほどはお電話で失礼致しました。水谷亜矢乃の父で御座います。この度はご愁傷様でございます。本当に、何と言っていいか……、源太郎さんに、命を助けて頂きました……、本当に……」
「ご丁寧にありがとうございます。源太郎の母でございます……」
「水谷亜矢乃ですっ! 本当にすみませんでした。井上さんに命を……、命を助けて頂きました……。そ、それなのに……、こんなことになってしまって……」
アヤノの目には涙が溢れる。
「まあ、本当に……、とても可愛い娘さんですねぇ……。あの子は……、あの子は最後に正義の味方になったのかしらねぇ……。亜矢乃さん、あの子は自分の意志で、あなたを助け、それが危険かどうかの判断も出来たはずです。あなたが責任を感じることはありません……」
「井上さんは……、自分が刺されているのに……、パトカーが近づいてくる音を聞いて、アタシに『もう大丈夫だ』と言ってくれました。あのとき……、アタシは自分がもう何かされてしまう……、殺されてしまうかも……、と思っていました。あの一言に、アタシは救われました……」
「源太郎さんの勇気と正義に、アヤノは救われました……」
「世間が何て言おうと、アタシは一生、井上さんのことを想って生きていきますっ! 井上さんは、アタシにとっての正義の味方なんですっ!」
「せ……、世間は酷いものです……、どうして……、こんな……」
「あ、アヤノっ!」
「あっ!?」
場の雰囲気は固まり、重い沈黙が長く、本当に長く続いた。
アヤノは息が詰まりそうだった。
(井上さんもアタシも被害者だよ? なんでこんなに苦しまなきゃいけないの? なんか、なんか……許せない……)
アヤノはたまらずに言った。
「あいつらだよ! あの犯人の仲間たちだよ! あいつらがネットで煽って井上さんやアタシをもっと傷つけようとしてるんだよっ!」
「あ、アヤノ、やめなさい!」
「絶対、ぜっぇたいに許さない……」
「アヤノっ、黙りなさい!」
「て、てめぇのした事に責任持てよな、あいつら……、なにがストーカーだよ……、てめぇらのほうがよっぽどストーカーじゃねぇか……、あ、アタシは絶対に許さない……」
アヤノの声は部屋中に響き、周りの人たちはみんなアヤノ達のほうを見ている。
アヤノの両親が懸命に抑えようとするが、アヤノは止まらない。
「井上さんのお母さん! お父さん! アタシが絶対に、絶対に、井上さんが本当の正義の味方なんだって、みんなに分からせますっ! そして、酷いこと言った奴ら、全員に井上さんに、ご家族に謝らせますから!」
源太郎の両親は、そんなアヤノの豹変ぶりに驚きを隠せない。
「すみません……、井上さん……、すみません……」
アヤノの両親はそう謝りながら、必死にアヤノを連れ出そうとしている。
「アヤノ、やめなさいっ……、も、もう……、やめて……」
「水谷さん……、いいんです……、もう……、いいんですよ……」
今まで黙っていた源次郎の父が初めて口を開いた。
「水谷さん、もう……、いいんです……。源太郎は生まれてこのかた、彼女は作れず、独身の寂しい人生だったのかもしれません……。でも、最後にあなたのようなとても美しい、未来のある女性を救うことが出来た……。それがきっと、源太郎の、その最後のときの……、モチベーションだったんだと思います……。世間は色々言うでしょう。ネット社会です……、それも仕方ありません……。でも、水谷さん、あなた自身がそう思ってくれることこそが……、源太郎が生きて、人生を全うしたことの、彼の成果だったんだなぁ……、と思うんですよ……、だから、もう……、いいんです……」
「す……、す……、すみ……ま……せん……、あ、アタシ……」
「水谷さん、あなたはもう……、源太郎のことは忘れてください……。あなたのこれからの長い人生、このことを足枷にして欲しくないんです……」
「そ、そんな……」
源太郎の父は、彼が自分の意志で行動し、危険を承知した上で水谷亜矢乃を助けようとしたことを、誇りに思うようにしていた。
事件を知ったとき、父は「なんて馬鹿なことを……」と思った。
他人を、赤の他人を助けるために、自ら犠牲になるなんて……、と思った。
そして、そう思ってしまった自分を、恥じた。
源太郎のことを、何も知らなかったことを、悔いた。
ネットでは、源太郎が水谷亜矢乃のストーカーであるかのようなデマが流れており、父も知っていた。
自分の息子が、公衆の下らない好奇心の犠牲になっていることが腹立たしかった。
でも、よく考えると、自分も今までその公衆の一部として、ちっぽけな好奇心を満たすだけの、嘘か本当か分からないような情報を信じたり、無責任に情報を伝達したり、してきたではないか。
そんなものは、日本中の人間が毎日やっていることだ。
大多数の人間は、他人のことはどうだっていい……、そして、他人のことを無責任に面白可笑しく言う奴も、たくさんいるのだ。
息子の死が「生きる」ためには……。
水谷亜矢乃が生きなければならない……。
それが、源太郎の父が考えた結論だった。
水谷家は、源太郎の両親に深々を頭を下げると、お通夜の席を後にした。
「アタシは井上さんのことを忘れません!」と、最後までアヤノは吠えていた……。
〜〜 電源オン! 〜〜
(あれ? なんでみんなして泣いてんの?)