隠した思い
あまり近くにいると言いたいことが伝えられなかったり、素直になれなかったりすることがある。たとえば家族に対して母の日や父の日、誕生日などの契機なしでお礼やお祝いの言葉を最後に投げかけたのは、何時だったろう。
それでもお互いに家族としてやっていけるのは、それがこちらの不器用な愛だと相手も知っているためだ。表面には出さなくても家族や親しい友人、恋人などは深いところで繋がっているものだと思う。些細なことで関係が壊れてしまうことがあるのは、そういう気持ちを表面に出さないと、相手も自分も信じられなくなるからではないだろうか。
だから。
「兄が気持ち悪くて仕方ないんだが、どうすれば良いと思う?」
こんなことを妹さんに言われていても、安心してくださいお兄さん。きっと心の深いところでは、妹さんもあなたのことを大切に思っているはずですから。
「さぁ……俺からは何とも。突然どうしたんですか?」
隣で短い茶髪を揺らしながら首を傾げる彼女――大枝佳苗生徒会長に、俺は苦笑しながら訊ね返す。時刻は午後の五時を十分ほど過ぎた頃、俺と会長は生徒会の仕事を終えて下校していた。
自転車やバス、電車に徒歩と様々な手段で生徒が登校するうちの高校で、俺と会長は方向こそ違うが、同じ電車という手段を使っている。他の生徒会メンバーはそれぞれ別の方法で登校しているため、俺と会長が駅まで二人で下校する光景は、すっかり馴染みのあるものとなっていた。
「実は一昨日、私も晴れて十七歳となったんだ」
「え、誕生日だったんですか? おめでとうございます。どうして教えてくれなかったですか、水臭い」
「いや、何だか照れ臭くて――って、それはどうでもいい。問題は気持ち悪い兄に対しての対処法だろう」
言って会長は、眼鏡の位置を直す。夕日がレンズに反射して、目尻の上がった凛々しい瞳が赤く染まった。
「一昨日、夕飯の時に両親から本を貰ったんだ。随分値の張る本でな、それ一冊で文庫が十冊くらいは買えるから、なかなか手が出せずにいたんだ」
それは高い。一体どんな本なのだろう。
「いくら愛娘の誕生日だからと言っても、思い切った買い物ですね」
「うちの家族全員が贔屓にしている本屋が近所にあってな。そこの会員になって一定数ポイントが溜まると、会員限定の割引図書カードをくれるんだ。今回はたまたま母のカードポイント数が溜まっていたから、割引図書カードを使って買えたらしい」
数年間狙っていたうえ、まだ読んでいないから本当に嬉しい、と会長は笑った。
「お兄さんは何もくれなかったんですか?」
いいや、と首が横へ振られる。
「予想外にも用意したと言っていたよ。まだ貰ってないがな」
「は? まだ貰ってないって、どういう……」
「そこだ」
どこだ。
会長は伏せがちな俺の目の前に、人差し指を向けて立ち止まる。その顔には少しの不快感と疑問、そして苛立ちの色が浮かんでいた。
「奴はプレゼントを用意しておきながら、それを隠したと言うんだ。しかも明日の夜十二時までに見つけられないと、回収するらしい。な? 腹が立つし、気持ち悪いだろう?」
「まぁ、はい」
曖昧に頷いておく。
期限付きのプレゼントなら、早々に渡さないと無駄になってしまうと思うのだが……何故そんなことをするのだろう? 俺には兄弟がいないためか、会長のお兄さんの気持ちが理解出来ない。別に腹は立たないが、不思議ではある。
「お兄さんはどうしてそんなことを?」
「さぁな。嫌がらせか、本当は用意していないのか……私にも判らん。もともと兄は何かをしてくれる方ではなかったし、むしろ私を便利に使おうとする奴だからな。兄妹などそんなものだ」
「そんなものですか」
忌々しげに言う会長だが、どうも俺は彼女の言う通りだとは思えない。
会長は良くも悪くも、何かあればしっかり返すタイプの人だ。飴やクッキーを分けてもらったらジュースで、嫌がらせを受ければ屈辱で返すというように。
そんな彼女がただ使われるだけとは思えない。きっと自分もお兄さんを便利に使おうとしたことがあって、お互い様なのではないか。俺から見ればそれは、寧ろ仲が良いと思えるのだが……。
どっちにしても、あまり会長は兄弟姉妹という関係に良い印象は持っていないらしい。
「でも俺、会長みたいな姉なら欲しかったかもしれません」
「なんでだ?」
「だって会長、一人で何でもやろうとするトコありますけど、反面すごく俺たち役員のことを見てくれてるじゃないですか。で、なるべく負担が掛からないように仕事の振り分けをしてくれる。そんな優しい人が姉なら悪くないかなー……って、なんか恥ずかしいこと言っちゃってますね。俺」
照れ笑いを浮かべながら振り向くと、会長は顔を夕日へ向けるように視線を外し、素っ気なく「そうだな」と言った。顔だけでなく体の前面が赤く照らし出される。
「恥ずかしい奴だ、お前は」
「うわ、正面切って言われると結構傷つきますね。それ」
「嘘吐け。今更こんなことで傷つくような柄でもないだろう」
フッと唇の端を上げる会長。まぁ確かにそうですけどね、たいして傷ついていませんけどね、何でどこか嬉しそうに言うんですか。
校門を出て少しした場所にある横断歩道で止まる。一瞬訪れた沈黙に釣られ、俺も口を閉ざす。
やがて会長は、茜色の空を泳ぐように飛んでいく一羽のカラスを見上げた。
「それに、私はお前が弟になるなど仮定の話でも真っ平御免だ」
「ひでぇ! 何か俺、会長に嫌われるようなことしましたっけ?」
「さぁな。強いて言うなら、私の弟になりたいなどと言ったからじゃないか?」
えー。
信号が青になり、周りの人が歩き出すのに合わせて俺たちも前へ踏み出す。一歩先を進む表情は見えないけれど、声の調子から楽しげに笑っているのだろう。その小柄な背中は小さいのに大きく、儚げなのに力強い。
「今のままでいいじゃないか。私がお前の、お前が私の隣を歩く。姉弟じゃないから出来ることだぞ。兄弟姉妹が隣り合って下校するなど、まずない光景だからな」
「まぁ、そうかもしれませんが」
何だか納得いかない。そんなに俺と姉弟になるのは嫌か。
頬を膨らませたい気持ちでいると、トラックが会長の傍らを通り過ぎ、小さな「私はそうやって、お前の――」という呟きを掻き消していった。金属製品でも乗せているのか、荷台から派手な音が道に響く。そして一瞬遅れて、風が髪を揺らした。
一体、何て言ったのだろう?
会長も今の声が届いたとは思っていないはずだ。しかし特に気にしていないのか、軽く手で髪を整えると、何か思いついたように人差し指を立てる。
「それよりも前川。どうだ、一緒に考えてくれないか?」
「は? 何をですか?」
「だから、プレゼントが何処にあるのかについてだ。しっかり聞いていたか?」
その話ですか。聞いていましたよ、はい。でも。
「考えても判るとは限りませんよ?」
「判っている。それでも暇潰しくらいにはなると思うぞ? それにお前、こういう話が好きだろう」
確かに俺――前川大地は、こういった小さな謎について考えることが好きだ。それは俺にとって、目の前に置かれた知恵の輪みたいなものなのである。見えるところにあると、解けても解けなくてもつい手を伸ばしてしまう。
ましてやこういう謎の場合、その魅力は知恵の輪よりもずっと大きくて強い。数学のように正しい答えを出す必要がなく、自分が納得さえ出来れば良いからだ。どうせ正しい答えを導こうとしても、証拠などないから確かめられない。それなら適当な答えで納得しても構わないだろう。誰かの迷惑になるわけでもないし、気楽に考えれば良い。
「加えて、私は前川なら見つけられると思っている。お前は今までにもこういう謎を幾つか解いてきたじゃないか」
「解いたわけじゃありませんよ。結末に勝手な理屈をくっ付けただけです」
「それならそれで構わない。むしろ、今度はどんな理屈を持ってくるのか楽しみだな」
うわぁ、プレッシャー。
とはいえ、断る理由もない。小さな溜息を一つ漏らして、俺は了承した。まだ駅まで少し距離があるし、会長の言う通り暇潰しくらいにはなるだろう。もし隠されている場所のヒントが出れば、それだけでも価値があったというものだ。
さて、そうなれば情報を整理してみよう。
事の起こりは一昨日、会長の誕生日。更に限定すれば、その夕飯時。
両親からは一冊の高い値段の本がプレゼントされたが、お兄さんは何もくれなかった。しかし本人は、用意してあるから探してみろと言ったらしい。
探すことが出来るのは、明日の夜十二時まで。それまでに見つけられなければ回収されるらしい。期限が付いていることから、おそらくプレゼントには何かしらのタイムリミットがあるのだろう。真っ先に考えられるのは、何かのチケットか。
「お兄さんは何処に隠したか、ヒントみたいなことは言ってませんでしたか? たとえばどこかの部屋の中とか」
「いや、言っていなかったな。家の中だとは思うが……あ、確実に無いと言える場所なら心当たりがある」
「どこです?」
「ゴミ箱の中」
そりゃそうでしょうよ。
視点を変えよう。隠された場所じゃなくて、何を隠したのか考えてみる。
「どこか思い当たる場所は探してみましたか? 部屋の中とか」
「部屋の中だけじゃないぞ、家中探した。明日になって、腐った食べ物がプレゼントだったとか言われたくないからな。だが、何も見つからなかった」
「家中……。本棚とか、ベッドの中も見ました?」
「もちろんだ。靴の中まで見たぞ」
そこまでいくと、もはや嫌がらせレベルだなぁ。プレゼントを隠す方も隠す方なら、探す方も探す方だ。
しかし……ふむ。そうなると立体的なものなら見つかっていても良いはず。となれば、問題のプレゼントは立体的なものではないだろう。言い換えれば平面的なもの、つまりチケットなどの可能性が高くなった。
チケットなどの薄いものであれば、隠し場所の候補は一気に増える。たとえば本棚に置いてある本の中にも隠すことは出来るだろう。
しかし靴の中まで調べた会長だ。そのくらいのことは考えて、既に探したはずである。もちろん鞄の中なども探しただろうから、あと考えられる場所と言えば……どこだ?
「しかし捻くれ者だな、うちのは。どうせ用意するなら、素直に渡せば良いものを」
「きっと照れ臭かったんですよ。男ってそういう点では、女より不器用ですから」
「それならもっと判りやすい場所に……たとえば机の上などに置いておけば済む話じゃないか。どうして隠す必要がある」
答えられず苦笑して言葉を濁すと、脳裏で何かが光った。
そうだ、肝心なことを忘れていた。会長のお兄さんは、なぜプレゼントを隠す必要があったのだ? もし捻くれ者だとしても、家中を探して見つからないほどの場所に隠すのは捻くれ過ぎではないか。これでは「本当は用意していないのか」と思われても仕方ない。
もしかして、そこに謎を解くヒントがあるのでは?
「ちなみに会長、ご両親から貰った本ってどんな本なんですか?」
「ああ、推理小説の単行本だ。今では有名な作家なんだが、まだ無名の時代に書いたそれは希少でな。今のところ文庫は再販しているが、単行本を扱っている店は古本屋でもなかなかない。ファンなら喉から手が出るほど欲しいと思う一品だ」
古いものにしては綺麗で、カバーも破れたり色褪せたりしていないと、会長は嬉しそうに話す。
「へぇー。ところで会長って、たしか家族で本を回し読みするんですよね?」
「するが?」
「お兄さんはその本を読まれたんでしょうか」
間髪入れずに首が横へ振られた。お兄さんは最初こそ何にでも興味を示すが、あまり本は読まないタイプだという。最近は漫画をよく買っているようだが、小説ではパラパラ捲った程度しか見ていないのではないか。会長はそう言った。基本的に大枝家で読書を趣味としているのは、会長とお母さんだけらしい。
増えたようで増えていない手掛かり。だけど今までの情報の中に、何かヒントがある気がする。答えは目の前にあると、直感が告げていた。
しかし直感はそれ以上何も教えてくれず、駅に着いた俺たちは正反対の方へ向かう電車にそれぞれ乗り込んだ。
誕生日、プレゼント、推理小説、漫画、チケットなどの薄いものである可能性、近所の本屋、会員限定の割引図書カード、嫌がらせ、捻くれ者、両親、兄妹、家族……。
答えが天啓の如く降ってきたのは、自分の部屋に入ってからだった。
*
一瞬、本当に話すべきかどうか迷った。
だけど隠していても仕方ないし、本気で全てを調べれば結局判ることである。それなら今話しても、話さなくても変わらないだろう。
『前川か、どうした?』
「すいません、突然に。もしかしたらプレゼントの隠し場所が判ったかもしれないので」
帰宅早々、俺は着替えもせずに会長へ電話した。携帯電話を持ってベッドに腰かけ、頭の中を整理するようにゆっくり話す。
電話の向こうの会長は一瞬驚いたようでもあったが、すぐに「やはりな」と呟いた。
『信じていた甲斐があったよ。丁度、今帰ったところだ。――で、どこにあるんだ?』
「その前に確認させてください。会長とお兄さんは軽口を叩いたり、軽い嫌がらせを冗談でしたりすることはあっても、基本的に仲は良いんですよね?」
『それこそ突然だな。……まぁ、喧嘩も少ないし仲が良い方だと思うぞ』
それなら確定だ。お兄さん、あなたと会長の関係は下手したら今から崩れます。だけど俺はあなたの思いも伝えたいし、会長の気持ちにも答えたい。恨むなら自分を恨んでください。
心の中で呟いて、深呼吸をしてから俺は話し始めた。
「では、お話します。――まず問題のプレゼントについてですが、これは立体的なものではありません。おそらく平面的な、チケットやカードのような薄いものでしょう。そうでなければ、家中を探して見つからないのはおかしいです」
『薄いものなら、私が見つけられなくても仕方ないと?』
「隠し場所の候補数が格段に増えますからね。極端な話、冷蔵庫の裏でもありですから、そこまでは探していないでしょう?」
『まぁ、確かにな』
電話越しに頷くのが判った。
「なら、それはどこにあるのか? さすがに冷蔵庫の裏などは違うと思いますが、会長は家の中を全て探したうえで見つからなかったと言いましたよね。当然、自分の部屋は真っ先に調べられたでしょう?」
『その口振りから察するに、私の部屋にあるのか? だが、どこにもなかったぞ?』
「一ヶ所、まだ探していない場所があるはずです。俺の考えが正しければ、それはご両親から貰った本にくっ付いています」
なに? と言う声と一緒に聞こえる物音。おそらく問題の本を手に取ったのだろう、ページを捲る音がする。
『何も挟まってない』
「えぇ、挟まっていないでしょう。栞のようになっていたなら、疾うに見つけているはずですから。でも、本にはまだ薄いものなら隠せる場所があるんですよ」
『本だぞ? どこにそんな場所がある?』
会長、と一回呼ぶ。
「カバー裏は探されましたか?」
ハッと息を飲む音がした後、発見を知らせる小さな呟きが耳に届いた。カバーの裏にテープで貼り付けてあったそれは、近所の本屋で貰える会員限定の割引図書カードだったらしい。
『何時の間にこれを貰えるだけのポイントを……』
「お兄さんは最近、漫画をよく買われていたんでしょう? おそらく今まで持っていたポイントと合わせて、その時に溜めて交換したんですよ。もしかしたら漫画は、ポイントを稼ぐために買っていたのかもしれませんね。良いお兄さんじゃないですか」
言葉に窮したような沈黙が訪れ、やがて小さく笑ったような吐息が漏れた。そうかもしれないな、と言う声はどこか嬉しそうである。
ほらね。散々気持ち悪いとか何とか言っても、やっぱり心の中では大切にあなたのことを思っていたようですよ、お兄さん。
『それはそれとして、どうして判ったんだ?』
「うーん。それは何となくとしか言えません」
実際のところ、想像なら出来る。だけど上手く言葉には出来なかった。
お兄さんが直接プレゼントを渡さなかったのは、照れ臭かったからだろう。普段から軽口を叩き合ったり、嫌がらせを冗談で言ったりする相手に対して、突然素直になれと言うのは難しい話だ。まず気恥ずかしさが出てしまう。
そこで捻くれた性格をしているらしいお兄さんは、二つほど嫌がらせを仕掛けることにした。一つはプレゼントを隠して探させること、もう一つはプレゼント自体に仕掛けを施すことで、不器用なお祝いの気持ちを隠したのである。
家族で贔屓にしている本屋の会員なら、あまり本を読まないお兄さんもなっていておかしくない。本が大好きな妹へ何をプレゼントするか考えた時、割引図書カードのことが頭に思い浮かぶのも自然だ。
もし俺に兄弟がいて、お兄さんと同じ立場になったら、多分同じことを考えるだろう。いや、兄弟でなくても構わない。友人が相手だったとしても、きっとそうするはずだ。
言葉にしなくても、信じているからこそ出来る冗談や嫌がらせ。心理的には、気になる女子を思わず苛めてしまう男子小学生のようなものだ。
男はいつまで経っても子供っぽいと何かの本で読んだけれど、真実かもしれない。俺もお兄さんも、まだまだ大人へなれそうにはない。
さて、問題はプレゼントに仕掛けた嫌がらせだ。俺の考えが正しければ、それは……。
『ん? 何かカードの裏に紙があるな』
「あ、会長! それは読んじゃ駄目です!」
しかし遅かった。
誕生日に、ずっと欲しかった推理小説を手に入れた妹。その妹に対する嫌がらせで、普段本を読まない人があっさりやりそうなことと言えば?
『犯人は主人公』
ネタバレだ。
割引図書カードなら、おそらく使用期限はないはず。あったとしても相当長い期間は使えるはずだから、わざわざ今回のようにタイムリミットを設定する必要はない。
では、なぜタイムリミットを設定したのか? 簡単な話で、人は自分の貰えるものに時間制限があると、早めに手に入れたり使ったりしたくなる。プレゼントの正体が判っていなければ、尚更だ。
そして会長が両親から貰ったプレゼントは、数年前から欲しかったという推理小説。早く読みたいと、会長は早速ページを捲ることだろう。
お兄さんにとっては、会長が物語の結末へ至る前にプレゼントを見つけさせたかったわけだ。結末を読んだ後に発見されたら、この嫌がらせの効果は半減してしまう。
だからタイムリミットを設定することで、物語が結末に至るまでの時間を遅らせ、プレゼントに仕掛けた嫌がらせの発見を早めようとしたのだ。実際、会長はその策略に嵌ってしまった。犯人の名前は、おそらくパラパラ捲った際に見たのだろう。
紙に書かれた文字を読み上げて、ぷっつりと会長は黙る。回線越しでも怒気……いや、殺気が膨れ上がっていくことが判り、俺は背筋が震えた。そして電話の向こう、遠くから聞こえる男の「ただいまー」という声。
『ぶっ殺す!』
通話がぶちっと切れ、思わず耳から携帯電話を遠ざける。
思わず今夜の大枝家、そして明日からの家の空気について思いを巡らせる。俺が考えても仕方ないことだけど、一体どうなってしまうのか気にせずにはいられなかった。
携帯電話をベッドの上に置いて、俺は溜息を零す。そして両手を合わせると、なるべく平和で無事に今回の問題が終わることを祈って目を閉じた。
ご愁傷様です。