第四章―14
「認めない、でしょ。せんぱい」
志ヶ灘は俺の心を読んだように言った。横目を俺に流す志ヶ灘は、どこか悪戯っぽく自嘲の笑みを浮かべていた。
「今日、篠田先輩から聞きました。昨日の納涼祭でちょっと変なことになって、奈須西せんぱいが落ち込んでるから、もし部活に来たら気を遣ってやってくれ、って。結局、せんぱいは今日は来ませんでしたけどね」
「保健室で睡眠してたよ。昨日、あの暗号解読のせいで徹夜だったから」
「せんぱい。篠田先輩に告白しようとして、失敗したんですか?」
傷口を抉るな。傷口を。
「見事にフラれたさ。それが俺の出した答えなら、わたしは認めないとかなんとか言われて。だから今、俺はちょっと傷心してるわけ」
志ヶ灘のせいで、とはさすがに言えなかった。
それでも、ニュアンスは伝わったんだろう。志ヶ灘はどこか諦めたように、遠くに視線を投げた。
「だったら、私も責任を取らないといけませんよね。せんぱいと篠田先輩の間に割って入ろうとして、二人の関係を壊しただけで終わっちゃったんですから」
「……別に、それは志ヶ灘のせいってわけじゃないけど」
「気を遣ってくれなくてもいいですよ。私のせいじゃなかったとしても、あのコウライさんのおまじないがなかったら、こんなことにはならなかったはずですから。その責任は、きちんと取らないといけません」
「……………………」
俺は何も言えなかった。それが真実だと、充分に意識してしまったから。
俺たちの間を、七夕の夜風が吹き抜けていった。志ヶ灘の髪が、さらさらと散る。
その風が止んだ頃、志ヶ灘は俺の腕を掴んで、自分に向き直らせた。
真正面から、俺を見つめてくる。
「いいですか、せんぱい。私は今からせんぱいに告白します。だから、せんぱいはそれを拒絶して下さい」
「……どういう意味だ」
「けじめを付けるんです。このままじゃ終われませんから。私が告白して、せんぱいが拒絶して、それで私たちの関係を破壊します。もう二度と、元に戻れないように」
平等を期す、ということなのか。
志ヶ灘は、自分のせいで俺と真結の関係が壊れたから、自分と俺の関係も壊して終わりにすると言っているらしい。それが、彼女なりの責任の取り方だと。
「でも、いくらなんでもそんなのは……」
「いいんです。とにかく、これで終わりにします。ミステリ研からも退部して、せんぱいとは今後関わらないようにしますから」
「……………………」
一見、筋が通っているようなその考え方のもとに、しかし俺は迷う。
それが、本当に正しいことなのか?
俺と真結の関係を壊してしまったから、俺と志ヶ灘の関係も壊す。そうやって負の方向にバランスを取って、失うだけ失って何も得ることなく。
本当に、そんな後ろ向きな解決方法しかないのか。
俺と彼女を救う方法は、本当にそれしかないのか――?
「じゃあ、いきます」
志ヶ灘が言う。その瞳が、少しだけ不安に揺れている。
違う。そうじゃない。俺たちが、俺たちの日常を平穏に過ごしていくための方法は、そんなんじゃない。壊しちゃ駄目なんだ。
志ヶ灘が軽く息を吸い込む。俺の瞳を見つめる。
失わないために、悔やまないために、俺が取るべき行動は――。
「私は、せんぱいのことが――」
ぐっ。
「――――――――!」
志ヶ灘が驚きに目を見開く。その正面に、俺は立っている。志ヶ灘は声を出そうと思っても出せない。
何故なら、その口を俺が手で塞いでいるから、だ。
好きです、なんて言わせない。言わせてたまるもんか。
そんなこと言わせたら、俺と真結と志ヶ灘のトライアングルはどうしようもなく崩壊してしまうのだから。
「その先は、言っちゃ駄目なんだ……」
同時に悟る。
どうしてあの時、真結が俺の口を塞いだのか。
真結はきっと、犯人が志ヶ灘であることを見抜いていたんだ。そしてあの時、俺が真結に告白してしまえば、俺と真結と志ヶ灘の関係が壊れてしまうことも見抜いていた。
俺たち三人はぎりぎりのところで人間関係のバランスを保っている。誰かが誰かに好きだと言った瞬間、そのバランスは壊れてしまう。
だから、真結は俺に言わせるわけにはいかなかったんだ。
俺と真結だけじゃなく、志ヶ灘も含めた俺たち三人の関係を維持するために。
そう。つまり、俺たちの関係は――。
「ジェンガだ。ぎりぎりのところまで崩してしまった、ジェンガ。どこかでパーツが一個外れれば、それだけで全体が崩壊する。崩壊させずに保つためには、一個だってパーツを動かすわけにはいかないんだ」
志ヶ灘の口から手を外す。彼女は神妙な顔つきで俺を見つめた。
「それが、答えなんですか。せんぱいの」
「俺だけじゃない。俺と、真結の出した答えだ。責任を取るって言うんなら、志ヶ灘にもそれに従ってもらう。トライアングルを成立させるには、お前が不可欠なんだからさ」
「……………………」志ヶ灘は唇を噛んで俯いた。
「今後とにかく、彼氏と彼女がどうとか、交際がどうとか、そういう方向に話を持っていかない。俺たち三人は仲良き友達。俺たちが誰も犠牲にせずに関係を維持するには、もうそれしかないんだ」
「…………ずるい、です」
ぽつり、と志ヶ灘が呟いた。そして、それに続くように、どさりと俺に体重を預けてくる。
俺の胸の位置に、ちょうど志ヶ灘の頭が収まるような格好になった。
え? とか思う。
「ずるいですよ……そんなの。誰も犠牲を払わず、仲良く円満なんて……小学生じゃないんだから……」
その声が、嗚咽に呑まれ始める。俺はどうしていいのか分からず、何も言えない。
志ヶ灘は俺の胸に顔を埋めて、震えるように呟いた。
「せんぱいも、篠田先輩も……。どうしてそんなに優しいんですか……」
後はもう、言葉の輪郭を失った。透明な液体が、ただ俺のシャツを濡らしていく。
俺は、答える言葉を持たなかった。それでも、何をするべきかということだけは分かった。
せめて、こんな時ぐらいは真結も許してくれるだろうと思って。
冷静沈着で頭脳明晰で負けず嫌いで、そして脆くて弱い後輩の肩を、俺はそっと抱きしめた。




