第四章―10
それからどうやって家に帰ったのかは、実のところよく覚えていない。横断歩道を渡ろうとしてクラクションを鳴らされた記憶だけが、頭の中に曖昧に漂っていた。
家に戻って、出迎えてくれた早季に答える気にもならず、俺はそのまま自室へと引き篭もった。
糸が切れたように、部屋の床に倒れ込む。ぼんやりとして覚醒しない頭に、さっきの真結のセリフが壊れたテープのように何度も再生される。
――わたしは、それが正しいことだとは思わない。
――ジェンガ。わたしたちが住んでいる世界はきっと、あんな感じ。
――きょうくんにも、いつか絶対に分かるから。
「なに言ってんだよ……」
ため息とともに、力ない声が洩れた。分かるわけねぇだろ、そんなの。
真結が何を思っていたのかとか、何を伝えたかったのかとか。そういう大切なことがなに一つとして分からないまま、一つだけ明確な客観的事実を悟る。
くっだらない、俺に手渡された唯一の真実。
「俺は、見事に真結にフラれましたよ……っと」
真結を失わないために努力しようと思ったけど。今のままじゃ駄目だと関係性を変えようと思ったけど。勇気を出して告白しようと思ったけど。
その告白の言葉すら満足に言わせてもらえず、その代わりに意味不明なお説教をいただいて、俺は真結にフラれた。
悩んで迷って、自分なりに導いた結論は否定され、何も得るものなく互いに傷ついただけで終わった。自分のためを思って相手のためを思って俺が取った行動は空回りして、俺が維持しようと思った真結との関係は俺がこの手でぶっ壊した。もう修復不可能。
傷つけて、傷つけられて。
「う……っひゃ、っひゃ」
意味不明な笑いがこみ上げてくる。そうかぁ、そんなもんだよなぁ。っていう、人生を悟っちゃったような笑い。
奈須西京輔くん。きみはいつから自分が主人公だと錯覚していたんですか。努力すれば報われるなんて幻想を抱いていたんですか。悩めば救われるなんて楽観していたんですか。葛藤の先に成功があるなんて、信じていたんですか。
ばーか。
努力したって悩んだって葛藤したって、運も才能もないこの俺程度の凡俗がそう簡単に望むものを手に入れられるわけないだろ。そんなだったら今頃世界はバカップルで溢れ返ってアイラヴユーの洪水に溺れてますわ。望めば手に入る世界なんて、虚構の中だけで充分。
「ひゃっひゃっひゃっひゃ……」
腹がよじれるほどに笑う。アホか。でもいいだろ、だって人間だもの。
だって人間だもの、だって人間だもの、だって人間だもの。
悩んで苦しんで出した答えが否定されて互いに傷つけ合って得るものなく失ったばかりですべてが空回りして守ろうとしたものを自分の手で壊してしまった、こんなに人間らしくなれたときぐらい、笑わせろ。
「っひゃ、っひゃ、っひゃ……」
笑い声が下火になって、涙が出てきた。なんだこれ、笑い泣きか?
手の甲で目元を乱暴に拭う。床の上をごろごろ転がって、壁に思いっきり頭をぶつけて急停止。その痛さすらも無性におかしくて、こみ上げてくる笑いを涙と一緒に吐き出す。
卑屈に身体を震わせて。
「……はっ……は……はぁ……」
笑い疲れて、床に大の字で広がる。見慣れた自室の天井。時々、腹に残留した笑いが突き上げてきては、びくりと身体を震わせる。
身体の内に溜まっていたものを笑いと涙で排出し尽くして、俺はもうからっぽだ。愛情とか怨情とか、怒りとかかなしみとか、恥とか尊厳とか、そういう面倒くさいの全部吐き出しちゃったから。
そうやって、大切なものを片っ端から失って。
これ以上もう何も失うものがないと分かっているのなら。
「やけくそだけど」
何だか、少しだけ前向きになれる気がした。




