第四章―09
それから、予想していた通り俺は真結に公園内を引き摺り回された。金魚すくいで勝負させられ、負けて焼きトウモロコシを奢らされ、射的で勝負させられ、負けてチョコバナナを奢らされ……っと、理不尽に俺の財布が薄くなっていく。そんな悪夢のようなゲームから解放されたのは、祭りも終わりに近づいた頃のことだった。
ふんだんに遊び倒して疲れた俺たちは、木陰のベンチに二人で腰掛けた。公園の奥まっている場所なので、祭りの喧噪も少しは遠ざかる。
「まぁ、元とるくらいには遊びましたな」
隣で、真結が肩を回しながら一息つく。俺は真結からその元を取られているんだが、こういう祭りの場では言いっこなしだ。遊び倒して楽しかったのなら、俺だって充分元は取れている。
ふと、真結が欠伸を洩らした。
「なに、疲れた?」
「さすがにねぇ……。高校生なんて、もうトシですからのう。中学生の頃と同じテンションじゃいけませんわ」
確かに、金魚すくいではしゃいでいいのは小学生までな気がする。かくいう俺も疲れていて、一度喧噪の輪から外れると自然と欠伸が洩れた。
電飾の光も届かない、ちょっとした暗がりのベンチ。そこから明るい祭り会場の様子を眺めていると、何だか世界から疎外されたような感覚を覚える。それと同時に、隣にいる真結との奇妙な親密感も。時間は、俺と真結の間をゆったりと流れているようだった。
「きみ、さー」
眠たげに声を引き延ばしながら、真結が尋ねてきた。
「結局、封筒の暗号ってどうなったのさ。手がかり、全部揃ったんでしょ?」
「あぁ、あれねぇ……」
意識してかどうか分からないが、真結はどうでもよさげな口調だった。それだったら俺の方もと思って、曖昧な口調で答えてみる。
「どうせラブレター的なものだと分かっちゃったんだしさ、今さら犯人当てしてもしょうがないかと思って放置中。志ヶ灘にもそんなこと話して、もう謎解きしなくていいからって言ってある」
「ふぅん……。何だか、もったいない話ですな。せっかく目の前に暗号があるのに、解かないなんて」
真結は山を前にした登山家のようなことを言った。
「でも、今さら仕方ないだろ。暗号を解いて犯人を明らかにしたところで、何が変わるってわけでもない。どうせ……さ」
「どうせ、ねぇ……。どうせ、どうせ」
真結はその言葉の意味を自分の中に落とし込むように、曖昧に何度も繰り返した。多分真結だって、その言葉の後に何が来るかなんて分かっているはずだ。
どうせ、俺と真結の関係はいずれ破綻する。ただの気楽な友達では、いられなくなる。
分かりきった答えは充分に共有しているから、口に出す必要すらない。それだけに、重たい。
「ねぇ、きょうくん」
真結が俺の名を呼んだ。さっきまでのとは種類の違う、いやに明瞭な発音。その変化に空気の切り替わりを感じ取り、俺は横目で真結を見やった。
「きょうくんって、わたしたちは来年も、こんなふうに納涼祭に来れると思う?」
どろり、と身体の中に粘つく液体が流し込まれた気がした。
「どうだろう。願望としては来れたらいいと思うけど、現実としてはね……。こんな気軽にってのは、無理なのかも知れない」
「ふぅん。……それ、どういう意味?」
それを訊くのはずるい。真結だって、分かってるくせに。
俺は横目で彼女をちょっと睨み、「じゃあ、真結はどう思うの」と話題を向こう側へ追いやった。
「わたし? わたしは楽しいことが好きだよ。そして、今みたいなのが楽しいと思ってるから、来年もこうだったらいいなぁと思う」
「でも、それは多分、」
「無理なんて言わないよ、わたしは。維持するために、出来るだけの努力はするもん」
「……………………」
返す言葉を見失い、俯く。
維持するための努力。それって一体、何を意味しているんだろう。
考える。
俺に封筒を送ってきた誰かからの告白によって、その告白を俺が受け入れるか否かにかかわらず、どちらにせよ一旦は維持できなくなる俺と真結の今の関係。俺たちは遠からぬ将来、気楽な友達関係を失う。……でも。
失って、それでも維持するためには。
「維持するためには、ね」
俺には真結の考えていることは分からないが。
関係が一度おかしくなったとしても、その先を歩んでいくために何が必要かってことくらい、分かっているつもりだ。
「だったらさ、俺と真結は」
「うん?」
真結がきょとんとしてこちらを振り向く。
真結と一緒にいることを望むなら、正しい答えなんて一つだけ。分かりきっている。
そして俺は、真結と一緒にいたかったのだ。
決意し、その幼馴染みの顔に向かって、俺は言った。
「だから、俺と真結は友達とかじゃなくて、正式に――」
――え?
「――――――――」
一瞬、何が起きたのか分からなかった。
言葉を発しようと思って口を動かそうと思っても、口が動かない。声が出ない。
隣から伸びてきた真結の手が俺の口を塞いでいると気付くのに、数秒はかかった。
横目で見やると、真結がいつになく真剣な目で俺を睨んでいた。
「それが、きょうくんの出した答え? きょうくんが、正しいと思ったこと?」
「……………………」
答えようにも、真結の手が俺の口を塞いでいるので答えようがない。目だけで、俺は頷いてみせた。
真結の瞳に、何故かかなしみの色が浮かんだ。
「……わたしは、それが正しいことだとは思わない。そんなの、あまりに自分勝手すぎるから」
俺の口から手が外された。それでも、俺は発するべき言葉を持たない。混乱して真結を見つめることしか、俺には出来ない。
「きょうくんは、わたしたち以外の人のこと考えたことある? この世界にいるのは、わたしたちだけじゃないの」
「……何が言いたいんだよ」
「ジェンガ。わたしたちが住んでいる世界はきっと、あんな感じ。どこかでバランスが崩れれば、全体が崩れる。だからわたしには、不用意にそのバランスを崩すことは出来ないの」
真結が何を言っているのか、正直なところ俺には理解できなかった。
ジェンガが何だっていうんだ。それが、俺と真結に一体どんな関係がある。全体が崩れるって、一体どういうことだ。
俺がよっぽど混乱した目色をしていたんだろうか。真結が、俺の両手をぎゅっと握ってきた。
そのうえで、自分の瞳の中に俺の瞳を映し込む。
「きょうくんにも、いつか絶対に分かるから。だからとにかく、今日のきょうくんの話はなかったことにして」
「……そんなこと言われたって」
「ごめん。でも、わたしは今のままじゃ、きょうくんの期待に応えることは出来ないから」
そう言って、最後にもう一度だけ、真結は何かを訴えるように俺を見つめた。それが俺にとっては混乱しか生まないと、この子は分かっているのだろうか。
今日はもう帰ろう。
そう言って、真結がベンチから立ち上がり、俺のもとを去っていく。
呼び掛ける声すら失った俺は、彼女のその華奢な後ろ姿を見送ることしかできなかった。