第四章―06
しとしと、と静かに雨が降り続いている。ざぁざぁと音を立てていない分、自分の部屋の静寂がより研ぎ澄まされているようだった。
雨戸を閉じ、窓を閉じ、カーテンも閉じて、外界から隔離された密室。
邪魔するもののない夜の自分の部屋で、俺は自問を繰り返す。
好きな男の子に、女の子が自分の想いを打ち明ける勇気をもらうための、コウライさんのおまじない。先日からずっと謎だったその正体は明らかになり、またおまじないが終わったことを告げるメッセージカードも発見した。
故に、いずれ俺の前に現れる。この高校のどこかにいて、封筒を送り続けていた誰かが、俺にその想いを告げるために。
つまり、俺は選択を迫られているのだ。
その誰かを選ぶか、あるいは真結を選ぶか。
その誰かを選んだ場合は、俺と真結の関係は言うまでもなく壊れる。他に彼女がいるのに、あんな気楽な友達付き合いを続けられるわけがない。
そして、その誰かの告白を拒絶し真結を選んだ場合でも、今の俺と真結の関係は破綻してしまう。俺たちの関係は、誰かの犠牲の上に成り立つような大層なものじゃない。そこに意味が与えられた時点で、俺と真結は今のままじゃいられなくなる。
結局、どちらを選んだにせよ俺と真結の関係は失われる。気楽な友達ではいられなくなる。
では、そのとき俺はどうするのか。
志ヶ灘は言った。
俺の悪い癖は、傷つけ合い、痛み合うのを避けて物事を曖昧なまま放って置くことだ、と。
一度も傷つけ合わず痛み合わない関係が、誤魔化しでしかなく嘘でしかないのだとしたら。 俺はこのまま、嘘のままで終わらせてもいいのか。決断せずに失って、後になってから失ったことを悔やみ、その後悔すらも時間が癒してくれるのを待つ。そんな人間でいいのか。
『さらら』事件の時、決断できずに喪失して後悔した夜島海帆が、卒業式の日に残したメッセージを、俺は読んだ。
――失いたくないなら、悔やみたくないなら、行動しなさい。
もし俺が真結を失いたくないなら、そして失ったことを悔やみたくないなら。
俺の取るべき行動は、一体何なんだろう。
その週は雨続きだったが、週末にはようやく晴れ間が広がった。日曜日の夜も星がよく見えるいい天気で、納涼祭は晴れて決行とのこと。「おみやげにりんご飴よろしくー」という早季に背中を押される形で、俺は家を追い出された。
納涼祭の会場は、避難場所にも指定されている地区の公園だ。小学生の集団がぎりぎりサッカーで遊べる程度には広い。俺と真結は午後七時にその公園で待ち合わせることになっていた。
そして、その十五分前。徒歩だったので余裕を持って家を出たら、少し早く着いてしまった。真結はまだ来ていないらしい。もっとも、こういう待ち合わせの類で真結が先に来ていることの方が珍しいくらいだが。
公園の中には、四角形の敷地に沿って無数の出店が並んでいる。定番のかき氷、金魚すくい、焼きトウモロコシなどなど。公園の中央には高いやぐらが立てられ、そこから公園の四隅に向けて電飾が張り巡らされている。もう日も落ちて薄暗かったが、電飾や提灯の光と人々の喧噪のせいで、あまり夜を感じなかった。――と。
そのとき、急に視界が暗闇に包まれた。
目が光を失ってしまったみたいに、一瞬にして何も見えなくなる。……って、これは。
「だーれだ?」
「真結」
背後から肩越しに伸ばされた手が、アイマスクとなって俺の視界を覆っていたのだった。その細腕を掴んで引き剥がし、振り返る。
頭一つ分下から、真結がしかめっ面で俺を見上げていた。
「きみはねー。もうちょっとノリってものを学んだ方がいいと思うよ。人間関係の潤滑油が足りません」
「悪かったな。根暗で」
納涼祭にやって来た真結は浴衣姿だった。水色と白色の涼しげなやつ。確か、中学生のときに買ったものだとか言っていたかな。
その真結が、俺を上から下までじろじろ観察して難癖をつけてくる。
「だいたいさぁ。きみはなに、黒物カットソーとチノパンとか。これじゃ、逆にわたしが気合い入りすぎて馬鹿みたいじゃん」
「そんなことないよかわいいよ」
「褒めればいいってもんじゃないの!」
べしべしっ、と後頭部を叩いてくる。軽く笑ってそれに答えながら、普段通りの雰囲気で真結と話せている自分に、何だか安心する。祭りの間中、二人とも一言も口を利けなかったらどうしよう、と考えていたところだったから。
沈みかけていた心が光明を見出して、少しだけ海面から浮かび上がる。
「さぁ! ではでは、とりあえず晩ご飯の調達から始めましょー!」
ぐいっと、真結が俺の腕を掴んで公園の中に引き摺っていく。
橙色の電飾に照らされて、真結の笑顔が翻った。




