第四章―04
その翌日、遅れてやってきた梅雨前線のせいで、この街の空は灰色の雲に覆われた。しとしと降る静かな雨の中、俺は傘を差して学校に向かった。
校舎の中にも雨の気配は充満していた。鼻孔をつく雨の匂い、灰色にくすんだ景色、静寂に満ちた廊下。雨の景色の中で、すべてのものが憂鬱に沈んでいるようだった。
その下駄箱で、俺は発見した。ついに十枚目となる封筒。表面のナンバリングは『8』、中身は笹の葉だった。七夕と笹の葉がどう関係しているかなんて、もはや言うまでもなかった。――と。
封筒の中に手を突っ込んでごそごそしていたら、まだ何か入っているのに気付く。取り出してみると、どうやら一枚のメッセージカードのようだった。
そこには、こう書かれていた。
『さぁ、手がかりは揃った。二人の名前を当ててみせよ』
「何だこれ……」
送り主からの初めての直接的なメッセージに、心臓が鼓動を速める。他にもまだ何か入っていないかと思って封筒を振り回してみたが、出てきたのはこのメッセージカードだけだった。
それを睨んで、考える。
手がかりが揃った、ということは、だ。
「これで、おまじないが完結した……ってことなのか?」
いや、そうとしか考えられなかった。
封筒の謎は――コウライさんのおまじないは、この十枚目の封筒をもって完結したのだ。だから送り主は、俺にそれを明示するためにこんなカードを入れてきた……。
全身に震えが走った。
ここにきて事態が急転直下に動き出したことを、俺はひしひしと感じていた。
二年二組の教室は雨の中に沈んでいた。
教室内の風景をぼんやりと映している窓ガラスの外は、藍色の暗がりに覆われている。そのせいか、教室の蛍光灯の白がやけに強烈に感じられた。
外の風景でも眺めて気を紛らわそうと思ったのだが、窓に映るのは何故か俺の憂鬱な顔ばかり。自分と睨めっこしていると、その背後から真結が近づいてくるのが見えた。
「きょうくん。おはよう」
振り返る。いつもより若干元気のなさそうな真結が立っていた。挨拶を交わしたところで、真結が机の上にある最後の封筒に気付く。
「これ、また見付けたの?」
「うん。メッセージカードと一緒に下駄箱に入ってたんだ。それが最後の封筒なんだってさ」
「最後の……。そっか、そうなんだ」
「なに?」
「ううん。始まりがあれば終わりもあるってことに、今ようやく気付いただけ」
真結はよく分からないことを言って、俺の前の席の椅子を反転させ、俺と向かい合わせにした。椅子に腰掛けた上で、ちょっと俯く。
「ねぇ、きょうくん。昨日のことなんだけどね、」
「分かってる」
気付いたら、俺は真結のセリフを遮っていた。
「分かってる、と思うから、何も言わなくていいよ。だいたい、伝わってる」
「…………そう」
真結はちょっと視線を持ち上げて俺の顔を見つめたが、またゆるゆると目を伏せた。
そう、分かってるんだ。
俺と真結の関係は、あのコウライさんのおまじないのせいで限界に立たされているということを。
もし仮に、いまだ知れぬ誰かが俺に想いを告白してきた場合――。
俺はその告白を受け入れるか、拒絶するかを選択することが出来る。
そうそう受け入れることはないと思うが、仮に受け入れたとすれば俺と真結の関係は破綻する。一緒に登校したり、一緒に休日に出かけたり、一緒にかき氷を食べたり。そんなのは俺にちゃんとした彼女がいないからこそ出来たことだ。彼女が出来れば、真結だって俺に気を遣うだろうし、今のままではいられなくなる。
そして、拒絶した場合でも。
俺がその告白を拒絶すれば、必然的に俺は真結の方を選んだということになってしまう。一方の価値より、もう一方の価値を優先したということになってしまう。もしそうなったら、俺と真結はただの気安い友達関係ではいられなくなるだろう。関係を保つために誰かの犠牲を必要とした時点で、ぎくしゃくして、彼氏彼女ということを意識せざるを得なくなってしまう。
結論。どちらにしても、壊れる。
「……………………」
真結も、そのことを充分に理解しているようだった。さっきから目を伏せたまま言葉を発しようとしない。沈黙の重さがすべてを物語っている。
俺と、真結。
ただの幼馴染みで、友達で、そのわりに周囲からはバカップルと揶揄される関係。でも、そんなのは俺たちが気楽な友達だからこそ出来たことで、正式に付き合い始めればこうはいかなくなる。打算や思惑を、意図せざるを得なくなってしまうから。
でも、その気楽な友達関係は遠からぬ将来、確実に壊れる。少なくとも、俺たちは今のままではいられなくなる。
「ねぇ、きょうくん」
不意に真結が声を掛けてきた。いつの間にか下がっていた視線を上昇させ、こんな時ぐらいはと真結の目を見つめる。
「いま思い出したんだけどね、今週の日曜日って、その、納涼祭の日じゃない?」
「ああ……」
このところ事件やら何やらで忙しくて、すっかり忘れていた。そういえば、今週末はこの街の納涼祭の日だ。
真結は俺の心を探るように、上目遣いで首を傾げてきた。
「どうする? ……行く?」
「どうしよう」
ちょっと悩む。今の状態で真結と納涼祭に行ったら、それこそお通夜みたいな雰囲気になってしまう気がする。……が。
どうせ、いつか破綻する関係だと分かっているのなら。そのことを二人で一緒に見据える時間だって、あっていいんじゃないか。
俺は真結の目を見て、言った。
「行こうか。どうせ最後だし」
「……うん。分かった」
真結は、俺の言った「最後」の意味を尋ねてくることはなかった。それがますます、俺たちの間の空気を重たくした。




