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俺と彼女のミステリな日常  作者: こよる
第三章 名探偵の憂鬱
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第三章―17

 文化部部室棟、二階。一番端っこの部屋。ミステリ研究会。

 一日ぶりに訪れるだけのその場所を前にして、しかし俺は少しだけ緊張していた。扉を開けた瞬間、中から飛んでくるだろう罵詈雑言の嵐を予想して、胃が痛む。「なにしに来たんですか」くらいだといいのだが。さすがに「死んで下さい」と言われると、再起不可能になる。

 深呼吸ひとつ。待っていても仕方ないので、俺は勢いに任せて部室の扉を引き開けた。

 ――と、中には。

「……あらら」

 確かに、志ヶ灘はいた。しかし、彼女は会議用長テーブルに突っ伏して、お疲れモードのようだった。俺が入ってきてもぴくりとも動かないところを見ると、どうやら眠っているらしい。

 そのあまりに安らかな寝顔に、ちょっと拍子抜けした。

「まぁ、徹夜なら仕方ないか……」

 志ヶ灘の対面のパイプ椅子に腰を降ろす。彼女の手元にはコピー用紙が二枚置かれていた。どうやら謎と格闘している最中、睡魔に襲われて勝てなかったらしい。すやすやと心地よさそうな寝顔は、何だかいつもの彼女よりひどく幼く見えた。

 と、俺の気配に気付いたのか、志ヶ灘が目を覚ます。

「よっ。こんちわ、眠りの名探偵さん」

「…………っ」

 志ヶ灘は俺に気付いて目を丸くし、数秒ほど完全に動作を停止させた。その驚いた顔を見られただけでも、部室に来た価値はあったと言えよう。

 数秒後、今度は志ヶ灘が怒ったように俺を睨んでくる。

「……なんでいるんですか」

「いちゃ悪いかよ。ここは俺の所属する研究会の部室だ」

「……寝顔、見ましたか」

「普段の十倍は素直な顔してたよ。俺はそっちの方が好みだ」

 志ヶ灘は視線をさらに険しくして俺を睨み付ける。いま気付いたが、人の睨み付ける視線って温度が下がっていくタイプと温度が上がっていくタイプの二種類があるらしい。今の志ヶ灘の場合は、明らかに温度が上がっていくタイプだった。

「せんぱいは、人としてさいてーですね。紳士の風上にも置けません」

「別に俺、紳士とか目指してないしな」

 自分のためにも他者のためにも意志を奮わない俺の役どころは、せいぜい通行人Aとかそんなもん。それはそれで悪くない人生だ。

「それで、どうなんだよ。文芸部の謎は解明できたのか?」

「……………………」

 志ヶ灘はゆるゆると視線を落とし、「……まだです」とふてくされるように呟いた。まぁ、そんなことだろうとは思っていた。

 俺は鞄から小説『太陽の尻尾』を取り出して、志ヶ灘の前に差し出した。

「これ、さっき図書室で借りてきた本だよ。海外の小説なんだが、何かの役に立つかも知れない」

「……助力は無用です。言ったはずじゃないですか」

 志ヶ灘はあくまで手助けを頑なに拒むつもりらしい。それならそれで、こっちにも考えがある。

「お前はな、推理小説におけるワトソン的存在を軽視しすぎているんだよ」

「何ですか。やぶから棒に」

「いいか、志ヶ灘。推理ってのは一人でやるようなもんじゃない。探偵役とワトソン役との相互行為の賜物なんだ。探偵が淀みなく思考を整理し、推理を進めていくにはワトソン役の存在が必要不可欠というわけさ。だからワトソン役は、時には『何だって!?』と叫ぶし、時には『どういうことだい?』と相槌を打つ。そのセリフに対して探偵役が『いいかい、ワトソンくん』と言うからこそ、推理が淀みなく進んで行くんじゃないか」

「……よく分かりませんけど」

「要するに、一人で推理しようったって上手くいくわけがないってわけさ。そんなの、一人漫才をやってるようなもんだ」

「……………………」

 志ヶ灘は不審げにじろじろ俺を眺めている。その真意を、探ろうとしているように。

 まぁ、土壌形成はこんなところでいいだろう。

 紳士じゃない俺は、なかなか本当のことなんて語れない。毎日、嘘と誤魔化しに彩られた世界で生きている。だから嘘をつかず、自分の言葉をそのままぶつけるときには、こうやって土を耕さなきゃいけないのだ。通行人Aも楽じゃない。

 そして、本当のことを語るときは素っ気なく、あっさりと。

「志ヶ灘はね。多分、ちょっと強がりが過ぎるんだと思うよ」

 志ヶ灘の視線が上昇して、俺の顔を捉えた。

「志ヶ灘って、自分にも他人にも厳しい奴だからさ。あんまり、他人にもたれかかったりとかしないんだろうけど。でも、もうちょっと緩くてもいいかなって、俺は思った」

「……どういうことですか」

「別に、そのまんま。他人にもたれかかって迷惑かけたり、他人に自分を押し付けたりすることを、自分に対して許容してもいいんじゃないかって、それだけだよ」

「そう、ですか……」

 志ヶ灘は曖昧に反応して、何かを考え込むように目を伏せた。それから、俯いたままで俺に問うてくる。

 躊躇しながら。

「……せんぱいは。私が、もうちょっとわがままになってもいいと思いますか」

「わがまま? まぁ、そうやって他人に無理を押し付けることだって、ちょっとくらいあってもいいとは思うよ」

「そうですか……」

 志ヶ灘は何か悩んでいるようだった。言葉を選ぶように、唇をもぞもぞ動かしている。

 その視線が僅かに上昇して、俺の喉元あたりを見つめた。

「私、いつかせんぱいにわがままを押し付けるかも知れません。その時は……ちゃんと、受け止めてくれますか」

「なに言い出すんだよ」

 およそ志ヶ灘らしくない弱気な発言に苦笑しそうになってから、その頬を引き締める。

「ちゃんと受け止めてやる。俺はこんな人間だから、頼みを引き受けられるかどうかは保証できないけど。でも、少なくとも真剣に考えるし努力はする」

「……………………」

「やっぱり、志ヶ灘はさ。もうちょっと他人を頼ることを覚えた方がいいかもね。そっちの方が志ヶ灘のためになるし、それに何より――」

 俺は今は強気を失っている後輩の顔を見て、言った。

「そっちの方がかわいい。俺は、今の志ヶ灘の方が好きだよ」

 春風が吹きそうなさわやか笑顔でそんなことを口にした瞬間、臑に衝撃が走った。骨に直接響いてくる、痛恨の一撃。

 呻き声をあげて痛む足を抱えながら、長テーブルの下で志ヶ灘に足蹴にされたのだと、今さら気付く。

「……すいません。あまりに気持ち悪かったので、反射的に足が出ました」

「悪かったな……。気持ち悪くて」

 これが通行人Aの限界だったか。やっぱり俺は主人公には向いてない。

 ひとしきり足をさすってから、俺は伸びきった話を「とにかく」と総括することにした。テーブルの上の本を、志ヶ灘の前に差し出す。 

「文芸部の謎を解く最後のヒントは、この『太陽の尻尾』ってタイトルの海外小説だ。しかし悲しいかな、ワトソン役は手がかりを集めることは出来ても、答えを出すことは出来ない。それをやるのは志ヶ灘、探偵役であるお前の仕事だ」

「分かってます。そんなこと、せんぱいに言われなくても」

「良し。なんなら、俺と勝負するか? 先にこの謎を解いた方が次回の探偵役だ。負けた方は、次回から探偵役の推理に『まさか!』と『そんな馬鹿な!』を駆使して相槌を打つワトソンくんに成り下がってもらう。どうだ、面白い勝負だろ?」

「……いいんですか、せんぱい。そんなこと言っちゃって」

 この時、志ヶ灘にどんな心情の変化が起きたのか、俺に知る由はない。心の底からだったのか、あるいは少なくともそう振る舞える程度にだったのか。

 どちらにせよ、志ヶ灘藍はその表情を、実に憎たらしい含み笑いへと変化させた。

 そして、その次に出てくるセリフは、ワトソン役の俺でも充分に推理できるものだったのだ。

「……この勝負、絶対に勝ちますから」

 やっぱり、志ヶ灘藍はこうでなくちゃ、ね。

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