第三章―12
『新藤氷店』を出てから、俺はやっぱり一度学校へ戻ることにした。
今さらながら、あの場から逃げるように部室を出てきたのはまずかったな、と思い始めたのだ。とりあえず、志ヶ灘と話して空気を正常化しようと考えていた。
ところが、県立西高前の天の橋近くまで行ったとき。
「げ……」
天川の対岸から、その志ヶ灘が橋を渡ってくるのが見えた。鞄を持っているということは下校途中。あまり嬉しくないシチュエーションだ。
しかし、ここまで来て気付かないふりで逃げるわけにもいかず。俺は何気ないふりをして、志ヶ灘と再会することになる。
「よう、奇遇だな」
志ヶ灘に向かって、軽く手を挙げてみた。すると、向こうも俺に気付いたらしく、青汁を飲み干したように顔をしかめた。
「どうしたんですか、せんぱい」
志ヶ灘藍は感情を表に出さない人間だ。それゆえ表面だけ見れば平然としているように聞こえる。しかし、さすがにこいつと長いこと一緒にいる俺には、志ヶ灘が不機嫌な気配を纏っているのが一目瞭然だった。
「かき氷屋からの帰りだよ。とりあえず一度、部室に戻ろうと思って」
「部室、今から行っても誰もいませんよ」
志ヶ灘は冷たい口調でそんなことを言う。嫌味だ。
「志ヶ灘は今、帰りか?」
「他になにしてるところに見えますか」
「いや……確か志ヶ灘って、俺と家の方向が同じだったよな」
天の橋を渡って、土手道をひたすら西へ。俺や真結と同じ方向だ。途中まで一緒に帰るか、と誘ってみると、志ヶ灘はいかにも渋々といった様子で顎を引いた。まさか今から距離を置いて歩くわけにもいかないでしょ、とでも言いたげな表情だ。
とりあえず、志ヶ灘と並んで土手道を歩く。沈黙の気まずさから逃れるように、話題を探した。
「二つの掌編の謎、解けたか?」
「まだです。思考が行き詰まったので、とりあえず気分転換に家に帰ることにしました」
「どのくらいまで分かった?」
「……せんぱいが、そんなこと気にする必要ないじゃないですか。私ひとりでやるから、いいですよ。答えが分かったら教えてあげます」
「……………………」
いや、とも、分かった、とも言えない俺は、沈黙した。志ヶ灘はよく分からないが、瞳に何かしらの意志を湛えて、土手道の先を見据えている。でも、その意志は謎解きに向かっていく燃え盛るような意志とは違った。それよりも、ほんの些細で子どもっぽい何か……。
ふと思いついて、口を開く。
「そういえば、さ。さっき文芸部に行ったとき、伊吹さんに文芸部の部誌ってやつをもらったんだ。すっかり忘れてて、渡しそびれちゃったけど」
「部誌ですか?」
「そう。『さらら』さんの作品も載ってるから、何かの手がかりになるかもって伊吹さんが……。ただ色々あって、今はその部誌、真結が持ってるんだ。だから、もし必要なら真結に、」
「いりませんよ、そんなの」
志ヶ灘は、俺の提案を無下に切って捨てた。
「いいですか、せんぱい。あの二つの掌編はコウライさんのおまじないの暗号なんです。とすれば、その中だけで充分解けるような仕組みになっているはず。余計な手がかりなんて私にはいりません」
「はぁ……」
確かにその通りだ、と一方では思う。しかし、せっかく目の前に手がかりがあるというのに、それをわざわざ無視する必要もない気がするのだが。
ちらり、と横目で志ヶ灘を見やる。
いつでも凛として冷静な、その横顔に浮かんでいるものは――。
「もしかして志ヶ灘、意地を張ってない?」
「……別に」
志ヶ灘はふてくされたように答えた。その態度に、俺は志ヶ灘の心中にあるものを何となく悟る。そして、悟ってしまってから、俺は勝手に気まずくなる。
その気配が志ヶ灘にも伝わったのだろうか。
土手から住宅街へと降りる分かれ道。そこまで至ったところで、志ヶ灘は怒ったように俺を睨み付けた。
「じゃあ、せんぱい。私の家はこっちですから」
「あ、うん……」
さようなら、と吐き捨てるように言って、志ヶ灘が俺に背を向ける。本当は志ヶ灘の家は、もう一つ先の分岐道を逸れていったところにあるのだが。
凛然として揺るぎない足取りの後輩の背中に、俺は確信する。
やっぱり志ヶ灘は、意地を張っている。




