第一章―03
俺の話を聴いていた真結は、説明が終わると「今朝のきみの悩み事って、それだったんだ」と言った。
「ろうそくに、紙人形……。確かに、ちょっと気味が悪いかもね。単なる悪戯にしては」
「やっぱり、真結もそう思う? 呪いとか」
「うん。たとえば、最初はろうそくや紙人形だけど、それがそのうち五寸釘や藁人形、血の付いたナイフにエスカレートしていくんだよ……。そして、最後の封筒の中には手紙が一枚。『こっちを向いて』って書いてあるわけ。で、きみが後ろを振り返るとそこには――」
「そこには?」
「さて、何があったのでしょう」
クイズなのかよ。
「でも、この封筒ってそんな雰囲気じゃない? 文字だって定規を使って筆跡を隠しているみたいだし、絶対何かあるよ。ねぇ、藍ちゃんもそう思うでしょ?」
真結は読書の世界に舞い戻っている志ヶ灘に目を向けた。彼女はページの上に機械的に目を走らせながら、
「さぁ、どうなんでしょうね。どのみち、オカルトは私の専門外だから分かりませんよ。興味もありませんし」
「絶対そうだってば」
真結は拳を握ってやけに力説している。
「きみ、やっぱりお祓いとかしてもらった方がいいよ。邪悪な霊に取り憑かれる前に」
「ううん、そうかなぁ……。でも、お金とか掛かりそうだしなぁ」
「なに言ってるの。命はお金には代えられないですよ」
そんな俺たちのやり取りをどう思ったのか、志ヶ灘は黙って自分の鞄からiPodを取り出すと、イヤフォンで耳を塞いでしまった。その上で、また文庫本に目を落とす。さらっと失礼なことをする奴だ。
真結は眉間に皺を寄せて封筒とにらめっこしていたが、やがて「あ、そうだ」と何か思いついたように顔を上げた。
「ねぇ、きょうくん。だったら、こういうことに詳しそうな人に相談してみるってのはどう? お祓いは出来ないかもだけど、何か他の解決策が見付かるかも知れないよ」
「こういうことに詳しそうな人? 神主さんとか霊媒師とか」
「ちっがーう」彼女はぶんぶん首を横に振って、「この学校の、オカルト研究会の人のこと。実はわたし、オカルト研に知り合いの女の子がいるのです。小田切有紀ちゃんって言って、理数科の二年生の子なんだけどね。体育が一緒で、喋ってるうちに仲良くなったの」
「理数科か……」
県立西高には、七クラスある普通科の他、秀才ばかりが集う理数科なる学科が設置されていた。もっとも、文系の鏡である俺には全く無縁の集団だが。
「その、小田切さんって人がオカルト研に所属してるわけ?」
「うん。オカルト研って、今は二人だけでやってるんだって。小田切有紀ちゃんと、同じく理数科の古川くんって男の子。聞いたところによると、その二人は付き合ってるんだとか」
「へぇ……。カップルでオカルト趣味なのか」
何だか嫌なカップルだなぁ、という心の声は口には出さないでおいた。一般人からすれば、オカルト研だってミステリ研だって大差ないだろう。
「まぁそれはともかく、せっかくだから相談に行こうよ。向こうだってこういう奇怪な話は大歓迎だろうし、それでこっちの謎も解決すれば、みんなハッピーでいい感じになるじゃん?」
「まぁ……確かに」
「よし。じゃあ、決定ってことで」
何だか真結に上手いこと乗せられているような気がしたが、深く考えないことにした。
乗せられたら乗れ、流されたら流されろ。
これ、日々をのらりくらりと過ごしている俺の生活信条だ。変に肩肘張って生活するよりも、流れに流される方が他者と衝突しないし、疲れなくて済む。前に志ヶ灘にそんなことを話したら「淀みに浮かぶ泡沫みたいな人生ですね」と儚まれてしまったけれど。
「きょうくんと藍ちゃん。わたし、今からオカルト研に話をつけに行ってくるから、少しだけ待ってて。一時間くらいで済むと思うから」
真結はそう言って、つむじ風みたいに部室から出ていった。一時間は、少しじゃないと思うのだが。
志ヶ灘がイヤフォンを外し、ひっそりとため息をついていた。
そして、きっかり一時間後。
俺と志ヶ灘は、真結に連れられてオカルト研の部室を訪れていた。
ミステリ研と同じ文化部部室棟にある部屋なので、間取りはミステリ研と同じだ。中央に長テーブルがあるのも同じ。俺たち三人は客人という扱いのようで、オカルト研の二人とテーブルを挟んで向かい合うような格好で椅子に座っていた。
ところで、ミステリ研究会にしてもそうだが、この学校では部員がたった二人しかいない部活未満の研究会にも、ちゃんと部室が支給されていたりする。一方で、部員が四人いても部室が支給されない場合もある。志ヶ灘が入部したての頃、俺はそのことについて尋ねられたことがあった。
「この学校の部室制度って、ちょっと変わってるんだよね」
あの時、俺はまだ慣れない美人女子(志ヶ灘のことだ)を前に緊張しまくりながら、しどろもどろに説明した記憶がある。
「まず、部活として成立している団体には、基本的に部室が必ず支給されることになってるんだ。部活ってのは、部員が五人以上いる団体のことね。このミステリ研は俺ときみの二人しかいないから、部活として認められてないわけ」
「それなのに、部室はあるんですね」
「うん、そうなんだよ。というのも、部活として成立している団体にすべて部室を与えても、あと五部屋が余るんだ。そこで、部活未満の研究会にも、部室をもらえるチャンスが出てくる。研究会は全部で十個あるから、そのうちの五個が部室をもらえる計算だな」
「じゃんけんでもして決めるんですか? 部室じゃんけん、みたいなの」
「いや、そうじゃなくて、文化祭で競うんだよ。文化祭に各部活の展示の人気投票ってのがあるんだけどさ。研究会のうち、その人気投票で順位の高かった上位五つが、部室をもらえるって寸法なんだ。だから毎年、研究会は文化祭展示にはすごい力を入れてるわけ。部室を獲得できるかどうかが、その展示に懸かってるから」
「へぇ……。何だか、面白そうですね。じゃあ、このミステリ研は去年、文化祭の展示で見事上位に入ったってわけなんですか?」
「そうなんだよ。三年の先輩でミステリを書いてる人がいてさ、その人のミステリ小説を載せたら、これが大当たり。ミステリ研は去年は研究会の中で一位となって、こういう風に部室を使えてるってわけ」
「でも、その先輩ってもう卒業しちゃったんですよね」
「うん。そうだけど」
「だったら、」
志ヶ灘藍はそこで一拍置くと、実ににこやかな笑顔でこう言ったのだった。
「今年は、無理かも知れませんね」
以上、回想。やっぱり俺がディスられている気がするんだけど、気にしたら負けだ。
ともあれ、部活未満の研究会の部室獲得にはかのような事情がある。オカルト研が去年の文化祭で何をやったのかは覚えてないが、部室を持ってるということは何かしら面白い展示をやっていたんだろう。今年は二人でどうするつもりなのかな、とお節介が首をもたげる。
さて、その二人。
理数科に所属しているということで、今日まで面識もなければ名前も知らなかったのだが。真結によれば女の子の方が小田切さんで、男の子の方が古川ということになる。
小田切さんの方は身体が小さくて、清楚な印象の女の子だった。髪の色素が薄く、肌も抜けるように白く、どことなく儚さを感じさせる。短めの髪は雀の尻尾みたいにちょんとゴムで束ねられていた。
対する古川の方は、自己主張する黒縁眼鏡を掛けて何故かにやにやしている。愛想が良さそうでありながら腹に一物抱えているようなその雰囲気は、どことなく訪問販売のセールスマンみたいだった。
あまり釣り合ってない気のする二人なのだが、本当に付き合っているのだろうか。ぶしつけにじろじろ詮索していると、古川の方が口を開いた。
「ええと、ミステリ研のみなさんですよね。ようこそ、オカルト研究会へいらっしゃいました。僕はオカルト研部長、二年八組の古川と言います。以後、お見知り置きのほどを」
「同じく、二年八組の小田切です。えっと、よろしくお願いします」
古川は慇懃に、小田切さんはぺこりと、それぞれ頭を下げた。何だかやけに格式張っている。俺たちの方も、小田切さんとつながりのある真結から、順番に自己紹介をした。
全員の名前が提示されたのち、古川はきょろっと俺たちを見回した。
「篠田さんに、奈須西さんに、志ヶ灘さん。どうぞ、よろしくお願いします。それで本題なんですが……なんでも、奇妙な贈り物を受けた方がいらっしゃる、とか?」
「それ、俺のことだよ」
俺は持参した封筒を古川に差し出して、事情を説明した。内容については部室で志ヶ灘に説明したのとほぼ同じだ。古川は終始にやにや笑いを浮かべながら、「ほう」とか「なるほど」とか、わざとらしい相槌を打っていた。
俺の話が終わると、古川は「つまり、こういうことですね」と言って眼鏡のつるを人差し指で持ち上げてみせた。
「奈須西さんの元に、正体不明の何者かから、ろうそくと紙人形が送られてきた。封筒の表面には謎のナンバリング、そして裏面には『このこと、誰にも口外するべからず』という警句……。そこで奈須西さんは、これは何者かが自分に良からぬ事を仕掛けているのではないかと考えた」
「うん。だから、こういうのはオカルト研が詳しいんじゃないかって、そこの真結が」
俺が見やると、真結は目を泳がせて曖昧に微笑んだ。「ふむ!」と古川が腕を組み、大げさにリアクションする。
「つまり、みなさんは我々にこの謎を解き明かして欲しいと思ってらっしゃるわけですね。封筒に入れられた、ろうそくと紙人形の謎を」
「まぁ、平たく言えばそういうこと」
「ふむふむ。しかし、よもやミステリ研究会のみなさんの前で、一端のオカルトマニアに過ぎない僕が、あれこれと推理を披露するのも滑稽な話でしょう。そういうのは本職であるみなさんの方が得意なはずです」
本職って言われましても。古川は俺たちの顔をじっくりと眺め回しながら、
「そこで、我々は我々なりに、みなさんのために職を発揮したいと思うのです。我々の持つ職はオカルト。その知識についてだけなら、僭越ながらみなさんを上回っている自信がある! 僕も、そしてここにいる有紀もです」
古川はちらっと小田切さんに視線を馳せる。小田切さんはみんなの注目を浴びて、困ったように顔を伏せてしまった。どうでもいいが、俺は有紀という呼称に、やっぱりカップルなんだなぁという青春の切なさを感じた。
「僕は奈須西さんの話を伺ったとき、ふと一つの事件をことを思い出したのです。この高校で過去に起こった、とある悲しい事件のことを――」
「悲しい事件?」と俺。
「ええ、そうです。クラスメイトにいじめられた末、自殺した女子生徒……。ことによると、奈須西さんに降り掛かっている災難は、あの事件に関係があるのかも知れないのです」
いじめ。自殺。事件。どれもあまり心地よい言葉ではないので、俺たち三人は、顔を見合わせて黙り込んだ。
「この件については、わたしの方が詳しいので、わたしから説明します……」
不意に、今まで黙っていた小田切さんが口を開いた。彼女は膝の上に両手を重ね、物憂げにテーブルの角あたりを見つめている。古川と違って演出のない喋り方だが、それだけに聞く者の心に響いてくる声音だった。
「今からちょうど、十年くらい前になるんでしょうか……。この学校に、一人のいじめられっ子の女の子がいました。内気だけれど、心の優しい子――。名前を、コウライさんと言いました。
いじめのきっかけは、些細なことだったようです。いつもは目立たない女の子なのに、運悪くテストで高得点を取ってしまって目立つ女子に目を付けられたとか、そんな些細なこと。
コウライさんはたったそれだけの理由で、いじめの犠牲者に選出されてしまいました。彼女を待っていたのは、終わらぬ受難の日々だったのです。
彼女がされたことについては、わたしが知るだけでもかなりの数に上ります。
所持品の隠蔽、破壊に始まって、精神的暴行、肉体的暴行。具体的に言えば強姦、ガスバーナー炙り、通電、爪剥がし、強制リストカット……はっきり言って、喋るだけで気分が悪くなるようなことばかり。そういうことが、一年近く続いたそうです。
そして、冬休みの最終日。
再び始まるだろう悪夢を想像して、もう耐えきれないと思ったのでしょう。コウライさんは、この高校の自分の教室で自ら命を絶ちました。ナイフで自分の身体を死ぬまで切り刻み続けるという、あまりに惨い方法で。彼女の死体が発見されたとき、その教室はまさにコウライさんの血に染め上げられていたそうです。彼女の遺書には一文だけ『わたしの血で教室を呪います』とありました……。これが、コウライさんのエピソードです」
「……………………」
俺たちは何と反応すればいいのか分からず、互いに困った顔を見合わせた。小田切さんはさらに続ける。
「ここまでが実際にあった話で、ここからがいわば都市伝説のような話になります。証拠が確かめられたわけではないけれど、この学校に霧のように充満している噂――。それが、コウライさんの呪いです」
「コウライさんの呪い……」
俺の呟きに、隣の志ヶ灘が「いよいよ胡散臭い話になってきましたね」と顔をしかめた。いや、それ聞こえてるって。
「コウライさんの死後、この高校で奇妙な事件が起こり始めました。
女子生徒のレイプ事件、ライターで友人の髪を燃やした男子生徒の事件、授業中にカッターナイフを持って暴れた女子生徒の事件……。おかしなことに、こうした事件を起こした犯人の誰もが、犯行当時は無意識状態だったと証言しているんです。つまり、自分でも気付かないうちに犯行を行ったということ。一人くらいなら精神異常として処理されるかも知れませんが、後から後から、そういう奇怪な事件を起こす生徒が出てきて……。それで、これはコウライさんの呪いなんじゃないか、というような噂が生徒の間で出回り始めたのです。
恨みの血溜まりに沈んだコウライさんの魂が、この高校の生徒に乗り移って次々と奇怪な事件を起こさせている――。当時、衝撃的な自殺を遂げたコウライさんが全校生徒の話題になっていただけに、この噂には説得力がありました。
専門家の方は、集団催眠か何かじゃないかと考えていたそうです。コウライさんの自殺は、この高校の生徒の心に深く刻み込まれていました。そのため、生徒たちが次々と暗示にかかり、催眠状態で無意識的に犯行を行っているのではないか――。コウライさんの自殺に端を発するという意味では、これも充分に呪いと言えるのかも知れませんけれど」
「俺に送られてきた封筒も、その呪いだっていうわけ?」
「そうである可能性は高いと思います。催眠状態での生徒の事件は、コウライさんの死から一年が経った頃にはほとんどなくなってしまいましたけれど、それでもたまにコウライさんに取り憑かれた生徒が事件を起こすと噂されているんです。だから、もしかしたら、この学校にはまだいるのかも知れません。コウライさんに取り憑かれて、奈須西さんに呪いをかけようとしている生徒が――」
呪いねぇ、と俺は頬を掻いた。見れば、真結は不安げに表情を歪めて自分の腕で自分を抱くようにしている。彼女はホラー系にはすこぶる弱いのだ。
一方の志ヶ灘は、完全にしらけきったように欠伸を漏らしている。手元に文庫本があれば読書を始めそうな勢いだ。二人の性格の違いがありありと見て取れた。
「それで」と俺。「コウライさんの呪いってのは何となく分かったけど、どうして俺なのさ。仮にコウライさんに取り憑かれた生徒ってのがこの高校にいたとして、なんで俺が呪いをかけられてるわけ?」
「それは、我々には分からないのです」と古川。「コウライさんの魂が何のためにあなたを選んだのか、詳しいことは我々には分かりません。ただ一つ分かるのは、このまま放って置けば、あなたがさらなる不幸の渦中に巻き込まれるということ。コウライさんの魂は、自らが受けた苦痛を他者に還元しようとしています。コウライさんが受けたいじめは想像を絶するもの。あなたは間違いなく、ただでは済みません」
ただでは済まない、と言われても。俺は幽霊とか魂とかを信じるタチではないので、いまいちピンと来ない。
古川は真面目くさった顔で、俺たちを見回した。
「かくなる上は、オカルト研究会はこの謎の解明に全力を挙げさせていただきます。コウライさんのことをさらに調査し、これ以上の災厄から奈須西さんを守ることを誓います。大丈夫、我々に任せて下さい!」
「はぁ、そりゃどうも」
そこまで力説されたら頭を下げるしかない。水に浮かぶ落ち葉は、どんな流れであろうと抗うことが出来ないのだ。